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カナダから帰国した知人からいただいた、電子レンジで作るポップコーンを恐る恐る作ってみた。なぜならパッケージに印字されている説明文が英語とフランス語で、かつ書かれている内容が日本向けではなかったからだ。
所々読解できる英語の文章には、Microwaveのfullpowerで2分半でできると書かれていた。だが、ここで疑問。電子レンジの電子レンジ機能で本当にいいのか。ひょっとしたらオーブン機能を利用しなければならないのではないか?2分半でできるのは何ワットで作動させた時のことか?
我が家の電子オーブンレンジは500Wである。このフルパワーで本当に2分半でできるのだろうか?

そのため恐る恐る、レンジに入れ、電子レンジ機能で2分半かけてみた。そして結果は。
最初平らだったパッケージがほんの少し膨らんだだけであった。ポップコーン独特のポンポンと弾ける音はわずかであった。
そして、次に1分追加した。すると先ほどより少し弾ける音が多くなった。だが、何となく頼りなかった。そこで、今度は30秒毎追加して、音が止むまでそれを繰り返した。
結局音がしなくなったのは、合計で8分くらいの時だった。ということは、説明にあった電子レンジのフルパワーとは1500wのレンジでのことだと理解した。

そんな文化の違いを感じながらも出来上がったポップコーンが下の写真だ。

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そして早速食べてみる。バターの香りが食欲をそそる。何につけ出来たての温かさがたまらない。そして、おもむろに缶ビールを開け、その両方を口にしながらこのブログを書き始めた。

だがポップコーンは既にない。アッという間に私の胃袋に消えた。今は、残ったビールをチビチビ飲みながら書いている次第だ。

パッケージには、アメリカ製でカナダの会社がimport したものだと記載されているので、きっとアメリカでも売っているのだろうと想像した。

先ほどテレビでは、安倍首相の12兆円の補正予算を称賛するエコノミストの話が流れていた。海外では国債増発への懸念も報道されていたが、そのエコノミストは日本経済の好転を盛んに主張していた。自民党の回し者ではないかと疑ってしまうほどの褒め方だった。

だが、私は決して忘れない。「清く、貧しく、美しく」という日本独特の国民性を一変させたバブルを作ったのは自民党だ。アメリカに「Japan as No.1」とチヤホヤされ、いい気になってアメリカの言うとおりにバブルを作り、その後奈落の底に陥れ、数多くの自殺者を出したのが自民党だ。それに飽きたらず、小泉首相時には貧富の差を大きくつけ、国民全体を鬱状態にさせたのも自民党だ。

今後エコノミストたちが産業的経済指標でどんなに好転したと言っても、日銀が言っても、私は自分の手元に来るお金が変わるまではそれらを信じない。また、国全体の経済の健全性への変化を見せなければ信じない。国債という麻薬で、公共事業という次なる麻薬を与える政策を、はいそうですか、と素直に認めたくはない。

バブル崩壊後のこの25年間、どれだけの自殺者を日本は生産してきたのだろうか。交通事故死者とは比べ物にならないくらいの死者が出ているのだ。その間のほとんどの政権担当は自民党だったのだ。だから、ちょっとやそっとて信じるわけにはいかない。
世界はアメリカと距離を置いて付き合おうとしているのに、回帰するかのようなことばかりしているようでは信じるわけにはいかない。ちょっとだけ考えれば誰にでもわかることだが、経済的に以前ほどの威光がないアメリカがアジアに目をつけ、自国の商品を売りつけようとしているのがTPPだ。

軍事よりも先に「独立」しなければならないのが経済だ。アメリカに振り回されない国内社会を作ることができ、健全な経済の中で国民の「実収入」が増加できたなら、自民党を見直すだろう。
それはバブルの清算という意味合いもある。やっと自分のけつを自分で拭くという意味合いもある。
つまり、それらを行って初めて責任をとったというレベルであって、称賛とは決して言えないということだ。


そんなことを、アメリカ製のポップコーンを食べながら思った。



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窓の外の緑。MOSSTREESにて。

本日、北海道新聞朝刊2面に「後戻りできぬ原子力半島」というタイトルで、青森県・下北半島各市町村の原子力交付金依存についての現状と問題点を記事にしていた。
この記事を読んでも、現地住民や首長の発言以外では目新しいものは発見できなかった。既にhakodadi氏が自身のブログで、その点を指摘していたからだ。(参照、「大間原発は函館から30Km圏内」、「函館は大間原発の30Km圏内 (2)マップの改訂版」)

この記事では、下北半島の市町村が「麻薬」として受け取っている交付金についての記載はないが、それはもう誰もが周知の事実として認識されているため、説明の必要がないと思ったのだろう。問題は、下北半島があまりにも函館に近いということだ。
このことはhakodadi氏が地図入りで解説しているので、前出の記事をお読みになっていただきたい。

氏の地図や道新の地図でご覧の通り、下北半島には近距離の中に核施設が集中している。このような地域は日本にもまだある。福井県だ。みなさんご周知のもんじゅ発電所などがある地域だ。県内で停止中のものを含め6箇所もの原子力発電所がある。
福井県に比べると、下北半島は4箇所で2箇所少ない。何だそれほどでもないじゃないかと思われるかもしれない。ところが、下北半島の4箇所のうち、原子力発電所は現在建設中の大間と運転停止中の東通の2箇所だけで、その他は、六ヶ所村の核燃料サイクル施設とむつ市の建設中の中間貯蔵施設である。

さて、これを踏まえて、次からは私の得意分野である、妄想が始まる。
まず最初に断っておくが、私は物理学はちんぷんかんぷんである。だから、間違った説明をするかもしれないが、小さなところは目を瞑って、大きな流れとして読んでいただきたい。

結論から言うと、これらの施設が整って、その管理所だとか研究所という名目で公表されない製造施設を作ると、核爆弾が作れるのではないか、という妄想だ。
だいたい、この地域には、合法的にプルトニウムがたくさん集まる。そして、通常の軽水炉で出来上がったプルトニウムを、現在はここにはない高速増殖炉で原子炉運転すると、純度の高いプルトニウムに変わり、六ヶ所村の再処理工場で取り出すと、立派な核爆弾が出来上がるというわけだ。

そう、下北半島に高速増殖炉ができると、核爆弾製造産業が誕生するということになる。その過程で必要な研究施設など、いくらでも理由をつけて建設することはできる。
まして、今ではアメリカも、日本の核武装を容認している。表面上容認しているということを我々が知っていると言うことは、非公式にはずっと前から、政府間では既に認められていたということだ。

そう考えると、比較的最近、下北半島に色々な施設が隣接してできているということへの説明がつく。ただ、高速増殖炉はもんじゅの事故があってから簡単に作れないため、懸念の空気が薄くなるのを待って、一番最後に建設しなければならなくなった、とのストーリーを考えると、ますます核爆弾疑惑を持ってしまうことになる。

仮に、もしそれが本当だとすると、有事には下北半島へ敵国からの容赦ない攻撃が浴びせられるかもしれない。原子力発電事故だけでも、放射能の影響が恐怖であるのに、攻撃を受けるとなると、それこそ函館は何もできないゴーストタウンになってしまうだろう。
マグロがどうのとかというレベルではなくなる。瞬間的な生命の危機を体験することとなる。

もちろんこれは妄想だ。ひょっとしたら全くの的外れであるかもしれないし、それであって欲しい。だが、原子炉の中の核分裂しているものを、柔らかく「核燃料」と世間で表現して、まるで灯油ストーブのでかいものを連想させようとしているのは、どうも馴染まない。
日本には、燃料ではなく爆弾の原料として物質を変換できる技術など、とっくの昔からあるだろうから、あとは実践だけと、想像してもおかしくはないと思う。

こんな妄想は馬鹿げたものであるという、安心できる証拠が欲しいのだが・・・。



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函館公園。

この文章を執筆している時点で、統一地方選での当確が出ている候補者を見ると、現職が立候補している自治体は、圧倒的な差で現職が当確ないし優勢であると伝えられている。北海道知事は高橋氏、札幌市長は上田氏、東京都知事は石原氏、その他の県知事も同様だ。

この傾向はある程度予想していたが、まさかここまでの大差ができるとは思っていなかった。悪い方での結果が顕著に出たといえよう。現職が悪いという意味ではない。投票する有権者の心が、これほど傷んでいるという意味での悪さだ。

現職が強い時とはどんな時か。考えられるのは、色々なことが上手く推移していて変える必要がない時と、変えるのが怖い時だ。今回は言うまでもなく、後者の方だ。
これには理由がある。まず、何かを変えて欲しいと政権交代を実現させて任せた民主党が不甲斐なく、失望し、変えてもどうしようもないのか、との失望感。対立候補がパッとしないために現職の方がまだましか、という消去法の結果。そして最も大きく結果に反映された理由が、「変わりたいけど変わりたくない」という国民の心理であろうと推測する。

改めて述べるまでもなく、日本人は長年の混沌とした経済状況で精神が鬱傾向にある。鬱の人間が最も嫌うのは、自らを変えることだ。だからと言って、自分の現状には苦しみが常に付きまとっている。だから、今の苦しみから変わりたいと願うのだが、本当に何かを変えようとするとフリーズしてしまうのが鬱の特徴だ。
元々この傾向があったのに、それにとどめを刺したのが今回の東日本大震災である。あの壮絶な被災地の映像を見せ付けられた私たちは、言葉にできない重苦しい心理状態になってしまった。こんな時、人は現状以下になることを恐れてしまう。これ以上悪い方向に向かいたくないという心理だ。せめて今のままでいい。

今回の選挙戦は、政策による選び方ができる国民の心理状況ではなかった。だから、現職が有利と当初から予想できていた。だが、これは喜ばしいことでは決してない。再選された首長が今後どのような施策を見せるかまだわからないが、ひとつだけわかっていることは、今年も自殺者が3万人をきっと越えるだろうということだ。


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失敗作。スターバックスの窓ガラスに映った金森の屋号を撮影するというアイディアまでは良かったが、寒さで手が震えてぶれてしまった。あるプロのカメラマンは、下手だからと言った。その通りだ。

ここ何十年間か、日本の政局は目まぐるしく変わった。唯一長期政権となったのは小泉政権だった。
この小泉政権、私としては否定的に見る政策が数多くあるが、結果はどうあれそれによって日本は変わった。貧富の差が大きくなり、自殺者が増え、自民党が弱体化したりと、確実に変わった。それも長期政権であったからだ。
その前後の小刻みな政権の変遷は、政局としてはインパクトがあったが、政治としてはあまり変わってはいない。ちょっと駄目な内閣であれば、世間は騒ぎ、マスコミは囃したて、結局内閣は総辞職し、新たな政権が生まれる。ただそれの繰り返しだ。

以前、本ブログで述べたが、国民の意識が低ければそれなりの政治家しか誕生しない。こんなに苦しんでいるのに、どう考えても単なる話題取りの人物が当選するのは、国民がそれなりだと言うしかないのだ。また、ネットという民主主義の申し子のような発言媒体が広まっているにも拘らず、政権の粗探しごっこは盛んだが、政策論争はあまり見かけない。

かく言う私もツイッターでは、昼に何を食べたとか、どうでもいいことばかり発信しているので、あまり大きなことは言えないのだが、たまに真面目なことをつぶやいても反応はあまりない。
まぁ、ツイッターはそれでもいい。様々な個人の今言いたいことや気分や自己満足のコンプレックスなのだから。

ところが、政治は我々の生活や人生にまで大きく影響を及ぼす。ちょっとした人々の気分や好き嫌いで左右されたら困るのだ。真剣に国民全体が政治の政策を論じない限り、我々が望む政治家は生まれない。いい意味での緊張状態が国民と政治の間になければ、それに応えようとする人物が生まれるわけがないのだ。
しかし、残念ながら国民が関心を示すのは政局である。新しい政権ができると早速粗探しを始める。そして、1年も経たないうちに内閣交代を叫び始める。長期政権だった小泉時代も、結局小泉対自民党という政局のドラマを観たかっただけなのだ。

昨今、民主党内での政局がお盛んだが、これに嫌気がさして、与党が自民党になったとしても、そんなに政治は変わらないと思う。ただ、莫大な金額の選挙資金が動いて、人形の顔が変わるだけだ。超長期政権を担っている省庁からすると、何も実務を知らない大臣の名前と対応の仕方が変わるだけで、行政の長たる地位は揺るぎはしない。
本当に政治を変えたければ、まず我々が変わらなければならない。政局より政策だ。その期待に応えうる者だけが国会に送られたら政治は変わる。ただ今は、本当に大志を抱いている者が少ないだけなのだ。ただ雑草を刈り取るだけで、肥料を与えていない土地からは、立派な野菜は生まれて来るわけがない。そういうことだ。



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枯木シリーズ2。高龍寺。

最近、政治に絡む問題・報道が相次いでいる。尖閣諸島、民主党代表戦、地検問題、フジタ社員問題、そして本日小沢一郎が強制起訴に至ったとの報道。ここ1ヶ月の間によくもこんなに集中したものだと感心してしまうほどである。

この間、私はツイッターに速報を流したことはあっても、コメントに関してはツイッターでも本ブログでも一切しなかった。無関心だったわけではない。正直なところ、世論に文字通り「閉口」していたのだった。一度「政治批判と私たち」というタイトルで私なりの政治批判に対する考えを述べたことがあるが、ニュースで報道されている事件・問題に対してはノーコメントを続けた。

だが、特にブログ上では盛んに批判が続いていた。批判は続くが、自分がどうしようもない今の政治を変えるために何かをしようと発言するものは皆無だった。つまり、批判だけなのだ。
批判をするだけであれば、頭脳明晰な者であれば鋭いコメントをいくらでも発することができるだろう。ところが、私が何度も本ブログで述べているように、単に誰かを袋叩きするのは「相手を否定して自分を肯定する」ための無意識の自己正当化行動を行っているに過ぎないのだということに、誰も(もちろん本人も)気付いていないのだ。

本当に今の世に起きている現象に憂いを感じているのなら、長々と批判だけをするのではなく具体的行動に出たくなるのが普通の心理である。それを実行しないのは、イジメグループの親分の影に隠れて、「お前なんか馬鹿だ」と言ってる者と何も変わらない。

国民がこんな程度では、政治だって誰がやってもそんな程度のことしかできない。本当に政治を変えたければ、まず国民が変わらなければならない。そうしない限り、民主党が政権を続けても、誰が首相になっても、自民党が再び政権を奪取しても、公務員改革をいくら行っても何も変わりはしない。

だからといって自由な言論を制限しろということではない。議論は大いに結構だ。その議論はよりよい世の中にするためには具体的にどうしたらいいのかという議論でなくてはならない。そうしなければ、水も食べ物もない荒野を迷っている仲間にただ「お前のせいでこうなった」と言っているのに過ぎない。不毛なやりとりである。

繰り返し言う。政治や行政が変わらないのは、国民が自ら変わろうとせずに、お前の責任だと言い続けているからなのだ。
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大三坂。本日のNHK教育テレビの「美の壺」でも何度も登場した坂だ。

ここ暫く、ツイッター上では盛んに民主党代表選の話題が続いている。中には民主党そのものへの批判を、延々とまるで恨みでもあるかのようにツイートし続けている者もいる。
批判は必要だ。それがなければ一部の人間の都合のいい方向へ政策が向かってしまうかもしれないし、極端な場合は「独裁」と同じような状態に陥る可能性だってある。言論の自由があるのだから、それを止める理由はない。

だが、元来ひねくれ者の私はそれだけでは納得しない。
まず、政治は常に国民の考えを反映していると思っている。よく、今の若い者はという中高年層(今は余り言わなくなったが)の言葉は、自分たちが作った社会を自らがNoといっているようなものだと思う。なぜなら、若者は中高年層以上に敏感に社会の風潮を感じ取り、自然に行動に移しているからだ。

政治だってそれと同じだ。
高度経済成長期には、とにかく政治は自民党に任せておいて自分たちはどんどん稼いで生活を豊かにすることに専念したかったのだ。年々豊かになっているのだから、多くの人は自民党に文句を言う理由はなかった。国民の圧倒的支持を得ている自民党は派閥争いごっこをしていればよかった。次の首相は誰の番だ?そんな内輪のゲームをやっていても社会は成長という幻想の基でまとまっていた。

だが、決定的な転換期が訪れた。バブルの崩壊だ。今まで価格が上がることはあっても下がることは決してないと信じられていた土地価格が下落した。何でも右肩上がりに動くと疑いもしなかったものが否定された。そして、(相対的にだが)貧乏になった国民は、安定した職業の省庁などの公務員が面白くなくなった。俺たちがこんなに苦しんでいるのにのうのうと法律で地位が保証されている「お役人たち」がうとましく思えてきた。
そこで国の無駄使いを次々と暴きだした。だが、それは右肩上がりの時代の産物であった。

つまり、成長している時は「まぁ、いいんじゃないの」とおおらかな見方をしていた国民が、貧しくなると、「何だお前、いい気になってるんじゃねぇよ」と態度を一変させたのだ。

政治批判とは基本的にこの程度のものだと思っている。別に政治家や公務員を擁護するつもりは毛頭ないが、国民のレベルが政治や行政にも反映されるのだと思う。
だから、政治を批判したい者は、同時に国民も政治と同等以上に批判しなければならないと考えている。それをやらなければ、いつまでたっても現実的には何も変わらないと思っている。つまり、国民が変わらなければ政治だって変わりはしないということだ。

例えば、部下を持ったことのある方、または今持っている方ならわかるかもしれないが、部下が駄目だから業績も芳しくないんだと文句ばかり言って椅子にふんぞり返っている上司は余程の人材に恵まれるという幸運がなければ業績は一向に良くはならない。自らが変わってその姿勢を見せない限り部下は動かない。
だから、部下を変えたければ、まず上司が変わらなければならないと言われている。

政治家を含む公務員は国民の下で働く部下だ。我々上司が変わらなければ部下の仕事である政治や行政だって変わらないのは当然だ。だから、批判をすべき対象は国民にならなければならない。

馬鹿なことを言うな、実際は役人の思うがままではないか、という声は当然あるだろう。私もそう思う。
だが、憲法第15条に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と謳われており、また、国家公務員倫理法の第1条に「この法律は、国家公務員が国民全体の奉仕者であってその職務は国民から負託された公務であることにかんがみ」となっていることを我々は憲法第9条と同じくらい重く自覚しておかねばならない。

もし、どうしても納得できなければネット上ではなく、直接民主党や自民党や省庁へ乗り込んで文句を言うべきだと思う。そのくらいしなければそんなに多くは変わらないと思えて仕方ない。
私たちが変われば政治家だって変わる。業界との癒着があるのは、私たちの心の中に楽して儲けたいという心があるからだ。需要と供給が一致しただけだ。

くれぐれも申すが、私は決して政治家や公務員を擁護したいとは思っていない。物事は常に相対的に存在する。一面だけ見て考えても、「回転木馬のデッドヒート」にしかならないのだから。
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雨に濡れた像。元町公園にて。

先ほど、取材2軒目となる「はこだてランチョン」の記事をハコダテ150+に掲載した。
先日行われたスタッフミーティング(兼飲み会)で、ランチョンのことも自然と話題となり、どうせなら150+で参加店全店の紹介をして行こうじゃないかということになり、その発端となった記事を書いた私が率先して(実際にすぐ動いたのはjandmstaitionさんの方が先だが)参加店に赴き食事取材を敢行した。

話が脇道に逸れるが、150+スタッフの取材は全て自費である。意外とけっこうこれは知られていない。取材の許可を得るために私は取材先に名刺を渡すことが多い。その時の相手の反応を見ると、仕事としてやっている思っている人が多いのだか、全く金はどこからももらっていない。それどころか、取材を重ねれば重ねるほど出費が増えるだけである。だが、それに不満を言うスタッフは誰もいない。逆にそれがこのサイトの原動力となっている。
つまり、自分たちの好きなようにやって行こう、という大きな心意気が推進力となって航海を続けているのがハコダテ150+なのだ。

回り道をしたが、今月に入ってから1500円ランチを2度も食べるのは、サラリーマンにとってはきつい。やはり、ランチは高くても1000円以内におさめたいのが本音である。だから、ランチョンが観光客向けの企画であることはわかる。

だが、観光客はこの企画をいったいどこで知ることができるのだろうか?
観光客がわざわざ函館から発信されている全ての情報をチェックして来るだろうか。そのような方はごくわずかであろう。それではあちこちにパンフレットが配置されているのだろうか?また、観光客と接する市民はこの企画のことを知っているのだろうか?疑問だらけである。

私の例をあげてみる。最初、この企画のことは全く知らなかった。知ったのは、函館国際科学祭の一環として開催された「いすずカフェ」で、カウンターにぽつんと5部あったパンフレットからであった。それもいすずさんが「そういう企画があるよ」と言ってくれなかったら全く気付かずにいた。
そのパンフは暫く私の車の中で眠っていたのだが、ある日昼食をどこで食べようかと考えていたら、ランチョンのことを思い出した。そしてその中の1店を選び行ってみた。それまでは知らないのは私の情報収集力に問題があるのだろうと思っていた。
ところが、その日の帰宅後、せっかく食事したのだから記事を書こう、と市のHPで下調べを試みた。ところが、全く観光客・市民向けの告知がなかったのだ。そこで担当部署である観光コンベンション部ブランド推進課を調べてみたら、記載されていたのは参加店舗の募集と広告宣伝業務受託者募集のみであった。

たったそれだけである。そしてこの企画の趣旨は「函館を訪れる観光客等を「食」を通じて「おもてなし」するため,函館ならではの旬の食材を用いたオリジナルのランチメニュー等の提供によるお得感と満足感を高めていただく「ランチイベント」の事業化を進めることを目的とした実証実験」となっていた。
こんな告知方法では実証実験するためのサンプル数が集まらないのでは、という素朴な疑問を持った。
そのため、当日のハコダテ150+の記事はこの疑問から始まることとなった。

その後、他の情報サイトを調べると笑ってしまった。函館・南北海道観光ガイドで調べると、「2010はこだてランチョン開催中」という記事があるが、何と9月7日付けの記事である。企画は1日から既に始まっているのだ。料理店は1日から食事を提供できるように体制を整えているのにも拘らずだ。そして、記事を読むと本当に簡単な、毎日ブログを書いている私に言わせてもらえば、10分で終わる程度の内容が書かれており、その挙句、「詳しくは、函館観光情報サイト「はこぶら」に掲載中のリーフレットをご覧下さい」とリンクを貼ってあるだけだ。

そしてその「はこぶら」に移り、ランチョンの項目をクリックすると、私がもらったパンフレットが出現してくる。そうです。全て丸投げの仕事だらけなのです。それで主催者の「やる気」を感じてくれと言っても、誰も感じることはできないだろう。

私たちハコダテ150+は、函館の観光振興に理解を示し参画した店舗のためにも、「自費」で取材しその店のリポートをして行こうと考えています。繰り返しますが、これは仕事ではありません。
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7/5の弥生小学校





Once upon a time you dressed so fine              むかし あんたは いい服を着て
You threw bums a dime in your prime,didn't you?     若かった時 乞食に銭をほおってやったね
people'd call,say,"Beware doll,you're bound to fall"    みんないってた 「気をつけろ落ちるぞ」と
You thought they were all kiddin' you             でも みんなからかっているだけだと思っていたろう
You used to laugh about                        よくわらいものにしたね
Everybody that was hangin' out                  うろついているやつらを
Now you don't talk so loud                      いま あんたは大声でしゃべらない
Now you don't seem so proud                    いま あんたは自慢もしない
About having to be scrounging for your next meal    つぎの食事を どうやってごまかすかについて

How does it feel                             どんな気がする
How does it feel                             どんな気がする
To be on your own                           ひとりぼっちで
With no direction home                        かえりみちのないことは
Like a complete unknown                      ぜんぜん知らぬことは
Like a rolling stone                           ころがる石のようなことは


Lyrics and music by Bob Dylan       訳詞 片桐ユズル


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美しい海面の入舟漁港。コケもこんなに綺麗に見えます。

たまには経済の話を。
恥ずかしいことだが、いつの間にか日本は世界一の借金大国となっていたようだ。首位の座はアメリカが居座ると思っていたので順位は気にしていなかったが、ついに我が日本が首位奪取したようだ。
また、相変わらず貯蓄残高も世界一のようだ。

本当に変な国である。

実際には貯蓄は主に個人・法人のもので、借金は国のものだから一緒にできないのだが、例えば、100万円の貯蓄を使いたくないから、生活費として100万円借金しているようなものだ。
そして、その借金を子供に払えと言っている。本当に馬鹿げている。だが、それが今の日本である。

貯蓄算残高が増大した理由は、よく不景気で先が読めないから防衛策として貯蓄しているとか、年金制度が信用に足りないためなどと言われている。どちらも的を得ていると思う。
だが、もうひとつ忘れてはならないのは、現在の会社が能力主義を採っているのも一因ではないかということだ。

理屈は簡単だ。仕事の成果によって収入が変わるのだから思い切った消費はできない。収入が減った時に対応するため貯蓄しておかなければ不安なのは自然な人間の心理だ。収入を消費に向ける額が減ると、当然各企業の収入も減る。そうなると国の税収入も減る。だから国債を大量に発行してまた借金を重ねる。この繰り返しだ。
赤字国債という手段を用いてしまったら、もう麻薬常習者になってしまったようなものだ。日本は麻薬を服用しながら必死に治療薬を集めているようなものだ。だが、治療薬は決して使おうとはしない。薬は大切だからしっかり保管しておかねばもったいないと貯め込んでいる。そして麻薬による症状は治療されずに時間とともに悪化していく。

つまり、日本は相当重症の精神疾患に罹っていると言う事ができる。異常な集団の常識はこれもまた異常であるのが常だ。戦時には人を殺したり殺されたりするが常識で何の疑いもなかったように、このような状態になっても高額貯蓄者は金を流通させようとはしない。しっかり貯め込んでいる。

函館と似ていないか?一般労働者の平均所得がこんなに低い中で、家賃は札幌並みと、函館には不労所得者を保護するシステムが出来上がっている。しかし、そのバランスは次第に崩れかかってきている。

本当に崩れた時に、函館はより活発な経済活動を迫られ、街づくりの見直しを必要とされるであろう。だが、それに失敗した時は衰退がより加速されるであろう。だから私たちは常に函館の事を考えていなければならない。自分たちが作る街として。

しかし、この国の借金の終わらせ方はどのような手段を用いるのだろうか?自分が生きているうちに是非見てみたいものだ。
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杉の間から見える函館山。どこからでも函館山を見つけようとする習慣は多分一生ものでしょう。

昨日、報道番組の多くの時間を費やした鳩山首相辞任について、アメリカのメディアの反応で気になることがあった。それは「日本人は自国の代表を選ぶ能力がないのではないか?」という内容のものだった。
他国の人からそう言われるのも無理はない。何しろ4年間で4人の首相が替わるのだから、異常であり、日本人そのものに疑問が向けられても仕方の無いことだ。

まず、身近なところから考えると、鳩山首相が選挙区が違うとはいえ北海道選出の国会議員であることを認知している道民・市民はどれだけいるだろうか?正直言って自分もそうだが、日常的には殆ど意識せず国会という遠く離れた「別世界」でのできごとのように思ってはいないだろうか。
ひとつだけ言い訳をすると、鳩山氏のみならず歴代首相は自分の属する選挙区から選出した人物ではないし、まして首相として投票しているわけではないので、自分たちが選んだ国の代表者という認識を持ち辛いということがある。これは恐らく私だけの認識ではないと思う。

そこで、せっかく国民投票法が施行されたことだから、憲法第9条より先に第67条「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。」を国民投票で行うということに憲法改正することを論議することが優先されるのではないかと思います。
直接選挙による選出であれば国民は自らの責任を感じ、まるで他人事のように国会を見ることは少なくなるだろうと思うし、より投票に対し熟慮するのではないかと思う。また、一方的な責任の押し付けも無くなるのではないか。

そいう言う意味では、憲法第15条の改正、というよりその運用規定も改正されるべきではないだろうか。

第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

ここでの「公務員」という範囲を少なくとも省庁のある程度までのポストと地方自治体のある程度までのポストを規定して選挙による任命ととしたいものですね。
また、第2項を読むと、今の公務員は憲法違反の行為を成していることがよくわかります。私たちに罷免の権利を与えてほしいものです。

なお、これはもちろん個人的な意見であり特定の個人を批判するものではありません。よく、会話で政治問題を題材とすることはタブーとされていますが、これは国民の責任の放棄ではないでしょうか?どうぞ皆さんもお考えください。