海が好きで海で死んだ少年

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緑の島近くの海岸。

中学3年の夏休みはとても暇だった。普段遊んでいた同級生たちが高校受験勉強のため、みんな家から出られなかったからだ。中には親の手前、家に閉じ籠っていなければならない者もいただろうが、とにかくいつもの遊び相手とは会うことができなかった。

そんなこともあって夏休み中は2日に1日は自転車で穴澗に行った。多少の雨でも気にせずに穴澗を目指した。私は泳ぐというより飛び込み(ダイビング)の方が好きだった。より高い所から飛び込む恐怖感に打ち勝って空中を落下するのが心地良かった。そして、体が海面に突き刺さり、開ける海中のきれいな景色をしっかり眼を開けて眺めるのが楽しみだった。

当時は穴澗に吊橋があった。飛び込みの場所はいつもそこだった。そしていつもその場所には彼がいた。彼は同級生だった。彼は中学を卒業してすぐ就職する予定であったため、受験勉強をする必要はなかったのだ。
彼の「海好き」は常人離れしていた。毎年4月になると海に入っていた。冬でなければいつも海水に親しんでいた。そんな彼だから飛び込みの技術は私なんかより数段優れていた。私が少し躊躇してしまう高さも彼にとっては標準であった。もちろん潜水も得意だった。飛び込んでしばらく海中を彷徨い姿が見えなくなって心配になった頃、とんでもない所から浮上して顔を出す。その顔はいつも笑顔だった。

彼は自分の技術をひけらかさなかった。技術でははるかに劣る私を馬鹿にすることは決してしなかった。ただひたすら海が好きで、人のことより海と遊ぶことの方に関心が強かった。

中学を卒業するとみんなバラバラの進路となる。彼は潜水夫の道を選んだ。誰が見ても当然だと思える選択だった。そしてしばらく会うことはなくなった。私は高校に入るとより音楽に熱中して夏休みはギターの練習ばかりしていた。そのため穴澗に行くこともなくなった。

しばらくして、確か19か20歳の頃だと思うが、久々に会った中学時代の同級生から信じられない話を聞いた。彼が事故死したとのことだった。それも海でだ。

同級生の話によると、彼は船のスクリューに付着して絡まった海草を潜水して除去する仕事をやっていたのだ。一通り終わって一度海面に浮上したが、心配になり確認のために再び潜り、スクリュー附近に行った。その時、もう作業が終わったと思った船員が試しにスクリューを回した。
彼の首と胴体はスクリューによって切り離されたそうだ。

衝撃だった。死に方もそうだが、まだ10代で将来のことも何も考えず親のすねをかじって学生をやっていた自分にとって、その歳で「仕事で死ぬ」というのは全くの想定外のことだった。この世で起こりうる出来事の範疇には全然入っていなかった。

「もう、仲間から死人が出たのか」現実というものを知った。生きるということの厳しさを知った時だった。そして人生で初めて死を身近に感じた。

もうすぐ盆である。彼はあの世でも海で泳いでいるのだろうか?
穴澗に着くと、吊橋の近くの岩に腰掛け、こっちを見てニッコリ笑う彼の顔は一生忘れないだろう。
by jhm-in-hakodate | 2010-08-11 11:21 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)