トランプが大統領になったなら

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イスラム教徒入国禁止発言で物議をかもしているトランプ氏。誰もが支持率の下落を予想したにも拘らず、逆にクリントン氏を脅かすほどの支持率急伸を果たしているようだ。

ここで問題にしたいのは、トランプ氏の発言そのものではなく、その発言に対して「言いたかったけど言えなかったことをトランプ氏は発言してくれた」と思っているアメリカ人が多いことだ。それが怖い。

自由と平等の国という「建前」を基にしてきた国の本音は、やはり、銃で国土を開拓した歴史の流れを汲んでいる。「やられる前にやれ」だ。正確には、「やられると自分が思い込んだらやれ」という方が正しいだろう。
アメリカはそのようにして大国になって来た。

敵国との戦争は国外が主で、自国が攻撃されたことが少なかった。だから、9.11はアメリカ国民にとっては、かつてない悲劇となった。だが、冷静に考えてみると、この事件での死者は3052人しか過ぎない。アメリカが開国のために殺したネイティブやその後の戦争で殺した外国民の総数に比べたらほんのわずかの数であることは明白である。
それでもアメリカ国民にとっては「悲劇」なのだ。いいえ替えると、広島・長崎原発も、ベトナム戦争も、湾岸戦争も、一般市民を大量に殺傷したとしても、それは「正義」であり、「悲劇」とは決して思わないのがアメリカ国民の大多数だということだ。

しばらくの間、大きな戦争に加担していないアメリカだが、その理由のひとつとして国力の低下が挙げられる。自分の国の経済立て直しが急務で、ほかの国のことなど構っていられない、という事情も想像される。しかし、それを身に染みて実感しているのはアメリカ国民だろう。
だからこそ強気な発言をするトランプ氏に共感するものが増えているのではないか。

つまり、ナチスが生まれた国内背景に似ている、ということができる。
現在のトランプ氏の発言の勢いのまま当選し、大統領として政策決定をしたととたら、それは、「正義」ためではなく、「強いアメリカ」を再現するためのものになるかもしれない。
強さ(軍事力=暴力)は常に正義とは限らない。

それを私たちは擁護しなければならない立場になることを、政府は容認した。いかなる理由がとってつけられたとしても、殺人は殺人だ。非人道的兵器というものがあるが、逆に人道的兵器というものはどんなものだのだろうか。
どんな風に殺しても殺人殺人だ。それがわからない人々はどこか狂っている。

ISISは国家ではなく、単なるテロリストと呼ぶ風潮があるが、どっちにしろ人殺しを双方行っていることには何一つ変わっていない。よく国境を制定されている団体が国家だと言われるが、そういう理屈で言うと、南方の国境問題が解決されていない日本や中国は国家でははないということになる。

もっと根本的な視点で物事を考える必要がある、と私は考える。

「殺されるのは誰だって怖い。だから対抗策として先に打つ。それは相手にとっても同じことだ。そのやりとりを戦争と呼ぶか、テロと呼ぶかの違いだけではないのだろうか」

たった今この時間でも、自分の生き延びる場所を探して、シリア人は果てしない逃避行を続けている。それを私は暖房で温かくなった室内でこの記事を書いている。だからこそ、頭に弾丸が命中としたら、瞬間的に私たちは意識を失い、大量の出血をして息をひきとっとしまう、という想像力を、自分に起こりうることだという想像力を身に付けなければならないと思います。



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by jhm-in-hakodate | 2016-01-07 23:19 | 社会・経済について | Trackback | Comments(0)
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