ぼーにのしょくどう

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先週ボーニの食堂に行った。
今は、ちゃんとした名前のあるレストランなのだが、私にとってはやはり「ぼーにのしょくどう」なのだ。

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私が子供の頃、父が半年以上にも及ぶ北洋漁業から帰って来ると、必ずボーニに行き、おもちゃ売り場で何かを買ってもらい、ルンルン気分で昼食をぼーにのしょくどうで食べたのだった。父はあまりお出かけをしたくないタイプであったため、家族そろってのお出かけは「オカ」に上がった最初と海に出る前のけじめ的な時しかなかったように記憶している。

ちなみに父が働いていたのは蟹工船であった。仕事のことはあまり聞いたことがなかったが、1,2年前に操業当時の話を少しだけ聞いたことがある。広いベーリング海にぽつんと停泊している母船で毎日3~4時間の睡眠で、その他はずっと休日もなしに働いたという。まさに小林多喜二の「蟹工船」の世界だった。朝目覚めると誰か一人がいなくなったこともあったそうだ。たぶん、過酷な労働に耐え切れず、夜のベーリング海に身を投じたのだろう、と父たちは考えていた。そんな過酷な環境で耐えうれたのもきっと家族がいたからだったのではないかと想像した。だから、下船時に支給されるボーーナスで、私たち兄弟はボーニでおもちゃを買ってもらい、ぼーにのしょくどうでご飯とデザートを食べさせるのも楽しみの一つだったのかもしれない。

なによりも子供にとって、まして、当時の子供にとって喉から手が出るほど楽しみにしていたのはデザートだった。主食はてきとうに食べ、食後に出てくるデザートがどちらかというとメインだった。そして、私の記憶の中で最も注文したのがバナナサンデーだった。

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バナナは時々母が買って来てくれて食べ慣れているはずなのに、アイスクリームと生クリームが添えられると、普段食べるバナナとは全く違う味に感じていた。アイスクリームも普段小遣いで買った10円の雪印のアイスクリームとは違った味がした。生クリームなんてここでしか食べれなかった。
改めて50年ぶりに食べてみるととても美味しかった。高級とはいえるほどのものでは決してないが、そんなことよりも、「ぼーにのしょくどう」でバナナサンデーを食べることが貴重であった。

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何歳くらいまでだったろうか、私はこの子供用椅子に腰かけ、どみの子供でもやるように、テーブルに食べ物をまき散らしていた。それを母はハンカチかちり紙(当時はティッシュなどなかった)できちんと吹いていた。それを見ていた私は、今でも、食べ物をこぼした時には、母と同じようにティッシュできちんと拭き取ったりしている。席を立った時、テーブルが汚かったら、それは恥を晒すようなものだと、私は理解していた。

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で、私はメインで何を注文したかというと、チャーハンだった。自分でもなぜチャーハンを頼んだのかさっぱりわからなかった。ぼーにのしょくどうで最後に注文するのに最もふさわしいものが何なのかわからなくなってしまい、レジで食事券を買う時、予想外に自分の口からチャーハンという言葉が出てしまった。でも、それで良かったのかもしれない。

ぼーにのしょくどうは、私たち家族連れの他に、これから旅に出ようという大人も利用していた。ここからは函館駅が見える。若いカップル(だと当時は思っていた)や一人で外を見ている女性。親戚たちと楽しい会話をしているグループ。そんな色々な立場の人たちがこのぼーにのしょくどうを利用していた。

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それは、色々な人々の希望や絶望や笑いや涙や楽しみや哀しみを一つの場所に集めたような場所だった。子供の頃はそこまで考えなくても、大人になった時、たぶんそうだったのだろうと振り返ってみることができた。
ここで食事をして旅に出る人、旅から帰ってここで食事をする人。
子供心にバナナサンデーを食べながらそのような人たちを見ていたような気がする。






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by jhm-in-hakodate | 2019-01-29 01:45 | 函館の歴史 | Trackback | Comments(0)
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