世の中の99%以上はめんどくさいでできている
めんどくさい本人が言うのも気が引けますが、世の中はよくよく考えるとめんどくさいことが充満していますね。たぶん私もめんどくさいオヤジと見られているのかと思うのですが、その私が、この人めんどくさい、と内心鬱陶しく思ってしまう人がけっこういます。(もちろん言葉には出しませんが)
でも、よく考えると、それはきっとお互い様なのでしょう。
どうしてめんどくさいと感じるか、を考えてみますと、結局自分の思考回路にすんなり溶け込まない人は「めんどくさい奴」ということになってしまうのではないかと思います。例えば理屈っぽくてめんどうくさい、YesかNoのどっちかでいいんだよ、と考えてしまうタイプの人からすると、たぶん私のようなあーでもないこーでもないと話す人間はとてもめんどくさい人間に見えるでしょう。
でも逆に理路整然と考えたい人からすると、理論的な話をすることに鬱陶しさを見せる反応をする人間がめんどくさいと思うでしょう。「ちゃんと人の話を聞いてから考えろ」と思うでしょう。
結局、そんなどこかで絡まない人間たちと関わり合いを持って行かなければならないことは、人間にとって、とてもめんどくさいことなのです。だから、違った見方をするとほとんどの人がめんどくさい人間なのではないかと思うわけです。
最近そのめんどくさいものの最たるものがアートなのではないかと思ってしまいます。
色々な方々の作品を見れば見るほど、ひょっとしたら自分はとてもめんどくさいものを見てしまっているのではないか、と考えてしまうことがあります。
違う見方をすると、世の中がそれだけめんどくさくなっているからアートもめんどくさい表現になっているのか?とも思えます。そして、ひょっとしたら世界最高のアートはトイレのマークなのではないかと考えたりします。あれほどシンプルで、あれほど誰にも理解され、説明文も何も必要としないアートは他にはないのではないでしょうか?
そんなことを思いながらも、結局まためんどくさいものを見て、めんどくさい人たちと関わり合って、こんなめんどくさい文章を書いて、次の写真展はもっとめんどくさい写真にしようと思っているのですから、やっぱり私もめんどくさい人間です。はぁー、ほっといてください(笑)
そして、明日からまためんどくさい日々を送ることになるのでしょう。
註:写真は本文で表現しているものとは全く関係ありません。また、文章も一般論として考えたわけでして、具体的に私の身近の誰かを指しているわけではありません。私とお知り合いの方々、楽しくやりましょうね(笑)
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