参院選を終えて、幾つかの考察

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旧英国領事館のベンチ。妻はこの写真が座り物シリーズの中で一番いいという。画像はあまりよくないのですが、たぶん光と影のバランスがいいのでしょう。昨年7月撮影。

本来は3日前に書こうと思っていたのだが、個人的に突如の展開があり(3つ前のブログ記事参照)、話題性としては少し遅い本日の記述となった。

ご周知のように民主党が大きく参議院での議席数を減らす選挙結果となった。報道では右倣えで「民主党大敗」と報じた。確かに10議席も大きく減らした。だが、勝ったと思われている自民党の獲得数を単純に2倍しても102議席で、参議院の過半数には20議席足りない。
これは、前回の衆院選が民主党にYesを出したのではなく、自民党にNoを突きつけただけであるのと同じで、今回は自民党にYesを出したのではなく、民主党にNoというメッセージを出したのであると推測できる。
つまり、国民は迷っているのだ。どの党に政治を任せたらいいのだろうかと。

これは立候補者への投票についても言える。北海道の場合、6名立候補したが、我々はこの6名の中から選ばなければならない。自分の考えが一致しない立候補者ばかりだと誰に投票したらいいか迷ってしまう。
だからと言って棄権すると政治参加の機会を失ってしまうから、何かの理由をつけて誰かに投票する。妥協の産物だ。今回は「誰に投票したらいいかわからない」という巷の声をよく聞いた。

民主党は党内の人事が変われば施策がコロコロ変わる。自民党は自分たちが産み出したことを棚に上げて、まるで他人事のように自分たちが政権時代に作った問題に対処できない民主党を追及する。
つまり、どっちもどっちなのだ。これでは国民も迷ってしまう。

そして、何かがあればすぐ辞職しろと声高に表明する。ただでさえ首相が短期間で交代して世界的な政治の信用力がないのに、輪をかけた愚行を続けようとする。そのため、省庁主導の行政になってしまっていることも私たちは深く反省しなければならない。

だが、政治家ばかりを批判するつもりはない。なぜなら政治家は国民が作るものだからだ。
国民が明確にこのような議員がいたらいいとの世論を高めたら、そのような議員は現れてくる。いまだに人気取りのタレント議員が多く擁立されるのも、需要があるから供給されているという見方ができる。

一言にまとめると、政治はまだまだ過渡期にあり国民も考えあぐねている、ということではないか。
だから、報道が読者や視聴者の気を引くために派手に表現している「言葉」に惑わされてはいけない。自分なりの分析を行い、決してサッカーの試合のように勝敗を決するドラマの如く選挙を捉えるのではなく、自分たちだけではなく次の世代、次の次の世代への影響を冷静に思考しなければならないのではないかと思う。
なぜなら、政治は力学ではなく哲学なのだから。

さて、地元函館に目を転じてみよう。
道内都市で投票率が連続最下位だったのが今回やっと下位2番目に上昇した。といってもいまだ最下位争いをしているのだから喜んでもいられない。
そして、その最下位の帯広だが、函館と変な共通点がある。それは、どちらも閉鎖性が高い都市であると言われていることだ。函館に住んでいれば知ることもないかもしれないが、札幌から帯広に転勤し、その後ある会社の経営者となった方が、それを機に永住しようとアパートのすぐ近くに一軒家を新築したら、近所の方々の対応がコロリと変わったそうだ。アパート居住時に挨拶をしても応えなかった住民が、家を持つと普通に挨拶をしてくれるようになったそうだ。

閉鎖性の高い街に住む市民は、自分が何か言ってもどうにもならないのではないかという意識が強いのではないだろうか?あるいは何かを発言したり行動したりすると、周りからの冷たい視線が浴びせられることに怯えているのではないだろうか?だから何も言わない、何もしないことを生きて行く術として身に付けているのではないだろうか?

これでは街を「閉鎖している」側の思う壺である。
このような話題は一般的に鬱陶しく思われがちだ。それも閉鎖性の高いグループでの特色である。だが、誰かが声を出さなければ何も始まらない。
by jhm-in-hakodate | 2010-07-15 09:30 | 社会・経済について | Trackback | Comments(0)
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