能力(成果)主義と私たちの仕事について(1)

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港が丘通りの風景。高校時代、函館公園の図書館へ行く散策路として何度も歩いた道だ。

戦後、ちょうど私の親にあたる世代は、戦争によって失った「まともな生活」を得ることを目指して懸命に働いた。みんな貧乏だった。まともに飯が食べたかった。日本も国内の復興と共に世界への復帰を図っていた。
そのための日本人に最も適した労働システムが、年功序列・終身雇用だった。これは、元来母性社会国家である日本の国民性に見事にマッチした。というより、母性社会だったからこのシステムが生まれたと考えた方が無理がないだろう。

このシステムは、不安定だった人々の生活にとって、「真面目に頑張って働けば、今年より来年、10年後、20年後にはより確実に豊かな生活が約束されている」と、モチベーションを高めるにはうってつけであった。その成果が後に世界第二位の経済大国や一億総中流と呼ばれる国として表れた。最も社会主義が成功した資本主義国家と呼ばれたこともあった。日本型復興政策は成功した。

ところが、それも1980年代までであった。当時の政府が米国の圧力によって採った政策が全てを台無しにした。そう、バブルだった。
人々は真面目に働かなくても大金を得ることを覚えた。人の心理と相場さえ把握できれば簡単に株や不動産で、とても真面目に働いただけでは短期間に手に入れることのできない大金をあっという間に手にした。買った土地やマンションが1週間後には倍で売れたという話はざらにあった。真面目な話をする者は「ネクラ」と呼ばれてのけ者にされた。いつも大笑いして派手に金を使い、ブランド物を身に付けることが当り前の「格好良さ」だった。クレジットカードの所有数が成功の証だと自慢していた。現金で買うのは馬鹿だと言う者もいた。みんな自分は成功者だと信じていた。

しかし、そんな狂気じみたことをいつまでも続けるわけには行かなかった。政府は当初のシナリオ通り、融資の総量規制と土地取引価格の規制に乗り出した。その少し前から大手都市銀行は融資を縮小し始めていた。金利を払ってもそれを遥かに凌ぐ土地や株の上昇率でカバーできた資金繰りに翳りが生じた。世の中の「浮かれ」に乗り遅れまいと、遅くに投資を始めた者は金利と目減りした資産減で痛手を被った。

真夏の夜の宴は終わった。そして、派手に遊んで捨てられたゴミや食い散らかされた後の腐った食べ物でいっぱいになったパーティー会場の清掃を行わなければならない時がやって来た。

(次回に続く)
by jhm-in-hakodate | 2010-03-15 23:10 | 社会・経済について | Trackback | Comments(0)