プカプカ/1970年代

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ザ・ディランⅡ(セカンド)というデュオがあった。西岡恭蔵と大塚まさじのコンビだった。
この曲は、名曲と呼ぶ以外思い付かない。何人ものシンガーがカバーした。私も、70年代当時東雲町にあったGreengrassのミニコンサートで歌った。お客さんは喜んで聴いてくれた。

「プカプカ」(1971年発表)


70年代、今では伝説の居酒屋と呼ばれている、札幌の「エルフィンランド」という店によく行った。ある日、いつものようにカウンター席に座ると、店員の大槻まさしさんが、私に目配せをして左側を指した。そこで左側を見やると、一席挟んで隣に大塚まさじさんが座っていた。せっかくの話せるチャンスであったのだが、若かった私は緊張して何も話せなかった。いまだったら図々しくべらべらと本人と話すのだろうけど(笑)
夢のようだった。大槻さんに後から聞いたら、大塚まさじさんはよく札幌に遊びに来ているようだった。

エルフィンランドを経営していた中島洋さんは自主映画制作などを経て、現在「シアターキノ」を経営している。店員の大槻まさしさんは、一時道内向けの深夜TV番組で音楽や映画の情報を伝えていた。今、彼は何をしているのだろうか?
その頃、村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞をもらい、映画化もされていた。私がエルフィンランドで酔っ払い、地下街の通路に座り込んでいたところを、たまたま妹と友人が通りかかった。妹は、友人と映画館で「限りなく透明に近いブルー」を観た直後だった。友人と「何か薄汚くて嫌な感じの映画だったね。あっ、あそこにそんな感じの人がいる」と話した「そんな感じの人」が私であった。



中学生の頃、深夜放送を聴いていると、突然この曲が流れて来た。吉田拓郎の番組だった。当時から独特の雰囲気を持っていた。あの声でこの歌を歌われると、歌詞が全て納得できた。1972年発表の「ぼくの好きな先生」だ。

ザ・ディランⅡの西岡恭蔵も忌野清志郎も死んだ。どうして名曲を作る人は、早く死ぬのだろうか?70年代は日本もアメリカも混沌としていた。だが、人に影響を与える文化の力は強かった。そんな強烈な文化は今では発生しないだろうし、また、生み出すほどの能力もない自分がもどかしい。


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by jhm-in-hakodate | 2011-09-16 23:29 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)
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