函館の因果応報物語

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元町の函館山山腹附近の一風景。最近は構図が決まらないことが多い。これも意図とはかけ離れた出来上がりだった。

北村水産問題を考えていると、ある話を思い出した。関係がないようで、なぜか繋がっていく「因果応報」と呼べる一連の出来事だった。

昔、Aホームという建築会社あった。規模はさほど大きくないものの、B社長の実直な人柄で着実に建築棟数を増やしていた。B社長はある時に大きな話を得た。まだ畑や野地だった土地をかなりの広さで造成するという話だ。B社長はこのチャンスに賭けた。隣接する土地の所有者に声を掛け、造成候補の面積は徐々に拡がっていた。
ところがその途中、C建設という会社がこの話に入り込んできた。どのような過程があったかはわからないが、この造成の話はC建設が行うことになった。Aホームが辞退したわけではない。B社長が苦労し、複数の土地所有者の意志をまとめているところをC建設が横取りしたのだ。

結局、造成・販売はC建設が行った。その分譲地は高い人気を博し、順調に成約が続いた。土地にはC建設の建築条件を付け、土地が売れると同時に建物の受注も受けることになる。C建設は大きな利益を得た。ある場所に大きなビルを建てるほどまでになった。C建設お抱えの司法書士は、市内の司法書士事務所としては考えられない程の豪華な事務所を設け、連日ゴルフを楽しんでいた。

納得できないのはAホームであり、B社長であった。だが、じっと我慢して小さな造成地を作り少しずつ業績を積み重ねて行った。私もその時期のB社長にお会いしたことがあるが、本当に堪えている様子が窺えた。

この出来事は、当時の函館の不動産・建設業界では有名な話となった。そんな時、D社が西部地区にマンションを建設することで反対運動が起きた。D社は既に土地を購入していたが、地元住民から景観を壊すと強い反対を受けた。この問題に対し当時市長だったE氏は独自の判断でD社に建築許可を与えなかった。その時は、特に条例等もなかったため、市長権限での不許可だった。
土地を購入済みのD社は従うしかなかったが、関係者の話によると、捨て台詞として、「Eよ、今に見ておけ」と吐いたそうだ。

そんな折、AホームのB社長が亡くなった。まだ若かった。B社長の信望者も多く、経営者としてまだまだこれから充分活躍できる年齢だった。さぞ無念だっただろう。
それからしばらくして、C建設の役員の汚職事件が発生した。その役員はE市長の弟のF氏だった。新聞にも大きく取り上げられた。F氏は逮捕され、同時にC建設の斜陽化も始まった。そして、いつしか倒産した。
C建設のお抱え司法書士も、気が付いたら廃業していた。しばらくして、E市長も病気を理由に辞任した。

C建設が造成販売した地域のすぐ近くには、今郊外型店舗がひしめいている。全国どこにでもある陳腐な街並の完成だ。そして、市街地のバランスが大きく崩れ、駅前から西部地区の空洞化を促進する原因のひとつとなっている。

一部の人間のどろどろした欲望は、時には大きく街並を変える。そして、その結果として、その人間は滅んでもバランスの壊れた街並だけは残る。
by jhm-in-hakodate | 2010-07-21 10:21 | 函館の歴史 | Trackback | Comments(0)
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