思考・表現について/通りすがり様への手紙

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宝来町の美容室。この建物が昔公衆浴場だったとはとても思えない。

昨日の記事に通りすがり様から下記のようなコメントをいただきました。私に対する否定的なコメントは今までも幾つかあり、その都度内容によって反省したり反論したりして自分の考えを表して参りました。
ですが、今回のコメントは何らかの手段により、「自己を表現する」そしてそれを見るということに関し、ある種の大切なファクターが含まれていると認識したため、異例ではありますが、形式としては通りすがり様へのお返事の手紙として、「自己を表現する」とはどんなものなのか、ということへの自分の考えを述べさせていただきたいと思います。

通りすがり様のコメント
どの記事もそうなんですけど、とてもナルシスティックで自己中心の考えが強過ぎる方ですね。
太郎様への返答も、midy様、 珈琲時光様への返答も、どうにも中途半端で、読んでいて不快感を憶えました。


「通りすがり様への手紙」

この度はご自分の感想を率直に述べていただき、大変ありがとうございました。
本ブログは、どなたでも自由にコメントしていただけるように設定してあります。設定機能の中には、全てのコメントを受け付けなくしたり、承認制をとって管理者が認めたコメントだけを掲載するという方法もありますが、私はいずれも採用しておりません。逆に色々な方からのコメントを毎日楽しみにしております。例え否定的なコメントであっても、それが自分にとって有益なこともありますので大歓迎です。
また、コメント投稿者同士が管理者である私を置いてきぼりにしてコメント欄で議論しても全然かまわないと思っております。
インターネットは、一般市民が自由に自分の考えを述べることを人類の歴史上初めてできた画期的な媒介でありますので、ある程度の理性と節度を守るならそれを制限する理由はないと考えております。営業目的の広告的なものは遠慮なく毎回削除しておりますが、その他のコメントは一切削除せず、このブログが続く限り掲載します。

前置きが長くなりましたが、自己中心的というご意見がありました。
結論から申しますと、全ての人間の表現・思考は自己中心性から逃れることは不可能です。
例えば、あなたが「太郎様への返答も、midy様、 珈琲時光様への返答も、どうにも中途半端で、読んでいて不快感を憶えました」と述べましたが、太郎様のコメントは戦争という大きな問題に関するもので、自分とは異なる考えを示されたため、それを一度自分の中に受け入れて自分が納得したお答えをするため後日返答するといたしました。また、midy様、 珈琲時光様のコメントも同様に私と異なるお考えだったため、「なるほど、そういう見方・考え方もあるのだ。それでは自分の考えに固執せず、実際にスターバックスができて利用してからもう一度考えてみよう」と思い、そのようなコメントをいたしました。
私の伝え方が悪かったせいもあるかもしれませんが、あなたが私のコメントを読み、なぜこの人は返答を先延ばししたのだろう、という意図を読み取ろうとしなかったのは、あなたの思考方法の自己中心性からくるものであると考えられます。ですが、それは仕方のないことであります。全ての人間の思考は自分が持つ思考方法で行うしかないからです。年月とともに思考方法は変化しますが、その時点では自己のものに頼らざるをえません。

だから、あなたを非難するつもりはありません。
いつノーペル文学賞を受賞してもおかしくない作家に村上春樹氏がいます。ある時、彼をナルシストだと一刀両断に分析した心理学者の記事を読んだことがあります。
私はその時「ナルシストで当り前じゃないか」との感想を持ちました。文学に限らず、何かを表現するというのは、自己が自分の描く物語の中に入り込まなければできないことです。あっちに配慮し、こっちも配慮して作ったものは中途半端な出来栄えとなり、胸に響かないものです。これは全ての表現者に共通するものです。

ただ、その自己中心性によってできあがったものが、普遍性を持つか持たないかによって芸術性が高いかただの独りよがりに終わってしまうかに分かれてしまうのも事実です。これは表現の宿命であります。
私のブログの場合、記事の他に写真も常に掲載しており、卑小な表現者の一人でもあるわけですが、きっとあなたにとっての「普遍性」を感じさせなかったのでしょうね。それはそれで真摯に受け止めます。

最後に通りすがり様へひとつ質問があります。
なぜあなたは、読んで気に入らなかった私のブログに対してコメントを投稿したのでしょうか?私であれば、そのようなものに接した時、つまらないと思いブログをすぐに閉じておしまいなのですが、わざわざコメントされたのはどうしてでしょうか?考えられる理由として、「不快だから不快と言ったまで」というものもありますが、もしそうであったとしたら、そこで思考停止をせずになぜコメントしたい気持ちになったか自己分析をしてコメントいただきたくお願い致します。
コメントをお待ちしております。
by jhm-in-hakodate | 2010-09-08 10:21 | その他雑感 | Trackback | Comments(10)
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Commented by uribon at 2010-09-08 11:14 x
jhmさん、こんにちは。いつもHAKODATE150から飛んで来るのでここ数日読みのがしていました。

今日の話題とは異なるのですが、私は函館のスタバが少し楽しみでもあります。噂では西波止場あたりにできるとうことですが、私が期待するのはスタバ目指して地元の若者が大勢やってくること。西部地区は観光客専用地区みたいになっていますので、もう少し地元の人と渾然一体となれるともっと面白くなるのではないかと思うのです。

スタバ自体は景観に合わせて開店するでしょうし、函館には全国チェーンが太刀打ちできない質の高いファストフード店がありますから、うまく棲み分けできるのではないかな。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-09-08 12:51
uribonさん、こんにちは。実は150+の個人ブログ更新情報の拾い上げ機能が調子悪く、メインページに網羅されていなかったのです。excite blogはみんなそうだったようです。
スターバックスの件ですが、自分が思ったより皆さんの評価が高いので、実際にできて利用してから自分なりの感想や評価をブログに記したいと考えております。その時はまたお読みくださいね。
Commented by ayrton_7 at 2010-09-08 13:29
お話はともかく、この写真、青い空にお洒落な建築の白い壁
いい切り取り方をされています。
主張はいろんな意見があるべきで、みんなが自分と同じ考えとは限らないと思わなければならないなぁと考えています。
Commented at 2010-09-08 17:05 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by キトラ at 2010-09-08 22:25 x
おおむね私も同じ考えです。
自分の考えを(絶対的にとまではいかないまでも)正しいと思い
それを他人に対して表現することは、見方を変えればある人にとっては
自己中心的であり、本人以外のすべての人にとってはナルシストであるかもしれません。
少なくとも私は自分について、そう思われて当然だと思っています。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-09-09 08:50
ayrton様、ありがとうございます。この写真の撮影の時、けっこう建物の前をうろうろして、やっとこのアングルを見つけました。褒められると、人から見て「変人」のようにうろついた甲斐があったと思います(笑)
考えがみんな違うのは当たり前。だから相手の「考え」も尊重しなければいけないでよね。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-09-09 08:52
鍵コメント様、ありがとうございました。これからも本ブログをお読みいただけますよう、お願い致します。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-09-09 08:55
キトラ様、その通りだと思います。正直に自己を表現しようとすると、誰でも自己中心的に見られるのは当然だと思っています。
Commented by midy at 2010-09-09 16:43 x
「blog」そのものがきわめて私的コミュニケーションツールであり、当然のこととしてその内容もまた私的であれば、ここに掲示されるコメントもまた私的であり、正しいかどうかは別に自己中なのは当然の帰結。その自己中の中にそれぞれの違いを認めあうのも「あり」だと思います。
それを認めないとなれば、2チャンネルのように罵詈雑言で罵りあう世界になっちゃうか、あっちにもこっちにも気を遣った何を言いたいのか分からないコメントになっちゃいますね。
blogって「自己中」でコミュニケートする、そういう媒体だと認識していれば良いのでは?
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-09-09 23:39
midy 様、全くおっしゃるとおりです。
皆それぞれ自己中心性の特質の違いによって「個性」が出るわけですから、それを認め合わなければ、世の中は今頃争いだらけのすさんだものとなっているでしょう。