生物にとっての進化という勘違い

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今年1月に撮影していた柏木町の広大な敷地の古民家。今日たまたま通ったら更地となっていた。また、撮影した建物がひとつ消えて行った。

以前、人類が進化しているという勘違いについて記述したが、本日は生物全体の進化の勘違いについて話す。
まず断っておくが、これは約30年前に考え付いたものであり、その後特に情報をつぶさに調べていないので、学者が既に同様のことを述べているかもしれない。勿論、私は生物学者ではないため、その後の研究など全くしていない、勝手な思い込みであることをご容赦いただきたい。

結論から話そう。
生物は環境に適するためにその生物形態を変え、進化して行った、という説明には無理を感じる。

生物はその種の意志によって細胞を変化させる

これが私の考えだ。

普通に物事を考える人にとっては、とんでもない推理小説でも取り扱わない馬鹿げた論理だと思うに違いない。しかし、このことを考え付いた時に話した、当時北大理系(何学部だったかは忘れた)の学生からは支持された。

すこし詳しく話そう。
ダーウィンの進化論はその論旨に無理があると言われて久しいが、先ほど述べた環境に適合するために「進化」したのであれば、同じ環境下に棲む生物は似たような体つきをしていなければならない。少なくとも〇〇科の生物であれば、同じ地域に何種類も存在していることはありえない。

しかし、実際は津軽海峡にはイルカと鯨が共存している。ライオンとチーターも同じ地域に生息している。これでは自然環境が原因という説明では不充分だ。
種はその保存のために変化を必要とされる時期が必ず訪れる。種の存続の危機の時だ。この時、同じ種であったものでも、ある地域または環境下に生息していたものは存続のため巨大化を選んだ。あるものは逃げ足を素早くするために走行速度を上げることを選んだ。あるものは毒を発し、襲ってくるものを殺戮することを選んだ。あるものは背景と同一化した体色に変化させ、敵に気付かれないようにした。またあるものは自前の体力では存続がおぼつかなくなり、道具を使い敵を倒すため脳を積極的に働かせることを選んだ。

つまり意志が次の生物形態に変化する原因となっているのではないか、というのが私の考えである。意志といっても、私たちが将来自分は実業家になるぞ、というような意志ではない。とてつもなく長い時間に体験した事柄が遺伝子の記憶蓄積部分に残され、別に誰かに教えられなくとも天敵を知るというような本能と呼ばれる「意志」によって次第に体を変化させていく、と仮定すれば説明がつく。

これは特に生物の研究も何もせずに、人間というものを考えた時に流れで辿り着いた考えだ。この考えを基に人間というものを考察すると、現実に起きている人間の変化した細胞は「癌」である。
つまり、人間が目指している方向は破滅なのだろうか?
by jhm-in-hakodate | 2010-05-07 23:50 | その他雑感 | Trackback | Comments(2)
Commented by midy at 2010-05-09 15:46 x
その先へどう展開するかは別にしても「ダーウィンの進化論」には無理があるという説には同感ですね。
jhmさんの「意思」説も魅力的ですし、「突然変異説」も魅力的です。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-05-10 01:19
たいした知識もないのに偉そうに言いますと、「突然変異」は論理追究の放棄だと考えています。いわゆる「思考停止」と同様の思考経路であると思います。
理論は全て必然性の繋がりの連続で成り立つべきだと思っていますので、途中で途切れる理論はいかがなものかと考えてします。
そういう意味では、様々な学問はいずれ共通項のなかに全て収まってしまうのではないかと思います。それは、私は相対性だと信じています。