言葉の代わりに写真を

先日、知人の息子さんで、ずっと家の中で車椅子生活をしている青年の写真を撮った。

本人ひとりだけであれば、緊張していい表情が出ないかもしれないからと、同じ車椅子生活をしている友達を招き一緒に撮ることとなった。

余談だが、その友達は、約4年近く前にこのブログでもお伝えした、ガンで亡くなった友人の甥っ子だった。そうとは知らずに偶然遭遇したのだ。これは、函館は狭いというレベルではない。もう運命と呼んでもいいだろう。あるいは友がその運命をあの世から演出してくれたのかもしれない。

撮影中は彼らとはそう多く話さなかった。撮影者に徹した。

撮影後、みんなでお茶を飲みながらカメラのモニターで撮影した写真を見てもらった。
彼らはとても喜んでいた。今度は元町公園で撮ろうと約束した。

普段は海を見ることがない彼らとって、この日の潮風と海の風景、海面の輝きは、ずっと記憶として残ることになるだろう。
言葉は要らない。心から楽しんでいる人をできるだけ透明な心で写真を撮れば、何かが伝わるはずだ。
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