地震・停電の函館で思ったこと

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ご周知の通り、9月6日午前3時8分けたたましいスマホの音で目覚めた。地震発生を知らせるアラートだった。しかし、それと同時に地震は起きた。久し振りに体験する大きな揺れだったが、揺れている時間が短かったために強い恐怖心は持たなかった。その後の情報収集で函館は震度5弱であったことがわかり、自分が体感した感じとだいたい一致していた。1968年の十勝沖地震で当時の震度で5、1993年の北海道南西沖地震での震度4の方が強い恐怖心を持った。いや、その経験があるからそれほど大きな被害にはならないだろうという確信を持てたのだった。

しかし、被害は思いがけなくすぐやって来た。停電だ。

最初は、地震の一昨日に巻き込まれて台風21号によって弱っていた電柱などが倒れてどこかの電気架線が切れたのかと思った。やれやれ、まぁ仕方ないか。とりあえずキャンドルに火を点け落ち着くことにした。そして、タブレットのテレビ受信機能を使って緊急報道番組を見ると、北海道全てが停電になっているとのことで驚いた。震源地が胆振地方の厚真なのになぜ?まったく理解できなかった。

夜が明けてタブレットでテレビ番組を見ると、いわゆる「ブラックアウト」によるものだと分かった。ブラックアウト?始めて聞く言葉だった。
先程も記したが、北海道は広く、今回の厚真発電所(震源地に近い)1か所の停止で全道の電気が消えるということは、例えば愛知県の発電所が停止して、首都圏から近畿まで全て停電になるということと同じようなものだ。皆さんは信じられるだろうか?
そして、テレビのニュース番組で何度も示された道内の火力発電所の分布があまりにも西側に偏っていることがわかった。(正直に言ってそれまでは気にも留めていなかった)どうして北海道の西と東、北と南でバランス良く配置してこなかったのだろうか?厚真火力発電所と泊原発があれば充分とたかをくくっていたのではないだろうか?
そして忘れ去られそうになっていた水力発電も、この非常事態に稼働を始めたところもある。やればできるのではないか?それらを日常から上手く組み合わせて稼働させていたらこんな事態を防ぐことができたかもしれなかったかもと疑念を抱いてしまった。

原発の是非について書こうと思うとかなり長くなってしまうので、ここでは一言だけにとどめておくが、原発は稼働停止時に自力では冷却できないだけではなく、そのまま放っておくとメルトダウンを起こす。これは誰もが福島原発で身の髄まで思い知らされたことだろう。今回そのような危機が迫らなかったのは、泊原発が停止してかなり冷却されていたからだった。もし稼働していたら外部電力が作動するまでは、私たちは停電の不便さよりも福島の再現を危惧しなければならなかった。その心配をすることが不必要だったとわかったのは停止してしばらく経っていたからだった。

さて、自分が住んでいる函館に話を戻そう。地震と停電から1時間以上してから、ともかく今は寝ようと布団に入り、何とか寝不足の中いつもの出勤日の起床時間に起きた。そして、いつものように出勤のための仕度をしていると、(といっても停電のためシャワーは使えず、昔懐かしいお湯を沸かして髪と顔を洗うという最低限のことしかできなかったが)役員より携帯に電話があり出勤はせずに自宅待機となった。

仕事に行くことがなくなったことで、結果的にとてつもなく長く感じた1日が始まった。

これは私の災害に対する備えが悪かったせいでもあるが、情報源がほとんど無くなったことで、これからどうしたらいいのかネットだけを頼りに自分で考え始めた始めた。主にSNSとネット上でのニュース等々。一時期は電気の復旧まで1週間以上かかるのではという投稿をたくさん見た。それは、後に復旧後テレビでのニュースで分かったことだが、厚真発電所の損傷の回復が最低でも1週間以上かかるという意味だったのだが、情報が流れた時点で、厚真発電所のことなのか全道の停電のことなのかをわかっていたのかどうかも確かではない。ともかく必死に情報を入手しようとしていた。
人々の不安からなのか、それとも面白半分からなのかわからないが、誤情報が入り交じっていた。いや、正確に言うと、どれが正しいものなのか誤ったものなのか、ふざけて流したものなのか、その時点では明確に判断できなかった。日中スマホの充電を自動車のシガレットライターを通じてしながら情報収集をするためにずっと車内に閉じ籠っていた私はとてもとても小さな世界から何かを判断しなければならなかったのだった。

その中で、後からテレビなどで「デマだ」と報道された、NTT docomoの通信が基地局のバッテリーの備蓄の関係で、あと4時間ほどで通信不能になるという「噂」だが、私が住んでいる地区では4時間後ではなかったが、確かに通信ができなくなってしまった。スマホから電話してもメールしても無反応だった。時間は別にして、それは「デマ」ではなかった。そのため、私は市内を走り、通信可能な谷地頭方面で情報収集することしたくらいだ。
事実がデマとして扱われ、デマが事実として扱われる。そんな可能性があることも後にわかった。

ともかく、私には限りある中で情報収集するしかなかった。ひとつのツールとしてfacebookがあった。何度も何度も開いては閉じを繰り返しているうちに、市内の「友達」が電気がついた!という喜びの声が上がった。それは希望の情報になった。1週間以上という想像もできない停電生活を強いられなくてもよさそうだ、という希望だった。twitterでも○○地区電気が復旧というツイートが見られた。きっと一気に通電はできないから、徐々に通電地区が広がって行くのだろうと思った。私が住んでいる地区は確かに函館の端のほうにあるから後になるのは仕方がない。そのうちわが家も通電するだろう。
水とガスは利用可能になっていたから、日常に近い(食料はすぐ復旧できないことは織り込み済みとして)生活がもうすぐできるだろうと比較的楽観視するようになった。しかし、日が暮れ周囲が暗闇になり、時間が刻々と過ぎて行くと、希望がストレスに代わってきた。どうして1Km近くまで復旧しているのに自分の所ではまだ通電しないのか。苛立ってきた。函館の中で私が住む地区は遅くても支障がないだろうと判断された「後回しの地区」と取り扱われていたのだろうか。
ある人が、「大きな病院がある地域から復旧している」というツイートをしていた。なるほど、と思った。それは当然のことだろう。患者によっては生死にかかわることだからそれを最優先するのは充分理解できる。老人施設がある場所から通電していくのも理解できた。

しかし、電気を待っている身としては、自宅から1kmの所まで通電しているのに、一向にこちらに来ないことにはストレスを感じた。ひょっとして私の地区は「遅れても構わない地区」として分類されているのか。もしそうだとしたらとても切ないものだ。まるで被災地で、隣の町まで救援物資が到着しているのに自分の町には一向に来ない。そんな孤立感とストレスを感じた。ひょっとしたら差別されている。そんなことまで頭を一瞬よぎった。
それで、それまで情報収集源としていたSNSをあまり見ないようにした。あぁ、これがSNSストレスというものか。あるいは被災者の心理というものはこういうものがより増幅したものなのだろうか。もし復旧しないのならそう言ってくれ、諦めて眠るから。復旧するならもっと早く来てくれ、安心して眠るから。しかし、何の情報もなかった。そして、疲弊がピークに近くなりつつあった23時25分頃、やっと通電した。

普段なら何のことなしに過ごしているうちに訪れる23時25分。この時刻がまるで深夜の3時くらいまで起きていたような感じに覚えた。ともかく、通電し、家電が問題なく稼働しているのを確認して、すぐに寝た。SNSに復旧したよ、とは発信しないで。まだ復旧していない地域があって、さっきまでの私と同じ思いの人もきっといるだろうから。

そして翌日、疲弊はしているが通常通りの仕事などを再開した私がひどくショックを受けたことがあった。それは、電気が復旧した最後(時系列的に市内ではそう思われる)の地域が観光のメインスポットであったことだ。町名をあげると豊川町と末広町。いわゆるベイエリアだ。
なぜ北電はそうしたのだろうか?まさかとは思うが、その周辺に宿泊している人たちは地元民ではないので、一番最後でいい。どうせ函館を離れる人たちだから。まさかそう判断したのだろうか。そんなことはないと信じたいが、結果的に翌日滞在した(あるいは交通機関が全面ストップしたから滞在せざるを得なかった)観光客たちは、日中物資も無くなり、店舗も開いていない中、時間つぶしをし、夜には暗闇に閉ざされた街を通ってホテルに帰る。もちろん周囲は真っ暗闇で出かける気分にすらなれない。

私も旅をしたり、出張などで見知らぬ街に宿泊したことがかなりあるが、知らない街でのアクシデントは普通以上に心細くなる。そしてその印象は強く心に残る。「自分たちが泊まったホテルの地域だけ最後まで電気がつかなかった」という残念な思い出だけを心に残し、自分たちの住む街に戻ったら、きっと知人や誰かに話すだろう。「すごく怖かった」と。
どうして北電はそのような方々のホテルの周辺に灯りをともし、「安心してくださいね」と無言の実行をすることができなかったのだろうか。函館が秘境のような宿泊客も少なく、電気などもちょっと怪しい地域であったら話はちょっと違ったかもしれないが、観光スポットは当たり前の市街地の中の一角だ。どうしてそこが最後になってしまったのか?私には到底理解ができない。観光函館に撮って非常に大きなウエイトを占めている産業なのだぞ。函館の経済を潰す気か、北電は。まして豊川町には魚市場がある。停電では市場を開けることもできないだろう。実際、魚市場が稼働できたとしても卸売もできなかったかもしれない。しかし、稼働できていたら、市民への供給ができなくても、観光客への供給できたかもしれない。もしできたのなら、観光客はこの大変な時に美味しいものを食べることができて、ずつと不安だった心が和らいで帰途に着けたかもしれない。実際にそうなるかどうかはわからない。だができたかどうかは、いつ通電したかによっても違うだろう。

もちろん観光地の被害は函館だけではない。北海道全域に達する。それは、最初の方で述べた、広大な面積があるにも拘らず、北海道という一言でくくられているからだ。もう一度言う。北海道の面積は関東から関西まで至る広大なものだ。今回の甚大な被害が起きた厚真から函館までは陸地で250km以上離れている。東京から浜松までまでの距離だ。もし東京在住の方が、浜松で発電所が停電したから電気は全て使えません、ということになったら納得できるだろうか?また、その浜松で被害が甚大だったからといって、東京に行くのをやめようと思うだろうか?京都に行くのを止めようと思うだろうか?

残念なことに、北海道はどんなに影響がない場所でもひとくくりに北海道とされており、今、北海道に危なくて行けないなということになるだろう。これは北海道の他都府県へのアプローチの問題もあるだろうが、ともかく、北海道の観光は今どん底であるのには違いない。早く北海道に観光客が戻ってくれるのを祈ってやまない。しかし、もし、地震前の観光客が戻って来たとしても、現在の綱渡りの電力供給が改善されないと、増加した観光客が使用する電力が増大し、再び電力危機を迎えなければならなくなるかもしれない。現在の需給バランスは、企業が節電をし、観光客がホテル利用しないことによってかろうじて成り立っているバランスなのだから。

だから、結局最初の発言に戻る。小規模でも使えるのなら水力発電もどんどん日常的稼働させるべきであるし、近場で言うと、森町の地熱発電も最大限に利用すべきである。そして、北電は「原発稼働」を前提としない電気供給の、ブラックアウトしないシステムを再構築すべてきである。それができなければ、結果的に「民が民を滅ぼす」ことになってしまうのだから。そうなった時、北海道電力の経営もおぼつかなくなるだろう。
そう、心中するかどうかは北電と行政にかかっているのだから。



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by jhm-in-hakodate | 2018-09-14 00:18 | 函館の現状について | Trackback | Comments(2)
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Commented by road_east at 2018-09-14 09:11
十勝沖地震は1968年では?
Commented by jhm-in-hakodate at 2018-09-14 22:49
road_east様
ご指摘の通り、1968年でしたので訂正させていただきました。1958年は私が生まれた年でした(笑)