「先生」の一言

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特急列車の車窓から見る駒ケ岳。2009年4月撮影。窓のゴミが気になり、投稿をしていなかった写真。この角度からの駒ケ岳が、やはり一番美しい。

先日、函館西高の件を書き、その流れで自分の母校のことも書いたが、その母校での想い出について今日は話してみたいと思う。その前に、タイトルに「先生」と記したが、この歳になってこんな場所で先生と書くのも気恥ずかしい気がする。だが、どうしても「先生」と呼びたい恩師がいる。その先生の一言は、今でもことあるごとに思い出す。

私の母校の高校は服装が自由だった。そして、当時は皆髪を伸ばしていた。その中でもひときわ私は髪を長く伸ばしていた。当時自宅に風呂がなかったため、入浴は銭湯だったが、私が脱衣場にいると、入場してきた中年男性が女湯と間違えたと思ったのか、慌てて扉を閉じてしまったことがある。また、夜に埠頭で犬の散歩をしていると、漁船の乗組員からお誘いの言葉を掛けられたこともあった。

そんなわけだから、私が授業をサボって街を歩いても、高校生とはあまり思われなかった。これ幸いと私は学校を脱け出し、喫茶店へと向かうことが日常茶飯事だった。だが、出発点は学校である。繁華街に向かう途中で教師とすれ違うことがしばしあった。一瞬、まずいと思うのだが、何も言われずにやり過ごされた。
だいたい生徒玄関は常に解放されており、出入自由だったし、出掛ける様子は職員室から見えたはずだ。それでも、いくらサボっても教師からは何も言われなかった。

後から思うと、あんなに授業に出席せずによく卒業できたなと、不思議に思うくらいの欠席時間数だった。また、煙草の臭いをプンプンさせて授業に戻ったこともしょっちゅうあった。それなのに、3年間一度も注意を受けたことがなかった。
そのことを、社会人になってから2年・3年生の時の担任教師に訊いたことがあった。答えはこうだった。
「目標を持って勉強している者や、自分なりの考えを持って遊んでいる者には何も言う必要はない。何かあっても自分で考えるだろうから。注意しなければならないのは、どっちつかずの生徒だ」
つまり、一人の大人として見てくれていたのだ。
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母校。これも2009年4月に撮影。

だが、その担任教師に一度だけ怒られたことがある。
それは、高校3年の時、最も仲良くしていた同級生が学校に来なくなり、おまけに自宅にも帰らなくなってしまった時のことだった。私は行きつけの店などの何箇所かで彼と会っていた。そして一緒に酒を飲んだりもしていた。
それをどこで知ったのか、ある日私は教官室に呼び出された。

先生「おまえ、あいつとこの前の土曜日酒を飲んでいただろう」
私「はい、飲んでいました」
先生、一瞬間を置き、「馬鹿野郎!」と怒鳴った。「おまえ、あいつのお父さんのこと知っているか。お父さんはな、病気で下半身不随で寝たきりなんだ。自分の息子に何かしてやりたくとも、何もできないんだぞ。お父さんの代わりにお母さんが働いて、自宅に帰ってくると看病したりしてるんだ。そんな親の気持ちを考えたことがあるか!」

意外だった。てっきり酒を飲んだことを怒るのとばかり思っていたから、何も反論できなかった。その時は、同級生も大変なことをやってしまってるんだな、という想いが強かったが、自分が大人になり振り返ってみると、唯一叱られたその言葉は、その先生の人柄を表す素晴しい一言だったと気付いた。
本当にいい先生に担任になってもらった、と素直に思った。
自分より「先」に「生」まれて、人生というものを知っている。そして、必要な時にちゃんとそれを教えてくれる。

私はこの高校に入学して本当に良かったと今でも思っている。結局は人と人の認め合い、なのだ。



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by jhm-in-hakodate | 2011-01-18 23:40 | その他雑感 | Trackback | Comments(9)
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Commented by 3D Harmony at 2011-01-19 01:47 x
今回の記事、読ませて頂きました。

「目標を持って勉強している者や、自分なりの考えを持って遊んでいる者には何も言う必要はない。何かあっても自分で考えるだろうから。」
 こういう言葉、私の場合は掛けてもらえませんでした。私は3年時には授業をよく抜け出しました。学校のやり方に従っていては、到底、少なくとも私は大学には一発で入れないと思ったので、時間が迫ってきたこともあり、自分のやり方でやることにした訳です。担当教師はかんかんで、何度も呼び出されどやされました。授業を軽視されていると思ったようです。別に軽視してるわけではなく、単に、一発で合格するには優先順位はどうしても必要で、受験に必要でないものはとりあえずは後回しにするしかないだけだったのですが。直接話し合いましたが、残念ながらあまりわかってはもらえなかったようです。
(続く)
Commented by 3D Harmony at 2011-01-19 01:48 x
(続き)
うちはお金がなかったので、大学に入るならば、一発で、しかも授業料の安い国立だけ、という条件でした。そして、私自身、受験勉強という技術的で面白みのない事から一刻も早く脱出して、自分のやりたいと思っている事に挑戦してみたかったんですよね。

丁度、jhmさんの世代を境にして、変わっていったのかもしれませんね。「人と人の認め合い」は、私自身は先生との間では感じることはできませんでした。ちょっと残念。

長々とすいませんでした。
Commented by 旅人(休憩中) at 2011-01-19 15:15 x
とても良い先生にめぐり会われたのですね。
こういう校風なのでしょうが、「人と人の認め合い」って勇気が必要なことだと思います。
校則でがんじがらめにすることを教育だと錯覚している学校や教師の方がはるかに多いです。

私も大沼や小沼に映る駒ヶ岳大好きです。
残念ながら遊覧船やモーターボートがひっきりなしに
湖面を行き交うので鏡にような湖面に映える駒ヶ岳は
9時前でないとみられませんね。
せっかくの観光資源を台無しにしているように思えます。
Commented by きらら at 2011-01-19 22:37 x
例の、卒業生は芸術性が高いという高校に通ってました。
うちの高校も、私達の頃はかなり自由でしたよ。
先生達も、あまりうるさく言わなかったですし。
煙草のにおいをプンプンさせてても、「1日〇本以内にしろよ~。」って言う先生がいたり。
男子はよく「ヤニ切れだから行ってくる。」と言って、サボって喫茶店行ったり、パチンコ行ったりしてました。
私自信もサボりまくって映画観たり、買い物してたり、よく卒業できたものだと(汗)
当時の先生達が、自由に泳がせてくれたおかげだと色々と感謝してます。
あのロケーションの中を登校してたなんて、今思うと贅沢だったとなと思ってます。
Commented by jhm-in-hakodate at 2011-01-20 00:43
3D Harmony様、貴殿の時代にはどんな教育環境になっていたのか、実体験としてはわかりませんが、確かに世の中が「効率的」というものと「数字」というものを求めて行くと、管理して数字を上げることしか人間は考えないようですね。
以前書いた物理の加藤先生の一言をお伝えします。ある生徒が加藤先生に口答えをした時に先生が話したことです。
「君の言っていることが正しければ私はそれを認める。だが、そう思わなければ私は君を叱る」
人間対人間の会話でした。不条理なことはきっとたくさんあると思います。でも、今度は私たちが若い人たちや子供に、人間対人間の会話とそれに伴う責任を教えていくのが役目であるとは思いませんか?
Commented by jhm-in-hakodate at 2011-01-20 00:58
旅人様、私は学校の校則が厳しくなったのは、世の中の流れがあったからだと思います。父兄があまりにも学校の責任を追及すると、学校の防御策として校則で縛ってしまえば事が起きないだろうという考えではないかと思っています。
例えば、自分の子供の成績が悪ければ、「俺の子供だから仕方ないか」くらいの気持ちで親がいないと、次々と学校に要求してしまうものだと思います。そして学校は管理を厳しくする。そのスパイラルに嵌っていると考えることができます。

大沼の写真、私の父が昭和30年代に写したものがあるのですが、それこそ湖面が鎮まり、駒ケ岳がきれいに湖面に写っていました。その頃はモーターボートなど無かったのでしょうね。
Commented by jhm-in-hakodate at 2011-01-20 01:09
きらら様、お久し振りです。当時はそうでしたね。どこの高校の生徒も、学生服から煙草を出して、喫茶店で吸っていましたね。
その頃はまだ、高校生を大人見習いとして扱っていた時代だと思います。
高校が半分くらい大学の雰囲気を持っていましたよね。今は多分中学の延長みたいな部分が多いのではないでしょうか。

そうですか、もしきらら様と私の歳が近ければ、きっと大門辺りで本来の授業時間帯に見かけたのかもしれませんね。確かに制服を着た女子もその時間帯にあちこちで見かけましたね。
Commented by 3D Harmony at 2011-01-20 03:05 x
jhmさん(これからは先輩とお呼びしていいですか?)と私はおそらく10歳ぐらい違うと思うのですが、今思うと受験戦争まっただ中の世代だったかもしれませんね。

実は、学校の先生の中には、昔は函中はこんな感じじゃなかったと懐かしく語る先生もいらっしゃったので、そういう先輩が言う函中のいい面が、受験、合格者増加という目標の中で失われていった時代だったのかもしれませんね。

加藤先生とは全く接点がなかったので残念ですが、先輩が教えてくれたその加藤先生の言葉、あ、そういう先生もやっぱりいたんだと思えて少しほっとしました。ありがとうございます。
Commented by jhm-in-hakodate at 2011-01-20 23:05
3D Harmony 様、先輩後輩というより、多分互いに、これからの若い世代や子供たちに何を残さなければならないかを考えていく必要があると思うのですが、その点では仲間であるし思っています。
私も年上の人の、その世代の持つ良さを知ると吸収しようとしますし、否定もします。加藤先生もそんな感じで消化してください。