失敗する者のある心理

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何も偉そうに語るつもりはありません。自分にも当てはまることだからです。
でも、見事にそのようなパターンで失敗している人を見ると、自分への戒めを込めて、こんな言葉が頭に浮かぶ。

失敗する者は、いつも次に自分に都合がいい状況が用意されていると信じている」


こういう言葉が40代になってから頭に浮かんだ。自分はどうだったのろうか?
この言葉を別の一言で表現すると「おごり」ということになるのだろうけど、とにかく、何か失敗する者はそのようなパターンの思考が裏に見え隠れする。

例えば、ある夫婦がいたとして、その夫が妻に半日常的にDVを犯してしたとする。最初は耐えていた妻も我慢ができなく、また、身の危険を感じて離婚を考えるようになる。そこで示談で離婚が成立すればいいのだが、それが夫が反対すると結局裁判をしなければならなくなる。
夫の暴力行為は当然離婚請求の正当的理由になる。そして夫は敗北し、不動産や預金を所有していたら、財産分与をしなければならなくなる。夫からすると、「自分にとって都合の悪い状況が次々と現れてくる」ということになる。

ところが、まずDVをする行動の心理の底には、「暴力をふるったら、妻は反省し、自分への態度を変えるだろう、という都合のいい未来を無意識にそうぞうしている。そのための暴力であったとする。もちろん単にすぐ感情的になって殴ったという理由を述べる者もいるかもしれないが、その裏には、感情的な行動をしても自分への非難はないだろうという都合のいい状況を想定しているのではないかと思う。

そこで、相手は都合のいい状況とは正反対の行動に出る。つまり裁判だ。裁判が始まっても、夫は暴力行為を妻に対して行っているにも拘らず、自分は間違ったことをしていないと主張するかもしれない。それによって、これまた自分にとって都合のいい状況が訪れるかもしれないと考える。

ところが、暴力をふるっていたら、当然勝ち目はない。当然の如く、特別な情状酌量の余地がなければ、離婚と財産分与・慰謝料の請求という、最悪な判決および命令を受けることになる。この時初めて「都合のいい状況はこなかったんだ」ということに気付くであるう。

これは一個人の例としての仮定の話だが、この考えは社会全般で見られる。会社経営がまさしくその通りだ。たまたまある手法で資金繰りを上手く回せたとして、それが何度か上手くいくと、これからも都合のいい状況をまた作れると錯覚してしまう。
それを許されるのは、「自分に都合がいい業況」をたゆまぬ努力で実現された者だけだろう。その他の者はこのパターンに当てはまってしまうのではないかと思う。

ライカを買ったら今までよりもいい写真が撮れるだろう、という都合のいい状況をそうぞうしている私もまた失敗者の一員なのかもしれない(笑)



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by jhm-in-hakodate | 2016-01-24 23:52 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)
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