J

J_a0158797_00264569.jpg








いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

S

S_a0158797_00231172.jpg








いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村

高度経済成長と自民党_a0158797_22332397.jpg


さて、若い方々は教科書などで学ぶしかなかっただろうが、私が生まれたのは、日本に自由民主党という政党が生まれてから3年後のことだった。もちろん幼い頃は政治のことなどわかるはずもなく、また、若い頃は多くの若者がそうであったように政治に関心を持てなかった。政治というものは自分とは別世界で動いているものであると考えていたし、現代のように何かを発言しようとしてもその場所がなかったこともあり、政治について考えることなどほとんどなかった。だが、私が物心ついた時から大部分の時間、自民党が日本を支配して来たし、その時代を生きていたというのは紛れもない事実であり、世の中の変化は政治に関心がなくても肌で感じることができた。
私は政治学者でもジャーナリストでもないし、政治研究家でもないため、史実と異なることを述べてしまうかもしれないが、自民党が長期支配していた国の一国民として、一国民が感じた自民党の功罪を時系列的に述べ、私なりの解釈で戦後から現在までの日本の政治について述べてみたいと思う。

私が内閣総理大臣としてリアルに記憶にあるのは佐藤栄作氏が最も古く、時々テレビなどでその姿を見ていた。残念ながら佐藤氏の前の総理大臣池田勇人氏の記憶は全くない。よくよく考えると、佐藤氏が総理大臣に就任したのが1964年で、私の家にテレビがあったかどうかもわからない時代であったため、それ以前のことは自分の記憶のなかでの映像に残るわけがないのが事実だ。

佐藤氏の時代は、おそらく昭和の歴史の中で最も輝いていた時代ではなかろうか。東京オリンピックに象徴される敗戦からの急速な復興とその勢いを長期的に持続させた高度経済成長。それは、まだ子供だった私にも理解ではなく感覚として把握することができた。
その象徴的なものがいわゆる白物家電だった。裕福とは程遠い私の家にもテレビが置かれ、それが何年か経つと白黒からカラーになり、洗濯板が洗濯機(最初は脱水が洗った衣服をローラーに挟んでやるものだった)という画期的なものになったりいつしか冷蔵庫という食生活を大きく変える新兵器まで登場した。
そして子供としては何よりも願っていた電話機が我家の片隅に置かれたことは、世界が変わったような気持ちになった。思春期の私は、その電話で気になる女の子に電話という方法で話しかけることができるようになって嬉しかった。だが、今のように一人一人が携帯を持ち、直接本人に電話かメールをするというものには程遠く、家庭に1台しかない電話にかけるとまず相手の親が出て取り次いでもらうという関所のようなものがあった。「ちょっと待ってください」と言ってからしばらく間があると、本当に取り次いでもらえるのか、男の子と電話したらだめという家庭だったらどうしよう、など不安な気持ちが耳から頭にかけて強くなり、女の子が出た時にはもうそれだけで自分の望みが半分以上かなったような気がした。今から思うと、女の子が電話に出るまでの間がなんともいえない、まるで試験結果が出るまでの期待と不安が入り混じった長い時間だった。

これらのものは、私の家だけではなく、他の家に行っても当たり前に見かける、いわゆる一億総中流と呼ばれた時代の光景だった。人々はきちんと真面目にさえ働けば年功序列で給料も役職も年々上がって行くことが保証されていたのと同じだった。政府もいわゆる「護送船団方式」で、金融や公共事業などで企業を手厚く守っていた。後に日本は「資本主義国の中で最も社会主義が成功した国」と呼ばれるようになった。

ちょうど我家に前述の白物家電が揃って行った時代と佐藤栄作氏の長期政権時代が一致する。おそらく今の50代以降の者が「古き良き昭和時代」と懐かしく思えるのはこの時代ではなかろうか。その路線を築いたのが池田勇人氏であり、戦後最も優秀な総理大臣であったという評価もあるが、先ほども述べたように、リアルタイムに国のリーダーだと自分が認識して顔を覚えているのは佐藤栄作氏だ。
その佐藤氏は、戦後米国占領下にあった沖縄の日本返還を成し遂げ、世界的に有名な、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を表明し、後にリーベル平和賞を受賞した。そして、その後の日本の総理大臣を担う人材を多く育て、前後の混迷期から見事に脱し、安定的に経済成長を続ける日本という姿を世界に見せることができた時代だったのではないだろうか。

しかし、その反面、非核三原則の裏側で米国と有事の際は沖縄に核兵器を持ち込んだり通過さてもいいという密約を交わしていたり、優秀な人材を生んだがゆえに自民党に派閥という奇妙なグループが多数出現したり(派閥は佐藤時代からあったようだが)、70年安保闘争ではその終わらせ方に無理があったためか、後に連合赤軍事件という今では小説の中でしか存在しないかのようなグループの犯罪まで起きてしまった。

だが、マイナス点を差し引いたとしても、この時代は何度も繰り返し述べているように、日本には明るい未来が待っているかのような思いをさせる経済の成長や国民の生活の改善が確実に進んでいた、古き良き昭和時代であったのではないだろうか。そういう日本を築き上げ国民を引っ張った政党として、自由民主党は確固たる国民からの信頼を得ていたような気がしていた。

そして、佐藤氏の後に内閣総理大臣に選ばれた人物がこれまた強烈な人間だった。それは田中角栄氏だった。


いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)

 にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 人気ブログランキング     日本ブログ村