自由の女神騒動で現れた市民の思考

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八幡坂の風景。この坂を撮る時は、決して観光客と同じ角度では撮らない。この写真は歩道が海岸まで続くというコンセプトで撮影しました。(説明が必要なほど微妙なアングルになってしまった)

マルキタ北村水産の二十間坂の自由の女神像問題が発覚してから早や10日以上が過ぎた。最初の3~4日のツィッターやブログ等には反対という声が多く寄せられ、報道も市も迅速に対応をとった。
そして本日の北海道新聞に女神像の撤去を求める要望書を、16日像近隣の宗教団体3団体が連名で市に提出したとの報道があった。

私は改めてWeb検索等を行い、市民の考えを冷静に見てみようと試みた。一時的に過熱気味になっていたが、ある程度の時間を置いて、人の考えを聞いて再考することも必要だ。そして、このことを結果が出るまで継続的に発言していかなければならないと思った。

まず設置反対意見。これは非常に多かった。圧倒的多数だった。
理由は、景観を壊すというものが主流だった。表現や微妙な意味合いは異なっても主旨としては大差はなかった。このことについては後述する。
次に容認意見。
目立っていいのでは、寂しい西部地区を活気づけるのでは、という内容。
次に、両者の中間的意見。
この像はいただけないが景観条例には反対したい。同じく像は駄目だが経営者としては認める、という意見だ。

ここからは私的コメントだ。

まず、容認派の意見だが、それも確かにある。見方を変えると、西部地区は歴史を大切にし過ぎて華やかさに欠けるということもできる。だが、どのように華やかにしたらいいのだろうか?何とかの歴史村のようなものになればいいのだろうか?
私はついつい京都と函館を比較してしまうのだが、京都の名所周辺には風土と見合った落ち着いた売店等はあるが、名所そのものの華やかさを殺してしまうものではない。見事な庭園を観た感動と興奮を少し落ち着かせてくれる控えめな役目に徹している。だから京都の寺院の印象がいつまでも強く残り、再び訪れてみたいと思うのだ。
女神像にその役目はできないであろう。観光の主役を奪わない限りその存在意味は異質なものになってしまうのは否定できない。誰もが函館の観光ポスターや函館紹介のビデオの中心に女神像を使おうとは思わないはずだ。
また、よく函館と京都とは歴史の重みが違うのだからという意見を耳にするが、歴史を楽しむという点では異なることは決してないし、そのような「諦め論」を提示するのなら観光に代わる街づくりプランを具体的に示していただきたいと思う。

次に中間的意見の景観条例について。これは都市形成計画の問題に属するので単純には語れないが、確かに条例の内容、強制力、運用に現実的な問題はある。それは同意見だ。この条例が市議会で採択された時、私は函館に住んでいなかったのでその推移を知ることはなかったが、再度多くの市民の意見を集めて改訂すべき内容・運用があることは確かだ。
だからと言って条例を無くしてもいいとは思わない。ある人は「滅び行く街の魅力」が函館なのだからわざわざ手を加える必要は無いと記述していたが、自然の衰退に任せていると本当に滅んでしまいそうなのが今の函館だ。本当に滅んでしまった時に市民がどう生活をしていったらいいのかというビジョンは示されていなかった。
日本人全体にそうだが、函館市民には「街並」というものが文化であると認識していない者があまりに多数いる。その点では少しは欧州を見習ってもいいと思う。都市によっては、建物の形状や塗装の色、屋根の形まで厳しく規制している所もある。そのように自らを律して歴史を守り、観光客にいつまでも街の素晴しさを提供しようとしているのだ。そのような函館の現状を鑑みると、もっと厳しくしてもいいくらいだと思う。ただし、所有者には多大な負担をかけてはいけない。これは充分熟慮すべきだ。

次に、像はいけないが経営としては面白いという意見だ。これは、「人さえ殺さなければ彼はいい人なんだけど」と言うのと同じ次元のことだ。経営手腕に長けているのならもっと熟慮したはずだ。近くに寺院や教会があるのに自由の女神がなぜ悪い、などという発言はしないはずである。最も効果的な演出を考案し、いい意味でのサプライズを我々に体験させてくれたであろう。それが経営手腕である。
確かに水産業も様々な規制強化等でやりずらい面はあるだろうし、食の多様化もあって売上が厳しいのもわかる。だからこそ、何が最も受け入れられるのかを熟慮しなければならない。以前、小樽市銭函の企業で海商という海産物の廉価販売業者あった。TVでもチラシでも常に派手に宣伝し、露出度を高くして集客を図ったが、結局60億円の負債を抱え倒産した。ここも規模が大きくたいしたものだと賞賛する者もいた反面、取引業者や近隣とのトラブルが絶えなかったという話を聞いたことがある。
逆に販売業者ではないが、同じ小樽市銭函にある井原水産は水産業の業態転換に成功した企業だ。派手な露出はなくとも、時代の変化に対応し、魚からコラーゲンを抽出し健康系化粧品製造会社へその成分を提供している。社屋も応接ブースなどは全面白い壁と半透明ガラスで区切られた、まるでIT企業か化粧品会社にでも来たのかと錯覚してしまう仕様で、誰もが「本当に水産会社?」と疑ってしまうものだった。そしてこの企業は次世代技術の開発を現在某大学と協力して実践しようとしている。
このような努力が経営手腕であると思う。

最後に圧倒的多数の反対意見だが、基本的には私も賛同する。だが、忘れてはならないのはこのような騒動が起きる土壌を作ってしまったことだ。
ひとつは、金儲けさえできれば何だっていい、という土壌だ。次に本当に西部地区を守ろうという意識を浸透させれなかった土壌だ。この二つの土壌がなく、逆のものだったら北村水産も二十間坂への出店は考えなかっただろうし、市も建築計画時点でより厳しい審査を行っていただろう。我々のどこかにある「まぁ、仕方ないか」という心が許してしまったのかもしれない。
自分を始めとして大いに反省すべき点である。
by jhm-in-hakodate | 2010-06-17 23:36 | 函館の現状について | Trackback | Comments(6)
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Commented by uribon at 2010-06-18 08:40 x
こんにちは。いつもブログを拝見しています。私も写真撮影が趣味で名もない歴史的建造物が大好きなので、独自の視点での函館の風景をいつも楽しませていただいています。
一観光客の私ですが、最初に函館、特に西部地区に行って驚いたのは、超有名な観光地であるにもかかわらず、観光地ずれしたけばけばしい感じがまったくなく、落ち着いた町並みが保存されていたことでした。たとえば、10年ほど前に一度言った小樽は、あまりにも観光地化されていて疲れてしまい、2時間ほどしか滞在しませんでした。
たしかに、観光客の中には落ち着いた町並みを「寂れている」と感じたり、テーマパーク感覚で自由の女神も教会や寺院と同じ非日常的なものと見ている人もいるでしょう。でも、そういう人はリピートしませんから!かといって、どーんとお金を使ってくれるわけでもないんじゃないかなあ。
とにかく、このまま「ロードサイドジャパン」のような珍風景にならないことを願っています。そのために観光客にできることはあるでしょうか。(いつも同じような投稿をしてドン引させているような気がします。すみません)。
Commented by sy-f_ha-ys at 2010-06-18 22:37
本文でjhmさまが仰ったように、「まあ仕方ないか」という心が私を含めあるのでしょう。十年前の日和坂下の市営借り上げマンション建設も、旧安田倉庫の高層ホテル建設もその時は怒りこの町の景観の行く末を憂いながらも、時が経つうちに「仕方ないか」という気分になってしまったのが正直なところです。
もし我々が大正や昭和のはじめに生きていたなら、鉄筋コンクリートで建てられた東本願寺の本堂や、外壁が一面黄色の森屋デパートに対してどのような感情を抱いたのかなとも考えてしまいます。個人的に函館の街並みの魅力というのは、狭い場所に新しい建物に混ざって古い教会や寺院から民家・銀行・事務所・煉瓦の倉庫などが凝縮してあることだと思いますが、この自由の女神さんはやっぱりおられる場所が違いますよね。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-06-19 00:26
uribon様、仰るとおりです。テーマパークや遊園地的な演出は、この街には似合いません。
私は今のような観光地案内もない時期に少年期を過ごしましたので、普通の元町や末広町の風景が観光地化されていくのを見て、とても違和感を感じました。
保存や観光の意味で歴史的建物が修復されてきれいになったりするのは、ある意味いいことだと思いますが、明治・大正に建てられた建造物の威厳まで失う行為は自殺行為だと思います。
そのぎりぎりのラインを何とか保ってほしいものです。
いつもブログに訪れていただまありがとうございます。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-06-19 00:33
sy-f_ha-ys様、私も同じ事を考えます。
平成の今、函館ならではの建物を明治・大正の建物の中に混在させれば、何十年後かには新たな「エキゾチックな函館」がそこに健在していると容易に想像できますし、それができる素材がこの街にはあるのです。
だからこそ新しく建てるものには敏感になってしまいます。好きな函館が50年後に(仮に生きていたとして)今と同じように好きでいられるようにと願うのは私だけでしょうか。
Commented by midy at 2010-06-19 15:48 x
函館に明治〜昭和初期の建築物が多く残ったことの経緯は別にして、ベイエリアの一部を除けばその多くが現在でも生活空間として使われていることは町並みとして誇っていいことだと思います。それが「エキゾチック」であろうと「滅びの美」であろうと、今の函館人が先人から受け継いだ「ありがたい財産」なのではないでしょうか?
 景観というのは単独で成立つものではなく、周囲とのバランスの中で生きてくるもの。(駒ヶ岳だって独立峰だからこその美しさでしょうし、函館山だって藻岩山のような連山の中では・・・。)
明治〜昭和初期の立派で豪壮な建築物は日本中至る所に存在しているでしょうが、函館のように町家まで含めて市内(殊に西部地区)に散在している町って国内にはほとんどないのでは?
そんな微妙なバランスの上にある町並みがたった一基の像で崩れようとしたのを「市民の声」が押しとどめようとしている(ですよね?)のは、同慶の至りです。
でも、町に活況が戻って来て、市民が潤うようになった時に今の市民の大方の意識のもとだったら、どうなるんだろう?という懸念は消せないでいるのも確かです。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-06-20 00:51
midy 様、仰るとおり、偶然とはいえ、夜景とて湾の曲線がもたらした産物ですし、絶妙なバランスの上に独特な街並が形成されているのです。
これは、例えばオーストラリアのグレートバリアリーフのように、自然の産物と同等に慎重に取り扱わなければならないはずです。