市電開業100年と馬車鉄道と街

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今年の6月29日で函館の市電(路面電車)が開業100年を迎える。開業は大正2年(1913年)だった。北海道の中心地としての開拓事業が進んでいた札幌は、函館より遅れて5年後の大正7年(1918年)だったことを考えると、その頃、やはり経済力と進取性は函館が一歩抜きん出ていたと言わざるを得ない。

しかし、函館も札幌も最初から市が経営していたわけではない。函館は函館水電、札幌は札幌電気軌道が経営者として開業している。面白いのは、その開業の理由だが、札幌の場合、開道50年を記念して「北海道大博覧会」が開催されるのを機に整備しようとしたのに対して、函館は、函館水電の余剰電力を有効に利用しようという「企業戦略」から生まれたことだ。

このことからも、いかに当時の函館が経済が活発で、民間が新しいものに取り組む意欲が高かった街であったことがよくわかる。ちなみに、末広町に現存する「日本最古のコンクリート電柱」はこの函館水電が建設したそうだ。
そして、市営化されたのも、札幌が開業して9年後の1927年だったのに対して、函館は30年後の1943年だった。それも、経営企業である函館水電が2年前の「配電統制令」によって北海道配電株式会社(現在の北電)に統合されて強力な母体を失い、戦時下という要因も重なったことを考えると、それらがなければ、市営化はもっと先になっていたとも考えることができる。
この歴史の痕跡は、現在の北電函館支店が旧新川車庫跡地にあることからも窺うことができる。

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路面電車が誕生する前は、馬車鉄道が敷設されていた。これも函館が1897年(明治30年)に開業したのに対して、札幌が1909年(明治42年)と函館がはるかに早い。そして、函館が乗客輸送を目的としたのに対して、札幌は主に石材輸送を目的とした点においても、函館という街の賑やかさが道内随一であったと容易に想像させてくれる。

さて、函館の西部地区を歩いたことのある方は、僅かでも記憶があるかもしれないが、現在の電車通りから一本函館港寄りの道路に、歴史的価値のある建物が散在している。実は、この通り、馬車鉄道時代には線路が敷設されていたのだった。つまり、今で言う「電車通り」だったのだ。
当時は道路も狭く、終点で馬車鉄道を回転させることができなかったため、軌道をループ状にするしかなかったと想像される。そのために二本の道路が必要になったのだろう。それが現在の電車通りと函館港寄りの旧馬車鉄通りだ。そして、その二本の道路いずれにも主要な企業や銀行などが所狭しと建ち並んでいた。
それを知ると、国の重要文化財である「太刀川米穀店」などの建物が並んでいても全く不思議ではないことがおわかりになるだろう。

上の写真は、その馬車鉄通りの弁天町付近。中央より少し右の白い壁に瓦屋根の建物が、重要文化財の太刀川米穀店だ。

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緑の島入口付近。この辺りは元海産商の建物がいくつか残っている。

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現在「ベイエリア」と呼ばれている付近。この先に日本最古のコンクリート電柱があり、電柱の前には北海道拓殖銀行函館支店があった。

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現在の電車通りの一歩裏を通る馬車鉄通りは、「十字街」電停の先から方向を変え、「銀座通り」と呼ばれる通り(現在の宝来町方面ヘ向かう電車通りから一本函館駅寄りの通り)を大森浜方面に向かう。この辺りは当時、東京以北では最大の歓楽街であったと言われている。

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話を路面電車に戻そう。
今、世界的に路面電車は見直されている。環境汚染やエネルギー対策などの点から、注目されているのだが、それに後押しされたのかどうかはわからないが、札幌がこの度市電のループ化を発表した。札幌も2、3年前に予想される人口減少から都市計画の大幅な見直しをしたのも契機となったのだろう。

では函館は。

函館はコンパクトシティにならざるを得ない。これは避けようのない宿命だ。それができなければ都市として破綻する恐れもある。車社会という環境の変化によって、車での移動を前提とした都市計画での市街地拡大した後の人口減少は、税収が減少するのに反して、市街地を維持する経費が変わらなければ、破綻は目に見えてくる。
そして、高齢化率は非常に高くなるだろう。その中で、重要な役割を担うのは路面電車かもしれない。路面電車沿線の街を再構築することによって、コンパクトシティの機能は充実するだろう。というより、そうせざるを得ないだろう。街の構成というものを考えた時、選択肢は少ないはずだ。

「拡大」というキーワードは今や幻想に等しい。今後は、「充実」というものが都市の魅力となるはずだ。高度経済成長はずっと前に終焉した。だが、実態はそうでも、私たちの頭の中にはまだ「発展」は「拡大」だと刷り込まれているのかもしれない。その幻想を捨て去ることができた街こそが「発展」する世の中になるだろう。


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by jhm-in-hakodate | 2013-04-12 00:00 | 函館の歴史 | Trackback | Comments(0)