函館古建築物地図(弥生町11番、12番)

<弥生町11番>
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弥生町11番は、千歳坂に一方が面し、南側(山側)の向かいに実行寺・称名寺がある場所に存在する。ここは、西中学校しかない。そして、隣接している旧西小学校との間には道路がないにも拘らず、中学校が11番、小学校が12番となっている。
どうしてそうなったかは、次の12番で述べる。

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(撮影日:2013年6月18日)

<弥生町12番>
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弥生町12番は魚見坂に一方が面する、11番土地続きになっている場所である。11番は千歳坂に南東側が面しているが、12番は北西の魚見坂に面している。そしてその中間にある船見坂は、この11番・12番で行き止まりとなっている。

さて、この12番だが、昔は住居表示がなかったと思う。なぜなら、この場所は、以前11番の存在していた船見中学校のグランドであったからだ。以前存在していたというより、建物はそのままであったが、6番で触れた愛宕中学校が閉校となった後、合併して西中学校となった。

それとは別に、後ほど記事にする弥生町22番には幸小学校があった。また、幸坂の上部、山上神社の下に常盤小学校があったのだが、双方の建物の老朽化と児童減少で、私がまだ10代の時に両校が合併して西小学校となり、中学校のグランドに新校舎を建てたのであった。
そのため、一つの大きな敷地に学校が2校存在することになり、それぞれに住居表示を与えたのだと思う。

この西小学校の合併の歴史はそれだけにとどまらなかった。つい最近、そう、弥生小学校がこの西小学校と合併した。その際に、新小学校の場所は現在の弥生小学校となることとなり、校舎も刷新されることになった。そして起こったのが弥生小学校解体問題である。

解体する前に、両行は合併し、旧西小をその校舎とした。そして名前は弥生小学校を残した。新校舎完成後、西小学校の校舎は使用されなくなり、函館の歴史の中でも短い存続期間の学校となってしまった。
この変遷は、そのまま西部地区の変遷とリンクする。弥生小・常盤小・幸小の3校は、全部回っても、大人の足であれば10分足らず済んでしまうほどの近距離にあった。つまり、それほど昔は子供がいたのだ。世帯がたくさんあったのだ。

弥生小学校の解体問題の根底には、人口減という要素が多分にあった。

(撮影日:2013年7月2日)



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by jhm-in-hakodate | 2013-07-25 01:39 | 函館古建築物地図 | Trackback | Comments(0)
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