函館という街(1)

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以前、函館の街の形成について連載すると述べましたが、今回からできるだけ(笑)シリーズとなるように私の考えをお話ししてみたいと思います。

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と言っても、いきなり函館の街についてお話しするわけではありません。まず、街はどうして衰退が起きるのかということについて、私なりの視点から考えてみます。

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一番わかりやすい例が夕張でしょう。夕張市が破綻したのは皆さんご存知でしょうが、その原因は言うまでもなく、石炭炭鉱の閉山です。
閉山によって人口が減り、何かをやって街を活性化しようとしても大きな効果を得られず、結果的に日本で初めて自治体が破綻したのです。人口減によって税収入も減少するにも拘らず、平成の市町村の大合併はで、日本で最も広い面積を保有する市が夕張市だったため、その広い行政管理面積を僅かな収入で、なおかつ高齢者が多い中、運営を維持するのは困難であったでしょう。

ですが、これはそんなに遠くない将来、函館も少しずつ夕張に近付いて行きます。もちろん函館以外の市町村でも起こりうる現象でしょう。

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そういう構造的な原因が夕張を破綻に導いたことは簡単に説明できます。しかし、その前に大事なことがあります。それは、

「もともと夕張という街は、炭鉱という仕事があったから成り立った街であり、街に人が住んだのは、夕張という街そのものが魅力的であったのではなく、仕事があったからだ」

ということです。だから、そこに仕事が無くなったら夕張に住む理由が消滅するわけです。でも、仕事が無くなったら生きて行くために仕事がある街に行くのは当たり前ではないか、そうおっしゃる方も多いでしょう。
確かにその通りです。収入がなければ生きていけませんからね。
でも、例えば家庭で、夫の会社が倒産して家庭にお金が入らなくなったら、全ての家庭は崩壊し、一家離散ということになりますでしょうか?中にはそういう家庭もあるでしょう。ですが、多くの家庭では、今まで働いていなかった妻もパートなどの仕事に出たり、夫も必死になって仕事を探したり、あるいは自ら起業したりして家庭を何とかしようとするでしょう。

どうしてそのようにして頑張るのか?もちろん、そこに愛があるからです。

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もし、夕張に住んだ人たちが、夕張という街に愛情を持っていたら、何とかしようと頑張ったでしょう。この街が好きだから、これからもこの街で生きて行きたいから、何とかして仕事を作って生活ができるようにしたい、そう思うでしょう。
偶然かもしれませんが、一部の人は、夕張メロンという類稀なる逸品を創り上げ、夕張の破綻を少しでも引き延ばしさせました。

ですが、大部分の人は、夕張を去りました。結局、夕張は単に仕事があるから人が住み始めた街で、仕事がなければ、(悪い言い方をすると)街なんて用はない、仕事がある別の街に行こう、と思われる街だったということです。

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仕事があるから住む、だけの理由で人口が増えた街があります。苫小牧市です。札幌を除いた北海道の中で、人口が減少せずに横ばいとなっている数少ない都市が苫小牧です感覚的には人口が増加しているように思える街です。その大きな理由が、トヨタや北海道の貿易港として確固たる位置になっているほかに、もちろん昔からある街の中心的企業王子製紙の存在によるものであることは言うまでもありません。

だけど、街は殺風景です。新しく東部地区にイオンを代表とする、ロードサイド店舗が一見賑やかそうに感じますが、全国色々な街を見たことのある方であればわかると思いますが、そのような風景はどこか殺風景なんですよね。まるで見飽きた紙芝居をこれでもかと見せられているようで、何ら感銘を受けません。
逆に、その街に住む方々に、オリジナリティという感性や意地がないのか、という疑いを持ってしまいます。

残念ながら、苫小牧にはそのようなものを感じません。なぜなら、苫小牧に人が集まったのは、苫小牧が好きで移住したのではなく、ただそこに仕事があったから、それだけの理由で住んだ人が多いからです。だから、街のことなんかどうでもいいのです。街並が素敵であろうがなかろうがどうでもいいのです。

美術館もありません。若者が自然発生的に自分たちが楽しめる街も作られていません。ただただ全体的に殺風景な街です。
もし、何らかの理由でトヨタが撤退し、王子製紙も絶大なる街への影響力に乏しかったら、苫小牧は一気に寂しい街となるでしょう。苫小牧そのものに魅力を感じて住んでいるのではなく、仕事があるから住んでいるだけですから。

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函館も元々はそうだったでしょう。開港によって港町としての繁栄ができた街に、自分もそこで一旗あげたい。動機としてはそんなに変わらないかもしれません。
でも、たぶん(想像ですが)決定的に違うのは、

「この街に自分は骨を埋めるのだ」

という決意があったかどうかだと思います。明治時代、本州の自分の故郷を捨て、縁もゆかりもない土地に住み着く、それは相当な決意が必要だったでしょう。そして、また、やっぱり駄目でしたと故郷に戻ることもできなかったでしょう。函館は自分の人生をかけて生きて行く大切な街であったでしょう。む

自分のこれからの一生をかけて住む街であれば、できるだ街が良くなってほしい。こう思うのは当然でしょう。だから、商売に成功した者たちは、惜しげもなく、自分の人生をかけた街にお金や情熱を注いだのではないかと思います。

つまり、街に愛情を注いだということでしょう。だから、函館はこんなに魅力ある素敵な街になったのだと思います。ですが、それは街を生産する時代の話です。いつの間にか、街は消費されるようになってしまいました。

(続く)




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by jhm-in-hakodate | 2014-03-01 01:14 | 函館の現状について | Trackback | Comments(1)
Commented at 2014-08-09 16:08 x
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