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このカラー写真は昨年9月に気仙沼で撮った写真だが、以下の写真は全て南三陸町のものです。
写真を撮る人間として、これほど現場の空気と写真として出現した画像の「重さ」が異なる結果に自信を失ったものはない。
結局現地の空気は撮れないんだろう。私はその程度のものしか撮れないだ。完全なる思い上がりだったことを思い知らされた。それは技術とか何とかではなく、何を撮ったらいいのかわからなくなって感性の麻痺だった。

個々の写真の説明はしません。
感性が鈍ったカメラマンが迷った挙句撮った写真です。

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2泊3日の写真修学旅行に行ってまいりました。
しばらくはその写真を掲載したいと思います。時系列は関係ありません。その日の気分で選びます。
全部で300枚以上撮影したうちの一部です。

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見るからに重たい雪でしょ。

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先日NHKスペシャルで「又吉直樹 第二作目への苦闘」という番組があった。
大河ドラマを見終えてそのまま曲を変えていなかったために何となく見ていたのだが、率直な感想としては、「どうしてこのような番組を作ってしまったのだろうか」あるいは「どうしてこの番組を作ることを又吉は認めたのだろうか」という疑問だけが残るものだった。

簡単に言うと、ものづくりをしている者は、例えば陶芸家であればその作業過程を公開することはあっても、どのようなものを創るかについて悩み苦しんでいる姿は人前で見せることはないだろうと思う。作家はきっとみんなそうであろうと思う。それ以前にものづくりに苦しんでいるところなど絶対に人に見せたいなどとは思わないはずだ。

作品はひとつの結果だ。それを見たり読んだりした人がその結果を評する。ただそれだけの簡単なシステムであり、それ以上のものを混入させてはいけないものであると考えている。どんなに苦しんで生まれたものでも、いとも簡単にできたものでも、いいものはいいし、ダメなものはダメだ。そう、結果でしかない。

ものでも文章でも写真でも、作る時は常に孤独だ。孤独の中で自問自答して作品を組み立てて行く。それが当たり前のことであるし、その孤独な作業が嫌なのであればものづくりはやめた方がいいに決まっている。なかなか生み出せないものに対して、納得するに至るまでになるかどうかはわからないかが、どこかで形となって出さなければならない時が来る。その時までの作業は作者しかできないことであるし、また、人に見せるべき類のものではないと思う。

だいたい悩んでもがいている姿など、恥ずかしくて見られたくない。私の(別の人の)今回の写真展編集作業など絶対に見られたくない、とてもみっともないし、時には顔が歪んでいることもあるかもしれない。そんなものは決して人に見せずに、できたもので見てもらうしかないのは作家であれば誰でも(きっと)わかっているはずではないかと思っている。
それを又吉は人に見せてしまった。それは、芸能事務所とNHKとの契約であったからかもしれない。だが、そもそもそのような約束をすること自体、やはり又吉は芸人なのだ。決して作家ではない。まして出版する前から文章の一部を公開するなど、私だったら恥ずかしくてできない。

私はひねくれ者の法則によって話題になったものは過すぐにはは手にしない。だから「火花」も読んでいない。が、このような番組を制作をすることを許可した(あるいは事務所が)段階で、やはり又吉は芸人なのだと思った。

今作家以外の仕事も忙しいようだが、その中でも5年後にもいい小説を書いているのかどうか、疑問だ。
しばらく音沙汰もなく突然優秀な作品を発表した方がずっとかっこいい。

もうすぐ写真展も終わりますが、同時に、いや既に、私は次の写真展に向けて、どろどろの状態に陥っている。




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前回に続いてトランプ大統領の発言に関して少し述べてみたいと思う。

今回は自動車の輸出入に関してだが、この件に関してトランプ氏はまた訳の分からないことを発言している。
日本車のアメリカ市場での販売数において、国内自動車産業を圧迫していてるという趣旨の発言。そのために日本自動車産業、とりわけトヨタが恰好の標的になっているのだが、根本的な問題をトランプ氏は見過ごしている。あるいは知っていても発言しないようにしているという意図を充分感じ取ることができる。

トランプ氏の発言趣旨はやおおざっばに言ってこうだ。日本車が大量に米国に輸出されて、「安く高性能で耐久性も燃費もいい」となれば必然的に日本産の自動種が評価を得ることができたら消費者の自然な選択基準となってしまい日本車を買ってしまう。そのために減収になった国内の自動車メーカーを維持させるためには日本車を売れづらくすればいい(実質的にはそんことはないが)という安易な発想を発言してしまったのだ。

もちろんどなたでもトランが閉鎖経済社会の方向に向いていることはわかると思うが、言い方を変えれば、国内でアメリカの「目先の売り上げ」が上がれば雇用も創出できていいだろうという、かなり狭い発想のもとでの発言にしか見えないのです。
国内の車をたくさん売りたければ、トヨタよりもホンダよりも優れた車を作ればいいだけなのただ。その商品創造力の支援を積極的に行う方がてっとりばやい「自国を強くする」方法なのだと思うのは私だけだろうか?
昔もそうだが、今゛手も私はアメリカ車には関心を持たない。それはデザイン、大きさ、技術力という点で全く魅力がないからだ。わざわざ高いお金を払ってあのような車を毎日乗りたいとは全く思わない。
「今度機会があったら」「予算が合えば」「もう少しデザインや性能が向上したら」という条件付きでもリストには上がってこない。これはたぶんアメリカ人もそう思っているから日本車が売れているのだろうと思うのだが、トランプの言うことは全く本末転倒で、アメリカ人なのだからアメリカ産を買おう、アメリカ工場で造ったものを買おうという理由だけでは永遠にこれからもいい商品はできないかもしれないと思う。

今アメリカで私たちに影響を与えているのはIT系だけではないだろうか。iphoneやGoogle、Microsoftなどの企業が代表的であるが、それでも昨年の「強制Windoes10アップデート」やiphoneやandroidoや一部のWindowsでなければアプリダウンロードできない「instagram」など、「囲い込み」の戦略が優先で、広く世界のためにという意識が希少であるのは、内側に向いているためなのだろう。

そういう意味では函館も似ている。函館に於いて商売の決定的な取引理由のけっこうな部分を「あそことお付き合いがあるから」「色々なしがらみの関係でそこにしなければならないから」ということは頻繁に耳にする。もし、それだけで商品が売れるのであれば、商品の品質の向上やコストダウンなどの大企業がしのぎを削って行っている努力など必要としない。ただ、人間関係やしがらみを堅持すると商品は売れ商売が成立ってしまうのだ。
それに慣れてしまった函館の企業は、日本全国や世界に通用するような商品の開発などとうていする気にはならないだろう。だから、「おっ、この函館の企業ちょっと面白いのでは」というものが現れて来ないのだ。

今のトランプの政策をずっと続けていると、アメリカの魅力はどんどん地の底に落ちるだろう。ハリウッド映画も以前よりも注目しなくなった(自分は)。アメリカの食品も特にこれと言った特別な魅力のあるものは少ない。

最近気になっているBOTANISTのシャンプー・リンス、最初はアメリカ製だと勝手に思っていたのですが、よくよく調べると日本製のようですね。そういう商品を作ればどこの国の製品でも売れるんですがね。アメリカも函館もそれをやろうとしないんですよね。政治力だけではいずれ綻びと人の反発で崩壊するのは目に見えているのですが・・・・。



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トランプがアメリカ大統領に就任したことによって、選挙戦や現在の言動が注目されており、様々な「言い放題」がクローズアップされているが、すべてについて考証してもきりがないので、気になった件に関して少し述べてみたいと思う。

まず、皆さんご周知のように中国への激しい挑発を止めようとしない。トランプ発言全てがそうだが、駆け引きのためブラフなのか、本当にその方向に政策を進めるのかわからないので、ひとまず「本心」だという前提で考えてみる。経済問題から南シナ海問題など、クソグソに中国をこき下ろして、場合によっては戦争をも辞さないようなにおいを漂わせて中国を否定している。ある学者がこの先アメリカと中国が戦争する確率は70%以上だと論じたことをメディアが紹介していたが、実際にそうなるかどうかはもう少しトランプのやり方を見なければ何とも言えない。

また、もっと注視しなければならないのは、イスラエルのアメリカ大使館をテレアビブからエルサレムに移転するという発言。これはある意味中国との戦争以上の混乱を生じさせる可能性がある。なぜなら、大使館は本来その国の首都に置かれることが世界の常となっておりのに、トランプはわざわざエルサレムに移すと発言し。実際近々イスラエルの大統領と会談するようだ。

さて、この二つの動きは何を意味するのか?

単純に考えられることは戦争がまた始まる可能性が高くなったということだ。
しかし、馬鹿なアメリカの大統領が馬鹿げた行動をとってしまっただけなら、(その評価は別として)関係ないことだが、残念ながらこの二つのことについては日本も大いに関係してくる。

ひとつは、もし中国と戦争した場合、中国へ発動する軍備の多くが日本の米国基地から向って行くということ。そうなると中国は当然その基地にめがけての攻撃と同時に他の日本領土にも爆弾・大陸間弾道ミサイル<を容赦なく発射してくるだろう。
同じく、エルサレムに大使館を移動させると、今まで微妙なバランスて存在していたエルサレムは、「イスラエルの首都」という認識を与えてしまうことになり、容易に想像できることとして、中東戦争が勃発してい舞うだろうとの危惧だ。

しかし、もっとやっかいなのは、このようにトランプから挑発してやってしまった「正しいとは言えない戦争」に日本が決めた集団的自衛権を発動したら、私たち日本は今度は世界を相手に戦争をしなければならなくなることも想定される。なぜなら、中国は別として、中東各国と「やらなくてもいい戦争」のお手伝いをしなければならなくなるからだ。当然そうなると中東各国から見ると日本は敵国であり、場合によってはテロの対象として重要な国のひとつとなるだろう。私たちが長年に亘って築いてきた、「日本は安全」という社会が崩壊されることになる。

もちろん、前述のように中国からの攻撃もあり得るだろう。言葉はどうあれ、日本はアメリカと一緒に戦争しますよと世界に宣言してしまったのですから。(集団的自衛権は日米安保保障条約だけに限ったものではありませんが、誰もがその目的のためと認識しているでしょう)
以前私はこのブログで、集団的自衛権のことについて自分の考えを述べたことがありますが、その時に恐れていた「アメリカが常に正しい行動をとるのか?もしそうではない戦争を起こしたのなら日本は世界を敵に回すことになる」というものがより現実味を帯びてきたということです。

SNSでは集団的自衛権賛成派(自民党派?)の方々が、なぜかトランプ発言に対して、「おお、やるならこっちも手伝おうぜ!」という内容の発言をしているのはまだ目にしていません。私はこのような事態になることも想定して反対だったのですが・・・・。





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APAホテルの客室にも南京大虐殺の否定を主張する本が備え付けられていることについて、中国でここ2、3日でなぜか急激に問題化されたとの報道があった。
中国でこのことを指摘したネット投稿は1億もの閲覧があったそうだが、まぁ、確かに中国の人民性から言ってそうなるだろうなということは容易に想像できる。それ故にそのことについてあれこれ述べるつもりはないが、より自分が身近な問題としては、本当にこのことが中国人の逆鱗に触れて、日本での宿泊先にAPSAホテルを利用しなくなったら、他のホテルに鞍替えし、私がいつも泊まっているホテルの予約が取れなくなるのではという心配がある。

ネット上では、「APAホテル、よくぞやった」「今度から宿泊はAPAにする」などと称賛する日本人のコメントも多数見受けられたが、そのような方は是非APAに泊まって他のホテルの空室をが増えるようにご協力いただきたいと思う。他のホテルの空室というよりも、APAを選択肢に入れていない者にとっては、他のホテルの日本人宿泊数が変わらず、中国人観光客の宿泊が増えると予約が困難になり、選択肢がとても狭まってしまうからだ。

ちなみのその記事(書く人によって捉え方が異なりますがね)のひとつがこちらです。


まあ、ホテルによっては別にキリスト教でもないのに聖書が備わっていたり、仏典があったりしているので、何を置こうがそのホテルの趣味嗜好によるものとしか言えないものもあるため、表現の自由という意味では非難されるものではない。だから一個人の主義主張は私の場合問題にしない。
一番の問題は、前述した中国人がAPAに泊まらなくなった場合の他のホテルの予約状況と、序用供給のバランスによる室料の高騰化。それと「よくぞ言った」と支持した人たちが本当にAPAホテルに泊まってくれるのかどうか。指示した以上はそうしてもらわないと、宿泊のバランスが崩れてしまうからです。

ちなみに私の従事している業界でのAPSAの仕事のやり方が(不動産取引において)、決してクリーンだとは言えない点もあり、実際に「被害」に会ったある業者の担当者は、もうAPAには物件を紹介したくないという声もあり、また、実際私も泊まってみたことがあるが、(そのホテルが古いホテルでAPAが買い取り全てリノベーションしなかったせいか)エアコンの音が激しくうるさく。睡眠の障害になってしまったこともあり、あまりイメージはないため、たぶんこれからもAPA以外のホテルに宿泊すると思うので、中国人の動向が気になってしまうのです。

中国人と言っても、それなりのホテルに泊まる観光客は、他の日本人に迷惑をかけてはいけないという意識も持っており、朝食のバイキングで顔を合わせても、憤慨するほどの不快感を感じたことはない。静かに自分たちの食事を終えてラウンジを去って行く姿をたくさん見ている。
結局日本人であろうか中国人であろうか、イギリス人・アメリカ人であろうが、その人の「字様式」に対する考え方ひとつでその場の空気は変わってくるということではないでしょうか。

参考までに、冒頭の写真はAPAホテルのもので、特に室内にどうしても撮りたいというインテリアがなかったため、こんな写真を撮っただけです。


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今日はJohn Lennonの命日だ。36年前の日本時間では明日の夕方のテレビニュースで殺されたことを、私は知った。
しばらくの間、少し不謹慎な気がしていたのであまり人には話さなかったが、そのニュースを知った時、「嘘だろう?」という現実を受け入れることのできない気持ちと、それがやはり現実だと認識しなければならないとすれば、「ついにその日が来たか」という、ずっと自分が心のどこかでいずれ起こるかもしれないと不安が的中した無念さがあった。

世の中は、色々な心のベクトルが混じり合って何かのムーヴメントをつくりだすものである。それは一つや二つの個別的な分析では説明のできないほど複雑に絡み合ってどこかに何かを向かわせる。それは、はっきりとした何かの証拠があってわかるものではない。わかるのは、どこに向かっているかもしれないというベクトルのおぼろげな方向性だけだ。
Johnの死はは、その強烈な個性と存在感ゆえに、人々が「そうなってはいけないが、ひょっとしたら起こってしまうかもしれない」不安を感じてしまうベクトルの力が具現化させてしまったもののひとつに思えた。

JohnのImaginを理想に溺れている「現実逃避をしたがる夢想家」が好む曲だと密かに蔑む人は実際にいる。それもまた一つのベクトルの力だ。Johnは彼だからこそ語れる歌で私たちの心を摑んでいたが、同時に彼を嫌悪する人間もつくってしまった。それは強烈な個性と影響力を持った人間の宿命である。しかし、その宿命は最悪の形となって具現化された。

「いずれあるベクトルに沿った力が悲劇的な事実として具現化する」

それは、戦争が起きる時と同じ流れであるといつも思う。例えば地下深く活断層が着実に動いていても、私たちがそれをはっきり認識するのは地震という災害が起こってからであるのと同じように、何かがどこかで動いていても、誰も気が付かないだけなのだ。







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南三陸町にて




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昨日のニュースで、15歳の娘を高齢者が運転していた車にぶつけられて亡くした母親のインタビューが流れていた。自分の子供を失う悲しみ・喪失感・絶望感が実際どんなものなのか経験がないので想像でしか言えないが、自分の存在価値まで疑ってしまうほどやるせないものではないかと思う。

車での事故死で社会的に大きな問題となる原因に、飲酒運転・スピードの出し過ぎ・わき見運転・携帯電話での会話や操作・過労などの他に、高齢者の認識・判断・反応の能力低下によるものもクローズアップされている。確かに普段運転していて、妙に遅い車、前後左右の間隔の取り方が変な車、平気で中央線をはみ出す車などは結構高齢者が運転していることが多い。
確かに高齢者の運転は見ていて同じ道路を走っている者にとっても不安に見える。ある意味危険がある。だが、ここではそれを主題とはせず、「なぜ高齢者はそこまでして運転をしなければならないのか」を考えてみる。

その理由のひとつとして、自動車が公共交通機関(バス・電車等)を利用するよりも早く到達し、経路も自由に選ぶことができる乗り物であり大量の荷物も手から離して運搬できるもので、一度その便利さを知ってしまったらなかなか手放すことができないというものがある。これは私もその恩恵を受けている身だ。逆にそれがなければ購入費・維持費が膨大にかかる高額な消耗品を持つ意味がないのだが。

次に、車を運転しなければ日常の仕事や買い物その他の用を足せないという地理的な問題がある。これが今日の主題だ。

この問題は、仕事柄街の形成というものをずっと見て来たり、たまたま色々な街に出張で何年かごとに訪れて見た変遷を基に考えてみると以下のようになる。
高度経済成長の時代は、経済も右肩上がりであり、人口も右肩上がりで、それと共に賃貸住宅から持家へと住居を買える絶対数も右肩上がりとなった。そうなると、当然の如く、街は郊外に向けて拡大していく。道内では札幌がわかりやすい例だ。私が初めて住んだ約40年前の札幌は、まだ市内の「えっ、こんなとこに!」という地域に牧場があったり、住宅街と住宅街の間に広い農地があったりと、とても120万人都市とは思えないのどかな部分があった。しかし、今や190万人都市となった札幌にはもうそんな地域は市街地にはない。玉葱畑もずいぶん住宅地となったし、牧場はイオンになったりと、昔の面影は全くない。当然、昔は随分遠くて不便そうだなと思うような地域にまで住宅がたくさん建てられ人が住んでいる。
一般的にそのような外れの地域の公共交通機関の便は芳しくない。だから、住民は車が必需品となる。
そのようにして車の保有台数は一家に一台どころか二台や三台が今では当たり前になっている。それでも、札幌の場合は(東京もそうだが)、中心街が固定されており、中心街に行く時はできるだけJRや地下鉄等で行くようにする人が多いので、車の利用という点では、ある程度目的地によって使い分けされているのではないかと思う。
ところが函館のような地方都市は少し事情が異なってくる。バブルが終焉し、人々が価格の安い商品を追い求めていた頃、都市の郊外に「日曜日などを利用して、家族できていただき、大量に安いものを買いだめしてもらう」ための広い販売面積と品揃えを持った商業施設がたくさんできるようになった。それで最も規模を拡大したのがAEONであるが、それ以外の場所でもホーマックやツルハ、ゼビオ、などなど出店した。しかし、それは「郊外型店舗」と呼ばれていた。読んで字の如く、店舗は住宅街には遠くはないが近隣には住宅が整備されていない場所にあり低い土地利用料で浮いている分、建物に費用をつぎ込み大型店化を果たし、豊富な種類と大量のストックを可能にした。なおかつ、同じ敷地内にいくつものショップを配置すると、そのモールに一度車を停めると、たいていのものはそのモール内で購入でき、あちこち市内各所を移動して買いまわる必要性が無くなった。単純に利便性というものだけで見ると、格段に便利になった。
なぜそうしたのか?たとえばホームセンターだけがぽつんと郊外にあっても、最初は物珍しさで行くかもしれないが、そのうち他のもの(食料品や衣服他)を購入するためにはまた別の場所に移動しなければならなくなるため、だんだん面倒くさくなる。それでは、異種の大型店を集めると付加価値が生じる。だから、膨大な敷地を利用したショッピングモールが次々と誕生した。すると、そのモールに行くと大抵のことは用が済むため、そのモールの周辺は「便利な街」となる。するとその周辺に住宅街が誕生する。
つまり、本来郊外であった地域がひとつの街となってしまうのだ。これは何度も私が指摘したように、衰退する地方都市の典型的な変遷パターンである。しかし、いくら指摘しても人々はそのような地域に魅力を感じ住み始める。だが、あくまで郊外は郊外なのだ。全ての都市機能がそこに集約しているわけではない。ほんの日常的な一部の機能が集まっているだけにしか過ぎない。例えばJRを利用する場合、「郊外」はやはり駅から遠いのだ。また、バスなどのターミナルをそこに集中するわけにはいかない。なぜなら元々「郊外」なのだから。
このようにして分断された都市機能を地理的につなぐのが自動車である。このような「機能が分断された街」には車は不可欠となる。それ故に、「分断された街」に住む者は例え高齢になったとしても、車を使わざるをえなくなってしまう。そうしなければ「不便」なのだ。地方都市はこのようにして小さな便利さに吸い込まれるようにして都市機能の崩壊を加速し、衰退していくのだが、住んでいる以上は分断された機能を補うために高齢者であろうが誰であろうが自動車を運転しなければならなくなる。

しかし、高齢者の運転技術はやはり不安が多い。きっとそれはある程度それを認識しているのだろう。のろのろ運転の高齢者の車を別車線から追い越す時、運転している姿を見ると、それこそ必死になっているものをいつも発見する。何もそこまで辛い思いをしてまで運転しなくてもいいのではと思うのだが、車がなければ不便だからそうしているのだろうと少し可哀想になってしまう。

このような環境は、高齢者に優しい環境と言えるだろうか。ひょっとしたらもう運転ははしたくないかもしれないけど住んでいる場所が「不便」だから車を運転するしかないという高齢者も多数いるのではないだろうか。そうなると元々運転に不安のある高齢者の事故発生率は当然高くなる。それに伴って事故に会って死亡ないし負傷する歩行者も増えるかもしれない。だから単純に高齢者の事故の増加は、高齢者の運転能力の問題だけとは言えないのだ。
これは、そのような街を作ってしまった住民全体の責任だ、と私は思う。





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みなさん既にご存知たど思うのですが、アメリカ大統領がトランプ氏に決定した今日、私はモデル撮影とあるイベントの打ち合わせなどで大忙しさでした。
夜自宅に帰り、テレビを見たらまさか、ひょっとしてという結果を知ることができました。

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結局、世界のトレンドとしては。平和ではなく、強引に何かもひきつける力を持った人間をリーダーとして選ぶ傾向になったということです。強引に何かをやるということは、どこかで軋轢・衝突が生じるわけなのですが、もちろん政策としては、「それらに勝て」ということになるでしょう。強いリーダーシップを求めるということは、選ばれたリーダーは場合によっては力づくで物事を解決することになるでしょう。

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ということは戦争とまではいかなくても、勝者と敗者をはっきりさせる政策をとるかもしれません。それは実質的な戦闘状態になるわけであります。そのようなリーダーが最近多くみられるようになりました。

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そんな大切な選挙があった本日、私はモデル撮影をやっていました。今日初めての本格的な撮影ですが、これから写真に対して希望を抱かせてくれる内容となりました。
結局このような行為は平和の象徴であり、私は若いどこかどくどくの魅力のある女の子を撮影するという幸福を得ることができた。
でも世界は戦いを肯定するような風潮を見せています。アメリカだけではなく、その他の国でも同じような指導者誕生している。
勝負にはその結果、敗者と照射が誕生しますが、それは決して平和とは呼ばない。平和とは勝者も敗者もない世界のことを言うのであって、世界情勢は大方の見方の通り、「勝つ」指導者を求めている。個人的には、その先駆けとなったのはプーチン大統領だと思っているが、結果的に私たちは「平和」を望んでいないということなのだろうか。

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私は多少写真を撮って平和の素晴らしさを(日常が変わらないこと)をさりげなく意思表示をしていきたい。




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