人間嫌い

人間嫌い_a0158797_0233219.jpg

以前、食べ物の好き嫌いが多い人は人間の好き嫌いも多いと書いたことがある。
今回はその続編のようなものを書いてみる。

例えば、清潔好きの人。
ある時から、汗臭い男は嫌い、という女性が増えてきた。それに反応して香水やコロンなどを付ける男性が増えたような気がする。肌のために無香料無添加石鹸やシャンプーを使用している私にとっては、体ににおいを付けること自体が、体を汚している気がしてしまうのだが、それでも香水系を使用している人は増えている。

これについては、これまた以前書いた「うんちはなぜ臭いか」でも一部説明しているが、今回は違った角度から説明してみよう。
元来汗は体温調整のために発汗する。これは誰でも「頭」ではわかっているだろう。だが、それでも汗臭い男は嫌われる。どうしてだろうか?
ひとことで言えば、「人間が人間であることを受け入れることができない」ということだと思う。

だが、汗臭さが嫌われるにしたがって、人は汗をかくこと自体避けようとし始めた。その結果かどうかわからないが、体温調整機能に劣った人間が増えてきたように思う。いくら暑くても汗が出ない。また、暑くなったらすぐエアコンに頼り、体が温度に対応できなくなってしまう。

これが健全なことなのだろうか?

これは、大きな意味で「人間嫌い」が蔓延していることを表している。

人間嫌い_a0158797_117628.jpg

違った例を挙げてみよう。バスや電車のつり革を握ることができない人がいる。また、抗菌グッズ重宝する人もいる。確かに伝染病などは誰でも避けたいが、このような極端な人はやはり人間嫌いな人と言わざるを得ない。
なぜなら、もし本当に不潔というものを理由にしているのなら、世の中にあるいかなるものも触れることはできないはずだからである。ショッピングに行って気になったものがあったとする。すると誰でも手にとって見てみるだろう。服であれば試着してみるかもしれない。だが、それが直近で触った人が不潔な人ではないという保証はない。
また、唇は湿っており、当然空気中のばい菌が付着しやすくなる。それも夥しい種類のばい菌が唇には付着しているのだ。もし、不潔が本当に嫌であれば、ばい菌の移し合いであるキスは決しできないだろう。しかし、好きな人であればキスはできる。

そう、結局は好き嫌いの問題なのだ。他者を受け入れることができるかどうかの問題なのだ。
人を受け入れることができないことが正当化され、常識となっいる社会はやっぱりおかしい。病んでいる。病んでいる社会の常識は当然病んだものだ。ただ数が多くて、誰も病んでいることに気が付かないだけだ。

奴隷の人身売買が常識的に行われていた頃は、多くの人はそれを異常だとは思わなかっただろう。だが、今考えるとそれは誰もが異常だと思うに違いない。
今の「人間嫌い」の社会は人々の幼児化にある。それは別の機会に詳しく話そうと思うが、ともかく、正当性と異常性は常に紙一重の状態で私たちの不安定な共同幻想として存在している。




いつもお読みいただきありがとうございます。日本ブログ村北海道風景写真ランキングに参加しました。
どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 写真ブログ 北海道風景写真へ

by jhm-in-hakodate | 2013-09-17 02:08 | 社会・経済について | Trackback | Comments(0)