明治の渡島王

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北斗市中央にある種田邸。

明治自時代に「渡島王」と呼ばれた男がいた。種田金十郎である。金十郎は上磯の種田家本家八代目に当たる人物である。種田家の渡道は江戸時代初期にまで遡る。(以下、北斗市HPより)

「種田家は北斗市の旧家です。出処については慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦に破れた九州秋月家の庶流、種田権頭胤直が有川村へ佐井村(南部)経由で渡道したといわれています」

有川村とは旧上磯のことだ。写真は建物は分家もので、また、もうひとつ残る北斗市役所前の建物も分家のものである。基本的に種田家は大網元として名を上げ、財を築いた。その種田家の中でひときわ勢力を伸ばしたのが八代目の種田金十郎であった。(以下、北斗市HPより)

「本家は種田金十郎(8代目)の代に名声を博し「渡島王」と呼ばれました。場所請負人の岡田半兵衛から古平漁場の譲渡を受け、室蘭・小樽方面へも拡張し、戸切地陣屋の造営や箱館戦争等に松前藩
の会計方として深くかかわりました」

この金十郎氏、これだけではなかった。今の太平洋セメント(旧浅野セメント)の大元を作った人物なのだ。(以下、北斗市HPより)

「明治5年(1872年)、ケプロンの推挙により地質兼鉱山師長として日本に招かれた、ライマンによる石灰石鉱山(峩朗鉱山)発見を受けて、明治17年(1884年)、地元の有力者である種田金十郎が当時の建築技術最先端をいくセメント工場を資本金5万円で創設。(中略)しかし、セメントの製造法が国内でも周知していない状況の中で、経営不振に陥ってしまった。全国的にもこの頃、上磯セメントのような失敗例は石灰岩の採れる地域で見られるが、その中でも、上磯セメントは最も早い方であろう。(中略)日本においてセメントの需要が安定してきたのは、明治24年(1891年)の濃尾大震災において、洋風建築として普及していた石灰モルタル積みの煉瓦造りよりセメント建築の方が、はるかに安全性があると証明されてからである。また、大正12年(1923年)の関東大震災において、セメント需要が増加し、安定傾向に入ったことを考えれば、上磯セメントはやはり時期尚早という感が否めない」

「明治23年(1890年)4月10日、上磯セメントの経営不振による借財を肩代わりし、吉川泰次郎、園田実徳が北海道セメント株式会社を設立。資本金20万円。社長は浅野セメントと合併するまで阿部興人が就いていた。発起人や株主は在京の実業家や官僚と函館の豪商たちで占められていた。地元上磯の内海三貞、平野浅吉、関屋八太郎、そして上磯セメントを設立した種田金十郎も含まれている」

何と、明治の早い時期にセメントを建築資材として使用するために工場を作ったのだった。そして、長らく北海道のセメント業界の牽引役となっていたのだ。
ずっとどうして上磯があれほどの隆盛の跡が残っているのかと不思議に思っていた。まだ旅の手段が徒歩しかない時代の、函館からの最初の休憩地としての需要が高かったということもあるが、これほどの人物のお膝元であれば合点がいく。

そして、その上磯セメントが浅野セメントに吸収合併された後にできたのが、下の写真の「倶楽部」である。

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「大正8年(1919年)、セメント工場正門前を山手に向かってすぐのところにセメント会社の倶楽部が建てられた。1階には応接室、球技室、囲碁室、便所、洗面所などがあり、2階には集会室兼食堂、配膳室、談話室があり、本社および関連会社などからの来客に対する場として利用されていた。
広さは1階が74坪余、2階が48坪余の計122坪余あり、昭和になって内部の改装が行われ球技室などはなくなったが、不燃材を使用した外壁は当時のままである」(以下、北斗市HPより)

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鐘があったからでもあるだろうが、やはり、明治時代の函館周辺は、「実験場」であったのだろう。実験を繰り返していた時が一番輝いていたのだろう。




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by jhm-in-hakodate | 2012-06-10 02:13 | 函館の歴史 | Trackback(1) | Comments(0)
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Tracked from 関根要太郎研究室@はこだて at 2019-02-09 09:02
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