二十間坂問題と市民

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今晩の二十間坂突き当たりの様子。ロープウェイの駐車場の空き待ちの自動車が坂に連なっていた。長い時間この風景を見た彼らは何を思っただろうか?

本日、「二十間坂の自由の女神像」撤去を求める電子署名による署名簿の提出が、署名活動発起人3名によって、函館市都市建設部と北村水産双方へなされた。
その模様は本日署名簿を提出した発起人の報告をご覧になっていただきたい。

さて、本ブログでも度々取り上げた「自由の女神像」だが、他のブログ等の話を見聞きすると、自由の女神そのものだけの問題に議論が集中して、その背景となる「景観問題」、すなわちこれからの函館をどうしたいの?という議論や地域の経済的問題等を置き去りにしたものとなってしまっている気がしてならない。
私がかねてから北村水産の姿勢を批判しているのは、単に景観の問題だけではなく、商業と歴史的街並との融合をどのように実践して行くべきかという点において、当該企業が全く何も考えていないという点である。

私も一会社員である。売上をあげ、利益を計上しなければならないのは充分理解できるし、それは現在の経済システムの中では当然のことである。あえてここで取り上げるのもどうかというレベルの問題である。
だが、それのみを追求するのは不可能である。なぜなら、あの世で仕事をしているのならともかく、この世で商売をしている以上は「社会」というものから乖離して存在することができないからだ。「社会」は経済だけではない。衣食住や文化や思想など多くの要素を含んで存在している。
北村水産の姿勢は「社会」の経済の部分だけを抜き取っているだけにしか思えない。だから批判を繰り返すのである。

それと同じ理由で、「自由の女神像」そのものだけに賛成反対を述べていても仕方ない。もちろんこの問題に内包する問題は数多くあり、今回の署名活動発起人の市への要望にも、景観条例の改訂を求めている一説がある。
ところが、その背景となる部分を置き去りにして「自由の女神像」だけが独り歩きするのは、これはこれで問題がある。この問題が終焉を迎えた時、最も大切な部分は語られずに、そのうち忘れ去られてしまうからだ。

弥生小学校の問題もそうだった。解体というひとつのシンボル的な出来事の背景にある市の姿勢、一部業者との暗黙の「約束」、対象校区の過疎化、その過疎化を促している住宅地の問題等語り合うべき問題が数え切れないほどある。
これらのことを私たち市民はなぜか語らず避けている。

ある市民と弥生小学校のことを話した時、一言で言えば「そんなの関係ない」と一蹴された。そこで、函館の現状、観光と経済の関係・西部地区と経済のことについてどう思うのか問い質すと、相手は口ごもってしまった。
これが一番恐ろしいことなのだ。このような無関心から北村水産のような姿勢が産まれて来るのだから。

そのため、この問題を「自由の女神像だけの問題」と認識されるのを避けるため、前回から「二十間坂」問題として取り上げているし、言葉もそのように使用している。いずれこれが「元町問題」となり、「西部地区の問題」となり最後には「函館の問題」となっていくであろう。それが自然であり当然である。

物事は全体と部分の双方が同時に必要であり、どちらかを優先すると必ず不均衡な状態で崩壊への道のりを歩むことになる。この度の署名活動はそのような問題の一部から全体の問題を喚起する意図もあると見ている。どうかそれを誤認なさらずに部分的な視野に留まることなくお考えいただきたい。

なお、提出前に一度停止した署名のお願いも、今回の北村水産の姿勢により再開されたようだ。
署名に関するページはこちら → 函館の「自由の女神」像の撤去を求めます
by jhm-in-hakodate | 2010-08-14 00:51 | 函館の現状について | Trackback | Comments(2)
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Commented by ayrton_7 at 2010-08-14 22:30
全ては函館問題としてとらえないと駄目なのですよね。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-08-15 00:17
その通りだと思っています。避けて通ったら、置き去りにするものがどんどん増えていくだけだと思います。