どうして中心街が駅前なのか(3)
前回・前々回と美原地区を中心とする産業道路周辺の住宅地を否定的な論調で述べた。それに対して、お叱りとも言えるコメントをいただいた。断っておくが、私は特別に美原方面が嫌いであるとか、住民が嫌いであるというわけではない。ただ、美原地区が中心地化することに、函館の危機を感じてやまないからなのだ。
元々、今回述べようとしていたことに、その危機感も含まれていたため、まずそのことから述べよう。
今回の題材に対して数多くの方からコメントをいただいた。反対意見も多かった。それでこそある意味健全であると思う。だが、残念だったのは、前回私が述べた「観光に替わって函館市民が食べていける主幹産業をどうするのか」という問いかけに答えてくれた方は誰一人いなかったことだ。
街を整備して欲しい、利便性を良くして欲しい、などは消費者的発想だ。それでは、それを実行するための財源はどうするのか、税収を上げるためにはどうするのかという発想は置き去りにされている。国の税収と同じように、探せば無駄な支出は大いにあるだろう。だが、街を整備するという事業に要される金額はそのレベルを超えるところにある。その金をどうやって作るのか?また、今のままの都市形態を維持するにも金がかかる。人口が減り、高齢者の割合が高くなる将来、次第に要求のレベルが上がる市民の公共サービスを、減るであろう税収でどのようにカバーするのであろうか。それを補える、多額の法人税を納めてくれる巨大企業が誕生するのであろうか?
函館市の過去と現在と未来予測の人口を調べてみた。函館市のメイン市街地である、旧函館市(昭和48年、旧亀田市と合併した時の函館市)の、旧亀田市合併直後の昭和50年の人口は、約32万人であった。その頃、旧亀田市(主な地域は、富岡・美原・桔梗・中道・鍛治・本通・山の手・東山・昭和など)は、5万人強の人口しかなかった。ところが、住宅地の拡大によって、平成22年末には、約12万人が暮している。倍以上になったわけだ。ところが、函館市全体(戸井・恵山・椴法華・南茅部を除く)の平成22年末の人口は約約27.5万人しかいない。
これを何を意味するか?つまり、現在の市街地(戸井などを除く)は、約40万人以上が居住できる広さを持っているが、その7割にも満たない人口しかいないということだ。それが、平成47年には人口が19万人になるとの予測が発表されている。つまり、今の市街地の半分の土地は不要となるということだ。
これをもう少しわかりやすく説明しよう。かなり大雑把になるが、湯の川からの電車通りを函館港に向って万代町あたりで分けたとして、函館山方面でも、美原方面のどちらでもいいが、半分に人が全く住んでいないのとほぼ同じ状態だということだ。
もしこのような人口で現在の市街地を維持するとすれば、無人の半分の地域の道路の舗装の修繕や水道維持・下水の処理、ゴミの収集などを、誰も住んでいないのに行うのと同じことになるのだ。そうなると、公共交通機関などは、便数の増加などのサービス向上どころか、まだあるだけましという状態になる。恐らく減るであろう公務員は、その少ない職員数で、割合的に広くなった地域の公共サービスを行わなければならなくなる。当然公共サービスの質は低下するだろう。
これらを補うのがコンパクトシティなのだ。この考えは生産者的発想になるとわかるであろう。現状の社会を消費するという発想の下では、私の考えは、ネガティブだとか否定ばかりだとか思われるかもしれない。だが、どう思われようが来るものは来るのだ。今のままずっと暮していける可能性はかなり低いということだ。
さて、ここで言う消費者的発想とは、「現状の収入が続くと思い、より自己が受けるサービスの向上を期待し、社会に対して要求する」考えである。生産者的発想とは、「その消費を支えるために、経済的・社会的・地域的基盤を作る」考えである。この双方がバランスよく成り立っていれば問題ないのだが、今は、消費者的発想の方が世の中に幅をきかせているのが実情だ。だから国レベルでは赤字国債の発行を続けなければならないのだと思う。公務員の無駄遣いも、「自己が受けるサービスの向上」のためだ。
札幌のような大きな地域の中心地という役割が与えられている都市は、商業都市として成り立ち、消費者的発想が幅をきかせていても吸収できる部分が多い。しかし函館のような地方都市は、何かを生産していかなければ、衰退の一途を辿るだけだ。だから、市民は産業のことも同時に考えなければ、全体的な視野に立ったとは到底言えない。
とても残念なことだが、今の市街地を維持することは、将来的には困難だといわざるをえない。そのためには、市街地を縮小するしかない。市が今回発表した都市計画マスタープランで示した将来の市街地でも広いくらいだ。
では、街全体をどのようにコンパクにしたらいいか。次回はそのことを説明します。
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また基幹産業を育てなければならないというお考えには賛成です。現在、基幹産業が観光であることは確かです。私自身は、ノスタルジックな函館の旧市街地がとても好きですが、西部地域に来ている人たちを調査すると、同じような感情を抱くのは有る程度年齢のいった人たちで、若い人たちは満足していないようなのです。西部地域の景観を残しつつ、それを維持できる産業が必要です。
将来の人口分布は効率的でないというご指摘ですが、もはや生活に必要な病院などの施設は五稜郭から美原方面に既に分布しています。
平成22年末住民基本台帳調査では、函館駅よりも旧市街地方向の地域の住民の人口は約2万9千人で全人口の9割が、駅よりも五稜郭、美原方面に住んでいます。駅前をなんとかしようという発想は、先に述べたように一部の利権者がらみの話にしか聞こえません。
地価、地代が安くなれば自然に商業施設や住宅が立地するようになります。
それはともかく、たとえば、基幹産業を創出するのであれば、「函館の立ち位置」をはたして、この提案者がどう捉えているのかが見えてきません。ただ単に「こんなマチにしたら使い勝手がいい」という提案ばかりで、「函館」という地域が、北海道、日本、ひいては世界的にどんな立ち位置に立って、「産業を創出」としているのかという大きなビジョンが見えないのです。
反対に、そういうことを考えず、ただただ目の前の「快適」のみに囚われるのであれば、「ムラ」的なコンパクトシティに引きこもる計画を立てるしかないのでしょう。
これからの成熟社会において、函館の持つブランドとはいったいどういう事なのか、それならどのようにその強みを活かしたらよいのかというような、もっと突っ込んだ戦略が欲しいものだと感じましたね。賑わいは人が集まるから生まれ、人が集まるにはそれなりの理由がないと集まることはありません。
うん。なんて効率がいいんだろう。
問題は、この町の行政と市民に、その事が出来るかどうかです。
かなり荒っぽい手法が必要でしょう。不謹慎ながら、「出来るか否か」との事であるならば、私は、「否」に賭けます。再生する為には、破綻もプロセスのひとつです。