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今度の日曜日に投開票が行われる参議院選挙ですが、私は不在者投票を済ませてまいりました。その証拠がこの写真です(笑)

さて、投票前であるにも拘らず、報道では自・公で議会の3分の2に達する勢いであるなどの分析が報じられていますが、どうしてそう言い切れるのだろうかと大きな疑問を持っている私でありますけれど、でも、たぶん結果はその傾向に動くのではないかと危惧しております。
危惧という言葉を用いたのは、より日本は一党独裁の色が濃くなってしまうという意味での危惧であります。そう、日本は中国のようになってしまうのでしょうか?よく安倍首相が、「民主党政権の悪夢の時代」という意味の発言を何度も発しますが、問題は民主党にあるということよりも、政権を執った政党が戦後ほとんど自民党だったということなのです。つまり、自民党は政府の仕事をやった経験が豊富ですが、その他の政党は(公明党を除く)仮に今何らかの理由で政権を取ったとしても、いわゆる初心者なのです。初心者が何から何までそつなくこなすことができるでしょうか?普通に考えても無理だと思います。
民主党政権はまさにそれだったわけで、あちこちにボロが出ても致し方ない部分はあるでしょう。何せ初心者だったのですから。しかし、皆様ご存知の通り、初心者はやはり上手く政権運営ができず、結局短命で終わってしまいました。そして、その後はずっと自民党政権が政治を担っています。

大きな問題はこれなのです。政治を運営できる政党が一つしかないということは、これはかなり不健全な国家の状態であると言わざるをえません。たぶん、今回の選挙でも、自民党以外を考えてもちょっと頼りないから自民党にしようか、と考えている方も多くいらっしゃると思います。そういう方には大変失礼なのですが、それが国家の不健全化を助長していることになってしまうのです。
それは国会や街頭演説で、よく安倍首相が「どうせ次の選挙も自民党が勝つのだから」という前提の思い上がった話をしているのも、自民党を脅かす存在が残念ながらないからなのです。私たちはそこまで馬鹿にされ舐められても、自民党を第一党にしてしまうという国民なのです。これが健全な社会といえるでしょうか?
今まで見習いの仕事しかできなかった者に、急に「店を任せるから」と言われて訳も分からないうちに右往左往してやっているうちに、「やっぱりあんたダメだね」と首を切ったのは私たち国民です。

よく経済界では競争原理という形で品質や価格を競い合うことが多いのですが、政治にはそれが適用しない、また、させることのできない不思議な世界です。
以前もお話ししたと思うのですが、だいたい政党というものがあることそのものが不健全化を助長しているのではないでしょうか?例えば、よく大臣になった途端問題発言をして解任あるいは辞任すると議員がいますが、そのような議員が当選してしまうのも○○党公認候補だからというだけで当選してしまうからなのではないでしょうか?
どんなに政治家としての資質が劣ったとしても○○党から選挙に出れば議員になれる。それは選ぶ私たち国民の大きな過ちです。
まして、比例代表区制度があるのもおかしな話です。○○党の政策を支持したいと思っても、比例代表の上位にいる候補には議員になってほしくないという民意は全く伝わらない、これこそおかしな制度であります。

私は政党など無くなって、立候補者ひとりひとりの能力によって選び、そのような優れた政治家が国会で論じ合うのが最も健全な政治だと考えています。以前からそう考えていましたが、より確信になってきました。それ以外に、このバランスの崩れた日本の政界を正す方法は無いでしょう。かといって、今すぐ急に政党は無くならないでしょうから、私たちにできることとして、この人であれば国会で活躍してくれるだろうと思われる人を選ぶことなのではないでしょうか。

函館のある省庁系出先機関の方がこんなことを言っていました。「本当はもっと予算が欲しいのだが、与党の議員が国会議員に選ばれていないからなかなかお金がもらえない。与党議員だったら入って来るのに」
この言葉を知って皆さんはどう思うでしょうか?あぁ、やっぱり与党議員がいいのか。それとも、議員の所属する政党によって地方を差別することがまともなことなのか。ともかく今の日本政治のバランスは崩れています。中国のように一党独裁で色々な統制を強いられる国に近付きつつある日本を変えることができるのは政治家ではなく私たち国民である、と私は考えています。




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毎年、7月になると彼女はスウェーデンから函館にやって来る。その度にヴァイオリン演奏を函館でやり、私は彼女を撮る。

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だから、毎年7月の写真フォルダには必ず彼女の写真が残っている。

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彼女の演奏を目の前で見たのはたぶん5年前だったと思う。以前から知っていた函館在住のピアニスト高実希子さんの昔からの友人で、7月に函館に訪れるのが毎年の年中行事のようになっており、その際間に二人のライブをのが恒例となり、私はいつも見るようになった。

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最初はワイルドな印象が強かったが、歳を重ねるごとにより繊細な音を追いかけているのが聴く側にも伝わってきている。

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毎年会っているが、実はそれほど多く彼女とは話していないような気がする。でも、どういうわけか何かが伝わっているのか、演奏が終わると笑顔を見せてくれる

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彼女の名は田代裕貴。スウェーデン・ヨーテボリオペラ管弦楽団第2ヴァイオリン首席奏者。

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今年の函館での最後の演奏は、私の会社の1階にあるレストランで行われた。演奏が終わった後、彼女はわざわざ私の勤めている事務所に訪れて来てくれ、短い会話をした。
これから東京に行き、大きな演奏会を二つこなし、スウェーデンに帰るそうだ。その中のひとつがあの「もののけ姫」で一躍有名になった米良美一さんのコンサートのバック演奏だそうだ。

今度は是非私がスウェーデンに行って、普段の練習風景などを撮影させてもらえたらいいね、という話をした。それがいつになるかはわからないが、私はそれを楽しみにしている。
きっと来年も彼女は函館に来てくれるだろう。そして、さらに私たちを唸らせる演奏をしてくれることを期待している。






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函館市民でも入舟町という町があることを知らない人もいるでしょう。名前は知っていてもどこからどこまでかというのも知らない人も数多くいるでしょう。だいたい西部地区は駅前・大門地区から函館山方面だと思っている人もたくさんおります。よく言われていることですが、函館のことを函館市民が一番知らないというのは、あながち誇張とも言えないと思っています。
ちなみに西部地区育ちの西部地区在住者の所見では(おそらく西部地区在住者はみんなそう思っていると思いますが)、十字街付近から函館山麓周辺を西部地区と呼ぶのが通例であると言えます。

と、偉そうなことを申し上げましたが、その西部地区の一角である入舟町に都会と田舎があること(正確にはあったこと)を知りませんでした。これは主に高齢者の間で話されているようです。決して私の私見でも何でもなく、実際に入舟町民の間で交わされている話であるということです。

さて、その入舟町の都会と田舎とはどこのことを指すのでしょうか?正直言ってここからがその境界だということは言えませんが、話されている雰囲気の内容から、入船漁港(正式呼称:函館漁港)からどつく前電停付近までが「入舟町の都会」で通称山背泊あたりが田舎だそうです。
おそらく、明治時代から昭和のある時まで、入船漁港は魚介類の水揚げで大いににぎわっていたのでしょう。そこから当時の函館の中心地であった十字街方面に向かう一番近い街として商業が盛んであったと容易に推測できるわけです。道路もそれなりに整備されていたのも一つの要因かもしれません。ところが、山背泊は知っている方は知っていると思いますが、車がやっと1台走れる程度の狭い道路で、その先は穴澗となっているため、広がりようがなかったのではないかと思います。

そんな理由で、入舟町にも都会と田舎があったのだと言われているのではないかと思います。函館の歴史をある程度知っている方であると、なるほどと頷けると思います。
確かに「入舟町の都会」には、昔商店や問屋であったのではないかという形態の建物が現在もたくさん残っています。

このように、函館は少しだけ顕微鏡的に見るととても面白い街なのですが、それを伝えるべき函館市民がそのことを知らないのが実情です。例えば江戸時代から現在まで消えずに残っている町名が、弁天町と大町だけなのですが、そもそも江戸時代の函館は入舟町・船見町あたりからせいぜい現在の豊川町あたりまでしかなかったのです(かなり大雑把に言っての話です)元々函館山麓には川と呼べる川がなかったため、ほとんど住民が井戸を掘って水を得ていたようですが、開国による人口増加で日本で2番目に上水道の整備がおこなわれたもののそんなに簡単にあちこちまで網羅できずにいたところ、石塚氏が谷地頭に自宅を構えるために井戸を掘ったところ、温泉が出て、それを市に寄付し、ずっと長い間市営温泉として(現在は民間委託していますが)市民のくつろぎの場となっています。

函館の歴史をちょっと調べると、とても面白いことがざくざくと掘り出されます。そんな函館はいくつもの面白い物語が作れそうな街なのですが、顕微鏡を持っている市民がそうそういるわけでないのがとても残念です。と、人のことを言っても仕方ないので、私もちょっと古びた顕微鏡で、また函館を見てみたい、そんなことも考えたりしています。




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