海の思い出はモノクローム

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個人的な話になるが、私にとって海の風景を頭に浮かべる時、出てくる画像はモノクロームになっている。特に函館の海はその確率が高い。

それは、きっと幼少の頃からしばらくの間、ずっと海の目の前に住んでいたからかもしれない。そして、父親が私や妹を撮った写真が全てモノクロームであったから、函館の海の記憶が白黒でこびりついているのかもしれない。

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何歳の時だったかは憶えていないが、すぐ上の写真のような磯船に乗ったことがある。父の知人が操舵する船で、父と一緒にどこかの埠頭から西埠頭まで函館港内を「渡し」のような感じで移動した。
その時、眼下の函館港の海水は澄んでいて、海底まではっきり見えた。子供の私には、それが恐怖だった。子供にとっては把握できない深さだった。もし海に落ちたら、と想像すると、船上の風景など楽しむ気持ちにはなれなかった。

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実際私は海に落とされたことがある。小学校1年生か2年生の頃だったと思うが、近所の女の子にふいに岸壁から突き落とされたのだった。海中に沈んだ瞬間、周りにいたチカがいっせいに散らばっていったのをよく覚えている。チカにとっては、突然舞い込んだ得体の知れない生き物に思えただろう。

海水越しに見える空に向かって浮上し、岸壁に付いている何かに摑まり、登って行こうとしたが、子供の腕力である。なかなか思うように登れなかった。その時、たまたま近くにいた船員さんが手を差し伸べてくれ、その手にしがみついて私は無事地上に戻った。

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突き落とされた原因は、何か彼女にとって気に入らないことを私がやったからだったのかもしれない。だが、もしその時、私が海中から浮上できずに死んでいたら、彼女は殺人者となる。子供だから刑務所には行かないだろうが、一生後ろめたい気持ちで生きていかなければならなくなっただろう。彼女の人生はズタズタになっただろう。
私が生きていたことは、彼女にとって幸運だったのではないかと思う。

その後私はしばらく間への恐怖を持ち続けながらも、岸壁で釣りなどして遊んだ。そして中学生の時に穴潤の吊橋から海へ飛び込むことを覚えて、恐怖感を克服した。だが、私が突き落とされたのを目撃した妹は、今でも恐怖感があるという。

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そんなわけで、私にとって海はやはり「男」なのだ。逞しい男だけが踏み入ることを許される男の世界だ。
そのような男には変な装飾は要らない。モノクロームの映像の中で、男たちは仕事をし、海を楽しむ。





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by jhm-in-hakodate | 2013-05-21 10:42 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)
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