オリンピックの思い出

a0158797_23535294.jpg

今はオリンピックたけなわだ。
この記事も、男子サッカーの試合開始を待ちながら書いている。明日が休日であることがラッキーだ。

さて、オリンピックの思い出というタイトルで書き出し始めたが、私はオリンピッをは一度も現地で見たことがない。海外はもちろんのこと、国内で開催されたものもだ。
だから当然テレビ観戦であり、また、知人が出場したとかという特別な思いでのテレビ応援もない、ごく一般的なテレビ観戦者だ。

では、思い出とは何か?

日本で初めてのオリンピックである東京オリンピック開催の時は、まだ6歳であった。リアルタイムな記憶はない。しかし、小学校何年生だかの時に「東洋の魔女」と東京オリンピックで金メダルを獲得した日本女子バレーチームの大松監督の手記(子供向けの読み物だったと記憶しているが)を読んでからは、オリンピックというのは凄い舞台で行われる競技なのだと興奮したのを覚えている。

それからしばらくして1972年、札幌オリンピックが開催されることを知った。
函館と同じ北海道で開催されることに、にわかに自分の中で熱くなった。札幌オリンピックを題材にした、トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」のシングルレコードを買い、盤が擦り切れるほど聴いた。ちょうどその頃ギターを買ってもらった私は、ろくに弾けもしないのに必死にトワ・エ・モアの真似事をした。

そんなこんなで、一人で札幌オリンピック熱を日を追うごとに高めて行った私は、とんでもない行動に出てしまった。何と、オリンピックの思いを作詞作曲してしまったのだ。それだけなら、単なる独りよがりで何ということもないのだが、今思い起こすと、まさしく穴があったら入りたいほど厚顔無恥なことをやってしまった。


1971年、オリンピックの前年の12月のことだった。


作った曲の音符と詞をしたためて、当時の道内向け深夜番組であった、STVの「アタックヤング」というラジオ番組に送ってしまったのだ。今思うと正気の沙汰ではないが、やっぱり当時は怖いもの知らずの子供であった。パーソナリティは「ジャンボの兄い」というニックネームのあった、小林アナウンサーの番組にだ。




そして、ある時、小林アナの番組を聴いていると・・・・・・私の作った曲がピアノ演奏され、詞を小林アナが朗読するという形でOn Air された。







身が急速に縮まった。
深夜で自分の部屋に一人しかいないのに、赤面した。そして、急いで録音をした。次の日から、そのテープをこれでもかというくらい聴いた。だが、家族には話したが、クラスメイトには一切話さなかった。

私は昔から態度はでかいが、こういうことは言いふらしたりはしない。この性格は今も変わらない。どうもそういうのは苦手なのだ。
まぁ、今から40年も昔の話だから、もうそろそろ話してもいいかと、オリンピック開催中の今日、書いてみた。

高校を卒業して札幌に住んだ時、初めて真駒内に行った。地下鉄を降りるとすぐに五輪のマークがあちこちに見える。選手村だった高層住宅が市営住宅に変貌していた。そのマークを見ただけで感動した。
本当にここでオリンピックが開催されたのだと、開催から4年経ってから実感した。



オリンピックは、選手だけではなく、私のような世間を知らない地方の子供にとっても、夢の舞台だったのだ。




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ

函館愛ポストカード、ハコダテ150ショップで販売中 ⇒ こちら
函館写真、弥生町のみかづき工房で販売中 ⇒ こちら

*下のコメント欄を使って、皆様のご意見・考えを自由に述べていただきたくお願い申し上げます。読者様同士での議論も大歓迎です  
by jhm-in-hakodate | 2012-08-08 00:50 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://jhm1998.exblog.jp/tb/15929568
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。