ホテル・カリフォルニアからの遺書(1)

a0158797_234395.jpg


その頃、真実はコーヒーカップの底にあり、宇宙は頭脳の中で漂っていた。
レコードの針を静かに下ろして、盤面に接する瞬間が全てであった。他には何もいらなかった。ほとんどものが価値を失い、光は必要なかった。

ただ想像があるだけでよかった。手に取って掴めるものより、捉ええ切れない概念がいとおしかった。自分の実体を持て余し、かび臭い本のページに頬擦りすることが至福のひと時だった。

どこまでも歩いて行けた。何時間でも歩いて行けた。リンゴが坂を転げ落ちるような理論的な動きなどなく、ただどこかに行かなければ自分が消えてしまいそうだから歩いた。
どこかで食事をして、誰とも話さず、また狭く湿った自分の部屋に戻る。そしてまた、静かにレコードの針を落とす。

そんな日々だった。


a0158797_065597.jpg



「マスター、ユキちゃんは今何やっているの」僕はそう言った。
「ちょっと病気をしててね、たいしたことないけど、今家で休んでいるよ」
ユキちゃんはマスターの妹で、二人は同居していた。
「この頃、しばらく見てないからね、どうしたのかなって」
「うん、まぁあいつもちょっと体が弱いからな」

どんな風に弱いのかまでは知らなかったし、訊こうともしなかった。弱いのだから弱いのだろう。それでいいはずだ。

「そうだ、今度競輪場に行ってみないか?」マスターはそう言った。
「競輪場?、別に興味もないし、車券を買う金もないし」僕は唐突な誘いに少し戸惑った。
「違うよ、オレもギャンブルには興味ない。競輪選手の筋肉の動きを見に行くんだよ。あれは一種の芸術だぞ」
僕は入場が無料だし聞き、いいよと答えた。

店の中には僕とマスターしかいなかった。こんなことは珍しいことではなかった。こんな状態で食べて行けるのかと不思議に思ったこともあったが、きっと大丈夫なのだろう、そういうものだという訳のわからない根拠で気にも留めていなかった。
きっと誰でも生きていけるのだ。きっと自分以外の人はそういう能力があるのだろうと思っていた。

店の中では「ホテル・カリフォルニア」が流れていた。


a0158797_0282456.jpg


「お母さん、唐突ですが、今私はホテル・カリフォルニアにいます。昨日からここに泊まっています。この便りが届く頃までいるかどうかはわかりませんが、しばらくは滞在しようと思っています。

こちらはとても暖かく、一昨日までいたデトロイトとは大違い。夕焼けもきれいで、どうしてもっと前にここに来なかったのかと少しだけ悔やんでいます。
でもそれが人生ですよね。その時が来なかったら、そのことは始まらない。あっ、ごめんなさい、意味のないことを書いてしまって。きっともっと前だったら、ここに来なかったかもしれませんものね。きっとそうだと思います。

日本を離れてもう2ヶ月経ちました。最初は時差に悩まされて、全然眠れなかったり、逆に一日中寝てしまったり。フィラデルアィアのホテルだったかしら、夜の10時に寝て、起きたら次の日の夜8時になってしまっていた。一日空白の時間ができてしまったのでした。
起きた時、もったいないことをしてしまった、と自己嫌悪に陥ってしまいました。だって、貴重な自分の時間を失ってしまっのですから。時間って、私のものだから。きっとこんなことを言うと、お母さんは「時間は世の中に平等にある」と反論するでしょうけれど、そうじゃないの。
もし私が死んでしまったら、もうそこで時間は止まってしまうの。もちろん誰でもそうだけど。だから、時間は人それぞれの所有物。だから私にとって、時間は私だけのもの。他の人の持っている時間と違うんです。私が死んだら時間はなくなるんです。

あら、ごめんなさい、変なことを書いてしまって。こんな馬鹿みたいなことを考えることができたのも、日本を離れたからなのかな?毎日、今夜の食事のメニューに頭を悩ませたり、玄関の靴を仕舞ったり、窓の淵の汚れを気にしたりする必要がなくなったから、思い切り楽しむことができているんです。

でも、たぶんここが最後の宿になると思います」


いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ

函館愛ポストカード、ハコダテ150ショップで販売中 ⇒ こちら
函館写真、弥生町のみかづき工房で販売中 ⇒ こちら

*下のコメント欄を使って、皆様のご意見・考えを自由に述べていただきたくお願い申し上げます。読者様同士での議論も大歓迎です  
by jhm-in-hakodate | 2012-11-10 00:58 | その他雑感 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : https://jhm1998.exblog.jp/tb/16769154
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by 吉ちゃん at 2012-11-10 19:18 x
谷地頭のホテルカリフォルニアは、引き受け手が決まったようですが、末広町のホテルカリフォルニアは、この写真のままなのですね。
休業して、もう2年? 3年? 人の手が入らないと、建物が朽ちるのが不思議に早まるのが哀しいですね。
Commented by jhm-in-hakodate at 2012-11-11 23:28
末広町のホテル、時間とともに修復するための費用が肥大するのが見た目にもわかります。
ますます、保存が険しくなってしまいます。困ったものですね。