二十間坂の行く末

今日の函館は久々に雨が降ったと思ったら叩きつけられるような大雨になり、その中で箱館奉行所のオープンを迎えることになった。このセレモニーと初日の館内の様子はハコダテ150+のスタッフ日記、「箱館奉行所、オープニングセレモニー会場前」と「初日の奉行所、篠つく雨の中多数の来館者」でリポートされているのでそちらをご覧ください。
さて、本ブログではしばらく北村水産の話題を取り上げていなかった。別に撤去勧告を受け入れたからといって安心したわけではない。それどころか、毎日帰宅する際に見上げる二十間坂正面の煌々と輝いている照明と派手な幟には腹立ちさをいつも覚えていた。
だが、当初から予想されていたことだが、当初の猛烈な反対意見の洪水がちょっと引けた頃から出現し始める「まぁ、いいんじゃない」という容認的な発言の出方を待っていた。それについてはhakodadid氏が色々なブログでの意見をまとめているので、そちらをご一読いただきたい。
これらのブログの中で容認的な発言をしている人は、皆軽い。重要な意味を内包している軽さではなく、ただ軽いと言わざるを得ない内容だ。だが、これは自然な流れだ。世の中の空気というものはこんなものだ。一時的にエネルギーがその問題に集まってもいつしか冷め、そのうち日常というものに回帰した者はいつまでもその問題に関わっている人間を鬱陶しく感じるようになる。そうすれば、その問題に取り組んでいる者は益々意固地になり時には過激になる。そうすると、日常回帰した者や容認派は反対派を異端視するようになる。
これが世の常であるので、私はしばらく様子を窺うことにしていた。だが、これからも時折この問題をいつまでも取り上げてその時点での問題提起をしていきたいと考えている。
失敗をする者の典型的なタイプとしてよく言われるのが、「今だけ、自分だけ」を大切にする者だ。北村水産は正にそれに当たる。自分の商売のビジョンは作っているのかもしれないが、函館という全体の中での自らの位置と函館の将来のビジョンを絡めた思考を全く感じさせない。
だから、放っておいてもこの会社はいずれ衰退すると予想できるし、その点だけ考えれば何も騒ぐ必要はない。だが、自分だけ滅びるのならいいのだが、函館全体が関わってしまっては迷惑千万。
北村水産や容認派の方々は、函館が駄目になるという重責を一生背負っていく覚悟はあるのだろうか?また、実際にそうなった時に復興させる心や施策や金の準備はあるのだろうか?
もちろんそんなことを考えもしないから、軽い言動ができるのだと思うからいつまでもこの問題を終わらせてはいけないと思っている。
では、現段階での問題とは?撤去されても残る店舗そのものと営業活動だ。この店はもう二十間坂の「顔」になってしまっている。そのような場所に位置している。明治館方面からロープウェイや教会方面に移動する観光客はその姿を必ず見ることとなる。これを商売がうまいと評価する者もいるが、所詮「今だけ、自分だけ」のうまさである。
小手先の演出に惑わされてはいけない。私たちは大きな視野で今後の函館を考えなくてはならない。そのためのデータ作りとして、8月に協力者を募り、二十間坂下で観光客・市民関係なく「二十間坂の景観」に対する意識調査を実施したいとここで表明する。
そしてそのデータをできるだけ広く公表して、多くの方の意見を集めたいと思う。今度は自由の女神像の問題ではなく、観光のメインストリートの景観に対する意識の問題についてだ。
後日、詳細をこのブログで報告する。

「そちら」で北村水産の他の店舗外観も見ましたが、あの場所に店舗を開くという時点で「赤信号」が灯ってたと言えますね。
市からの200万の補助金の一部が「自由の女神」の一部になったかと思うと残念無念!ですね。
「景観」は全体のバランスがあってこそ。ベイエリアから函館山を正面にしたメインストリートのエキゾチックな景観を「たったひとつの建物」がぶっ壊すことが出来るということを函館市民は改めて知らされたことと思います。
今、浅草で区の観光施設のビルが住民や近隣商店街、浅草寺の反対を受けている。
新しいものと古くからのもののバランスは確かに難しい。が、知恵を出し合えば「何とかなる」と信じたいものです。
よく破壊された自然を取り戻すには何百年、何千年もかかると言われますが、景観も下手をしたらmidy さんや私が生きているうちには取り戻せないような状態になるのかもしれません。