平成は大地震の時代

a0158797_22234791.jpg

平成は震災の時代だった。まだ平成が終わったわけではないが、もういい勘弁してくれと言いたくなるほど、私たち日本人は目を覆いたくなるような悲惨な光景を目の当たりにされてきた。

平成の震災による悲劇は北海道南西沖地震から始まった。
それは平成5年7月12日午後10時17分、私はちょうど仕事から遅く帰り函館駅前付近を走っている時だった。突然車のハンドルが左側にぐいぐいと引っ張られた。右側に何度ハンドルを切ってもそれ以上の力で車は左側に吸い込まれるように向って行った。最初はタイヤがパンクしたのだと思った。やれやれ、ともかく減速し様子を見ようとした時に何気なく街路灯を見たら大きく揺れていた。それでやっとこの異常な車の状態が自身の揺れによるものだと判断した。
そこで私は駅前の高層ビルの前を静かに通り過ぎ、建物が倒壊しても車まで被害が及ばないだろうと思われる2階建ての建物の前で一時停止し、地震の様子を窺った。
少しして完全に揺れが止まったのを確認して車を発進させた。25年も前のことだが、その時の恐怖は鮮明に覚えている。
幸いに自宅には大きな被害はなく胸を撫で下ろし、通常通り眠りについた。しかし、翌日震源地に近い奥尻島の被害の状況をニュースで知ると、理解することのできない出来事が起こっていたことがわかった。津波や火災で小さな島の中で多数の人々が亡くなってしまっていたのだった。

結局この地震での死者は202名だったそうだ。津波は10メートルの高さまで達したようで、これが都市部であったら被害者はもっと増大していたのだろうと思った。

それからたったの2年後の平成7年1月17日、あの阪神・淡路大震災が起きた。翌朝のニュースではとてつもない大きな地震が発生したことがわかった。未曾有の規模の被害だった。まるで地獄絵図のようだった。

そのボロボロになった市街地がやっと落ち着きを取り戻した頃の平成16年10月23日、新潟県中越地震が発生した。その何年か前に、私は新潟県に住んでいたため、気が気ではなかった。知人に電話し無事を確認したり、現地の情報が知りたくてたまらなかった。
ひの中で、私が仕事で度々通っていた道路で崖崩れが起き、親子3人の内2名が死亡、無小さな子供だけが偶然できた空間の中で生きて救助されたことは記憶に新しい。そこは、もし私がそのまま新潟にいたら、ひょっとしてたまたま通り、私が被害を受けていたかもしれない場所だった。本当にこれは運命というしかない。

そして平成23年3月11日

我々の想像や仮定をはるかに上回る規模の津波が発生した東日本大震災。死者数や行方不明者数などは記さない。それは現地を見て人間として受ける感覚で推し測った方がいいだろう。ともかくつなみによって「何も無くなった」それが全てだ。

まだまだ追い打ちをかけるかのように、平成28年4月14日、熊本地震が発生。


そして今日大阪で。

考えないようにと思ってもついつい、「次はどこだ?」と余計な憶測と、繰り返される惨状の記憶。
もういい加減にしてほしい。私たちが生きている間に、地震だけでこんなにつらい思いをさせられるなんて。

ともかく、今は、今日の地震で命を落とした方たちのご冥福を祈るしかない。




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
にほんブログ村
by jhm-in-hakodate | 2018-06-19 00:29 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://jhm1998.exblog.jp/tb/238608748
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。