戦争と性暴力(ノーベル平和賞発表を知って)

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昨日の報道で、今年のノーベル平和賞にコンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲ氏とイラクの少数派ヤジディ教徒ナディア・ムラド・バセ・タハさんに授与されることが決定されたことを知った。最初の感想は、少なくとも一部に候補として挙がっていた中国の習近平国家主席と北朝鮮の金正恩委員長のダブル受賞やトランプ大統領でなくてよかったというのが正直な気持ちだった。
これらの者たちに賞を与えるのはあまりにも軽率であり、ノーベル賞の品格が下がると思ったからだ。(ノーベル賞の品格がどれほどのものなのか、ちゃんとしたことはわかっていませんが)

さて、今回の受賞予定(本人にも拒否をする権利があるため)の両者に共通しているのは紛争地において起きている女性への性暴力に対して行動をとった方々だが、この方々に対してではなく、受賞の理由などに少し疑問を持った。それは報道の表現の仕方なのか、本当にノーベル賞委員会がそう言ったのかはわからないが、「紛争地で兵士が行った性暴力という残虐な行為に対して・・・・・」という表現があった。
私はこういう言葉を聞くたびに疑問を持ってしまう。

人間にとって最も残虐な行為とは、どんな理由があろうとも、それは殺しである。戦争はそれを互いにやる最も残虐で非理性的な行為だ。人間が行う行為として最も愚かで絶対に許されないものである。しかし、国際法で戦争時における性暴力は戦争犯罪であるという内容の定義づけをしているようだが、これ自体が私にはよく理解できない。性暴力は戦争時であろうが平和時であろうが、犯罪であるという本質性には差がない。それを戦争時においてという状況設定することによって行為の種類が変わるとはとうてい思えない。

国際法には同じように「非人道的兵器」と定義しているものがある。私から言わせていただくと、人を殺すのに人道的・非人道的の差があるのか?ということだ。人を殺す時点でそれはもう「非人道的」行為なのだ。その殺し方を区別するのはおかしい。例えば機関銃の銃弾をかいくぐって最後は敵をナイフで刺して殺すとしたら「正しく正統的で人道的な殺人」になるのだろうか?

今回受賞した両者に対して異議を唱える気は全くない。私がいつもおかしいと思うのは、戦争はあって当たり前という前提で、そこで行われている行為の比較をしている「グローバルスタンダード」というものに対してだ。たぶん私はそういう意味での「グローバルスタンダード」を永遠に理解できないであろう





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by jhm-in-hakodate | 2018-10-06 15:16 | 社会・経済について | Trackback | Comments(0)
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