蝕まれて行く幸坂周辺
ここ何日かで、弥生町幸坂近くの建物が無くなっていた。こういうものを見る時、複雑な気持ちになる。私たちは、また古い建物を失うと、残念だと言う。その通りだ。街並は一戸一戸の素敵な建物の連続によって出来上がる。何かひとついいものがあれば、それで街ができるわけではない。
それほど目に留まる建物でなくても、全体の一部を構成しているものだ。そして函館の魅力は、そんな建物が醸し出すにおいの集合なのである。だが、古い建物の維持は所有者に委ねられている。年数が経てば建物の老朽化・消耗は著しくなってしまう。冬は寒いであろうし、雨漏りもするかもしれない。そんな建物を補修して居住を継続するためには膨大な費用がかかる。まして昔の建物には駐車場がない。不便である。
それであれば解体して新たに違う場所に新築する方がいいに決まっている。
そう思う所有者・居住者のことをどうのこうのとは言えない。しかし、景観は市民の財産である。市民の財産が徐々に失われつつある。特に今年は顕著である。
解体した土地に、景観に順応する意匠を持つような建物が建築されれば、それはまだいずれ起こる新旧交代として捉えることができる。だが、解体だけであったり、新築してもどこにでもありそうなデザインの建物が建つと、街並は崩れていく。異国情緒の街函館から、単なるちょっとだけ歴史を感じさせるただの地方都市になってしまう。
それではどうしたらいいか。これは残念だが、行政に頼らざるをえない。ところが困ったことに、それなりに大きな補助金が出るのは、景観形成指定建築物か伝統的建造物だけである。それも主に建物の外観に対しての金である。これでは問題解決はできない。実際に内部で住んでいる人の、住環境保全のための修繕費は出ないのだ。例えば、内壁の補修や暖房設備の修繕、水周りの費用など、住民にとって居住する上で大切なものに対する補修工事費用は補助金の対象とはなっていない。(景観条例を読む限りではそうだ)
これでは、居住者が建物を解体して新築したいと思うのも無理がない。
建物は人が住んでこそ生き続ける
その住民の生活環境を整えるための修繕費を補助することも必要なのではないか。補助する代わりに解体の禁止等の非保存的行為禁止の厳格化などを盛り込んだ改訂条例を作るべきだ。
建物所有者の方々には勝手に思われるかもしれないが、景観形成建築物や伝統的建築物に指定された建物は函館市民共通の財産という認識をもっと強く広く知らしめるべきであると思う。それ以外の建物を含んだ街並も函館市民共通の財産である。それを失うということは、没落を意味するのだ。
そう、このままでは市民が自ら破滅の方向に向かっていると言われても反論ができない。
いつも同じことを話すが、この考えに異議を唱えるなら、函館市民が今後長きに亘って生活していけるような産業基盤を構築できる具体的代替案を示すべきだと思う。景観という、日本にとっても貴重なものを捨てても、得ることができる誰もが納得できる案をだ。
何代にも亘って100年ほど守られてきたものでも、解体はたった3、4日で終わってしまう。鉄筋コンクリート建築物でも1週間から10日あれば解体できる。100年のうちのほんの僅かな時間で、長い歴史を失ってしまうのだ。そして、それはもう二度と甦らない。再生が不可能であるということは、旧西警察署や建築中の弥生小学校を見て充分わかるはずだ。
函館独特の雰囲気を出してくれている建物たちに必要なのは、その建物を使用している人が快適に暮せるための、建物内部のリノベーションだ。中は全く新しいものになっても仕方ない。現代において、明治・大正時代と同じ生活をしろと言っても無理なことなのだ。実際にそのようにして外観を守っている建物は全国にいくらでもある。
放っておくと、気が付いたら何も無くなってしまった、となってしまいそうな、現在の西部地区である。
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帰省する度に、西部地区に空き地が増えてますし。
一番怖いのは、建築中の弥生小学校をこの目で見る事です。
今後、心配なのは、倒産した富士海洋土木の土地建物の処分です。弁天町附近にかなり不動産を所有していたようですので、その処分の仕方によっては、また西部地区の風景が変わるかもしれません。
都市・地域経済学では、人が住む地域を選択することを『足による投票』と呼んだりします。各都市を経済主体として考えるならば、住民の獲得に関して自由競争にさらされているのです。
ここで誤解されたくないのは、競争という言葉です。都市間の競争とは、街を魅力的にすることにおいて競い合うことなのです。
残念ながら財政的な余裕はありません。限られた予算の範囲でできることは何か考えていかなければなりません。
物的魅力にとりつかれている現代人は、その虚しさをとことん味わうまでは、物を貪い続けるのでしょうね。
物と金、一種の麻薬であるには違いありません。
その時もあちこちにある空き地や古く放置されてる建物の多さに、一種の怖ささえ感じた私です。
私が住んでる街の近くには、かつては陶器などで栄えた街が多くあります
せともので有名な愛知県瀬戸市や美濃焼の岐阜県多治見市から土岐市、瑞浪市・・・いわゆる東濃地方の街です。
それらの街は今や完全に斜陽化して、駅前はシャッター商店街で歩いてる人はホントにまばら・・・。
かろうじて賑わいのあるのは国道沿いだけ。
ちょっと前までは地元志向とか言って、地元に残る人が多かったのですが
最近は再び名古屋に流出する人が多くなったと聞きます
それはそのはずで
仕事もない、あっても賃金は超安い
それよりは、仕事も(よそから見れば)豊富で賃金も高い、おまけに物が豊富で便利な名古屋の方がいいはずで・・・・だから名古屋へ流れて行く人が多くなるんだろうと思います。
上のコメントを読んでいて
何となく、函館と東濃地方の街がダブってしまいました。
モノがあふれてる便利なところに住んでいて、あんまりエラそうなことも言えないんですがね。
そして最後の言葉、私もそう信じています。だからこれ以上失ってはいけないのです。
バブル崩壊以降、日本は不況から完全に脱していないように思われがちですが、物はバブル以前よりも溢れています。私たちは物が満たされている貧乏を今体験しているだけなのです。