歳をとるということ

歳をとるということ_a0158797_2153888.jpg
湯の川・カフェ まるせんの「サラダと温泉卵のガレット」

本日は仕事は休みだった。しかし、お客様との約束があったため、午前から外出したため、いわゆる休みらしい休みではなかった。それは営業職に就いている宿命であるので何とも思わないが、困ったことに、その後に自宅で休んでもなかなか疲れがとれない。

以前であれば、休日の前日に夜更かししても、朝遅くまで寝て睡眠時間をそれなりに取ると、起きてから多少仕事をしても体は軽快であった。ところが、今は、たとえ遅く寝ても、普段と同じような時間に起きてしまうため、単に寝不足になるだけになってしまった。
そのため、休日の方がボーとしていることが多くなった。これは、思いたくないが、やはり歳のせいなのか?

確かに、4月終盤からのGWの連続勤務の疲れが、やっと取れたと実感できたのは5月末近くだった。それまでは、いくら早目に就寝しても、翌日のだるさに変化はなかった。本当に、より日々の生活を大切にしなければならないお年頃なのである。
歳といえば、私は50代に入ってはや3年目に突入した。こう書くとオヤジくさくなってしまうが、半世紀を生きて来たと表現すれば、なかなか格好いい。そこに歴史があるように錯覚してしまう。もちろんそんな立派なものは何もなく、単なる自己満足に過ぎないが。

さて、半世紀を生きて、自分が若い時と比べてどう変わったのか、ちょっと考えてみた。

まず、怒らなくなった。怒る対象がなくなったわけではない。が、怒るという表現手段を使わずに相手に対して主張しなければならないと考えるようになった。
驚かなくなった。これは自分でも変わったなと思う。色々な人間がいて、色々な行為が成されているのだから、多少のことでは驚くほどではないと思えるようになった。
人のいい面を見つけることができるようになった。本ブログで色々と批判を繰り返しているので、えっ、嘘だろう、と思う方もいらっしゃるだろうが、批判は何とかなって欲しいから述べるのだ。本当に駄目だと思ったら、何もそのことについては話さなくなるだろうと思う。まして、今は色々な人を取材させてもらっている。その人物のいいところ、作品の魅力などを見つけることができなければ、取材などできない。

瞬発的なエネルギーがなくなった。これは若い方に比べたら明らかに劣る。だが、このブログのように、日々の行動の継続は苦ではなくなった。もちろんできる作業の限度はあるが。
世の中のことを知れば知るほど、わからないことが増えてきた。40にして惑わず、などは無理だった。どんどん深みに嵌っていくような気がする。
多少のことで喜んだり、感謝したい気持ちになるようになった。色々な場面を経験すると、人の親切は本当にありがたいと思う。孤独の中でやらなければならない場面が多くあったから、人が手を貸してくれるありがたさを痛感する。

まぁ、ぱっと思いついたことだけ挙げてみたが、よくよく見るとこんなことぐらいなら、変わっていないのと同じではないか、と思えてしまう。それでも仕方ない。何せ、死ぬまで自分とは付き合って行かなければならないのだから、嫌な自分との対決も、これからも続けなければならない。
そうだ、死ぬまでだ。


いつもお読みいただきありがとうございます。ひとつ押すのも二つ押すのも同じです。クリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 
by jhm-in-hakodate | 2011-06-09 23:53 | その他雑感 | Trackback | Comments(2)
Commented by New-Ma at 2011-06-10 17:59 x
5月で40歳になりました。
ここ数年、特に休日を無為に過ごしてしまうと凄く勿体ないことをしたように思えて焦ります。
そして40歳なんで、あまりヘラヘラしないで威厳を保つようにしなければ、と思っています。
Commented by jhm-in-hakodate at 2011-06-11 00:00
New-Ma 様、どうぞあせらずに。休みたい時は休んで(実際にはそう簡単ではないが)、ともかく精神状態を「休み」にしなければできませんね。