SAPPORO(すすきの2)
すすきのは、何かを探して歩いてみると、何かが見つかる街だった。過去の話だ。
それが自分の期待通りのものとは限らない。全く逆のものを見つけてしまうこともあった。だが、それで少しずつ大人になることができた。
もがき、空回りをし、金を使い、時間を浪費し、少しずつ大人になっていった。
約30年以上前、すすきのラーメン横丁のラーメンは本当に美味しかった。真冬にみんなで酒を飲み、外に出ると酔いが一気に醒めるような寒さの中を、身を縮めながらラーメン横丁に辿り着くと、そこには身も心も温めてくれるこってりとした味噌ラーメンが待っていた。
気難しそうな旦那が無言で作る味噌ラーメンは、札幌に住んでよかったと思わせてくれた。
すすきのを歩いていたら、中国語の会話が聞こえた。函館でもよく耳にすることがあるので、珍しいわけではないが、自分にとってのすすきのでの雑踏に混じる音の一部としては、馴染がなかった。
すすきのは、叫びでも、大きな笑い声でもなく、体を近づけて囁くように優しく話すことが似合う街だった。
若い時、酔っ払って近くにあったベンチに座り、そのまま何十分か寝てしまったことが何度かあった。ハッ、まずいと目覚め、バッグを確認すると何も盗まれてはいなかった。それが昔のすすきのだった。
昔のすすきのは、女の子が一人や二人で朝まで安心して飲める街だった。今はそんなことはできないと聞いた。すすきのがそんな街でなくなった時期に、きっと札幌もつまらないただの都会になってしまったのだろうと思う。
札幌は地方から何かを夢見て出て来た人間の集まりだった。みんな顔には出さないが、寂しかった。だから知り合った人には優しかった。
男と女もそうだった。大きな街に呑み込まれないように、どこかで自分を繋ぎ止めておきたかった。
だから、すすきので知り合う男女が多かった。軽いわけではない。この街に住んでいるんだという実感を求めていたのだ。
でも結局は、狭くて寒い自分の部屋に戻って行く。まるでそこしか自分のいる場所がないかのように。
これらは私の若い頃の話だ。
今も昔も変わらない札幌がある。
札幌は、いつでも自分が街の中でストレンジャーになることができるが、
いつまでもストレンジャーでいなければならない。
いくらもがいても、人は札幌にはなれないのだ。
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