ワッショイはこだてに参加した

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出番を待つ出場者グループ。堀川町緑地帯公園にて。

私にとって人生初となる参加。昔の1万人パレードからずっと見る側であった。というより、あまり見ていなかった。函館在住の時はたいていこの時間帯は仕事だったため、パレードを避けるようなルートで函館市内を走り回っていたからだ。
ところが今年は会社の行事として参加しなければならなかった。

結論から言うと、祭りは見るより参加した方が面白い。

正直に言ってこの手のものは余り関心がない方だ。昔から祭り自体興味がなかったし、その時だけ人々が「弾けている」のはどうかと斜に構えた見方をしていた。
だが、年齢を重ねて行くうちにこのような催しにも一つのエネルギーが必要であり、それが集まらなければ実施できないと考えるようになると、それはそれで素晴しいものだと思うようになった。
特にこの祭りは、昭和9年の函館大火の翌年に被害を被った市民を元気付けようと函館開港の日に合わせて曜日に関係なく実施されている、市民による市民のための祭りだ。意義が深い。

いつものように前置きが長くなったが、さて、参加しての感想を。

まず、自分の役割がよかった。会社の保存用ビデオの撮影だった。試し撮りで家庭用ビデオカメラの画質に期待できないことがわかり、少しモチベーションが下がったが、パレードがスタートし、撮影の仕事が始まって被写体にレンズを向けるともうそんなことは忘れてしまった。というより、画質より構図だけを考えて撮ることに自然と意識が集中されていった。
被写体を追いかけて行くと、神輿を担いでいる者たちや踊っている者たちを、どう表現するかということばかり考えていた。これはいつも写真撮影している者の習性なのか。

ビデオカメラのモニターから映し出される参加者の姿は、至近距離でなければわからない「熱さ」を感じる。普段はきっと普通の人たちが、程よい緊張感の中、その人の持てるものを出しているのがよくわかる。
技術的なものよりも、その姿がこちらの気持ちを高ぶらせてくれる。おそらく、緊張感が最高に達する札幌の「よさこいソーラン」を関係者という立場で撮影したら、自分も興奮しまくりになるのだろうな、と思った。
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そして、同時に私も沿道の方々から見られていた。
これはやめられない。10代の時はコンサート出演者として、20代の時は高校生への進路に関する講師として人前に立っていた私には、スポットライト何とかという一種の精神的性癖がある。
人に見られるという緊張感は、その時は逃げ出したくなるくらい嫌になって自分が追い詰められるのだが、一度遠ざかると再び味わいたくなる麻薬みたいなものだ。
これは経験した人でなければわからないと思うが、病み付きになる。なかなか普段の生活では体験できないことだ。

だから、祭りは参加するに限る。
よくわからない結論となってしまったが、「食べず嫌い」をしていた人には是非お勧めしたい。そうすると見る側になった時もきっと違う祭りの見方ができるのではないかと思う。
また、沿道の観客に20代30代の若い方の姿を多く見つけた。これもいいことだ。まだまだ函館は捨てたもんじゃない。
by jhm-in-hakodate | 2010-08-04 10:32 | 函館で出会ったもの | Trackback | Comments(0)
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