死に場所を探す旅

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電車通あたりから見上げた八幡坂。

先日、同い年の友人が死んだ時、東京にいる友人にも訃報を知らせた。通夜が終わり、落ち着いてからその友人へ通夜の報告をした。その時彼から出た話が「リタイアしたら函館に戻りたい」ということだった。
彼は高校時代の同級生で、高校卒業後のほとんどを東京で過ごした人間だった。結婚も関東の女性とした。墓も函館から関東に移した。本人は完全に東京に骨を埋めるつもりだったはずだ。

だが、同級生の死を知り、自分の死についても考えさせられたのだった。その時、たいして好きでもない街で老後をあくせく過ごして死ぬより、函館で老後を楽しみ死んで行きたいと言った。
その気持ちは痛いほどわかった。私自身がそのために函館に戻って来た人間だからだ。私は40代からそう考えていた。それは、当時転勤族であったことに起因する。

約10年程前、私は転勤で新潟県に住んでいた。その頃ある原因不明の症状に時折襲われていた。普通に仕事や生活をしていると突然喉にまるで硬い金属の棒を押し込まれたような痛みが発生し、その痛みがすっと胃へ下りて来る。つまり上半身の半分に金属棒が入り込んだような状態になることが年に1~2回襲って来たのだった。
その時は、声を出すのはもちろんのこと、息をするのも困難に感じる程の苦しみを覚えた。対応策は、そのままじっと安静にすることだった。10分もすれば普通に息をすることができるようになり、無理をすれば仕事も再開できる。
だが、最初の1~2分は本当にこのまま息ができずに死んでしまうのではないかと思えるほどの苦しみだった。その突然の痛みが襲うのが何年か続いた。たまたま胸の調子も芳しくなく、一度病院で診てもらおうと思って近くの検査設備の整った総合病院にかかった。

病院はいつも混んでいた。1時間待ちなどは短い方だった。長い時で2時間半待ったこともある。その間に緊急患者として救急車で多くの老人が運ばれて来た。その多くが意識があるのかないのかわからないような状態であった。
その様子を見、自分の人生の半分はもうとっくに過ぎたのだ、これからはあのような老人となる方向へ確実に向かって行くだけだと自覚した。これは誰にも否定できないことだ。

新潟の人はいい人ばかりだった。素朴ではあるが内に秘めた自尊心と仲間を大切にする連帯意識は北海道にないものであった。二度目の新潟県転勤で、その良さはここにずっと住んでもいいと思わせるほどのものだった。
そして、本当にそのまま住み続けようと真剣に考えるようになった。転勤が至上命令である会社を辞め、新たな仕事を探そうと職安で求人情報を収集したり、借り上げ社宅をでるためにアパートを探したりもした。
そんなある時、妻に「ここに住むのならここで死ぬ覚悟にならなければいけない」と言われた。妻は安易に考えるなというつもりで言ったのだろうが、その言葉は深く考えさせられた。

死に場所として新潟県を選ぶのか?そのことについてだ。
新潟は確かにたまらなく好きだ。だが、本当に年老いて悔いなく死んで行けるかとなると、答えは違ってくる。その場所は北海道でなくてはならない。同じくらいの年数を過ごした札幌か函館だ。新潟県永住はそこで留まった。

たまたま新潟の次は札幌と転勤先が決まった。その時にもう北海道は離れないと心に決めた。その後苫小牧へ移った時、自分が死ぬ場所は函館でなければならないと気付いた。一番想いが詰っている街、函館で老後を過ごしそのまま死へと至るべきだと。

東京の友人も私もそうだが、心の深いところで死という事実を直視した時、究極の選択をすることになる。

人生とは死に場所を探す旅なのだと思う。
by jhm-in-hakodate | 2010-11-09 00:43 | その他雑感 | Trackback | Comments(4)
Commented by Masako at 2010-11-10 00:27 x
かつて私は、地元(函館)を離れたくて仕方ありません
でした。

そして案の定、進学を機に地元を離れ、首都圏で
暮らすことになったわけですが、夏休み、年末、
春休みと帰省を繰り返していくうちに、その気持ちは
徐々に変化していきました。
やっぱり、私が私らしくいられるのは函館なんだ。
そう感じ始めたのです。

今すぐに戻ることは出来ませんが、(悲しいかな、
そうしたくても出来ない現実)、きっと、きっと、
私が生涯骨を埋めるべき場所は函館である・・・
そのような気がしてなりません。そして、
そうなることを願っています。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-11-11 01:19
Masako 様がお幾つなのか存じませんが、いつか願望が必要性に変わることがあるかもしれません。
その時は迷わず(人を不幸にしなければ)実行すべきであると思います。
私も高校卒業時はとにかく函館を離れたかった者のひとりでした(笑)
Commented by P at 2011-02-24 03:52 x
検索でたどり着きました。心に響くエントリーでした。
まだ30代前半の若輩者ですが、昨夏、妹が病死し
それ以来、死と自分の人生について考えています。
僕もいつか死ぬ時は、産まれ育った町で死にたいです。
Commented by jhm-in-hakodate at 2011-02-25 01:08
P様、貴重なお話ありがとうございます。
希望が必要性となった時、実行に移してください。故郷を守れるのはそんな人たちです。