
この度の新型コロナの大流行により、私たちは今まで何も考えずに行ってきたこと、あるいは行ってこなかったことや、目を向けようとしていなかったこと、何もない時には疑いもしなかったことが、実は膨大にあることに気付かされた。
コロナ対応に関しても、世界のその国によって大きく異なっていたことも報道などで知ることができた。
中でも際立ってリーダーシップの強さを感じたのは、ドイツのメルケル首相だった。常に冷静で落ち着いて発言する彼女が感情をあらわにして国民に自重することを訴えかけたのには、他国民ながら感動した。
その頃我国のリーダーは人前に出ることはなく、国民から見ると雲隠れしているかのように見えた。ドイツと日本でなぜこんなに違うのかという疑問を当時持った。
ドイツと日本は共通点は多い。第二次世界大戦で同盟を結び結果的に敗戦国となったが、持ち前の勤勉さと優れた工業技術でその後見事に立ち直ったことなど、ある意味どことなく親近感を個人的には持っている。
しかし、両国には大きな違いがある。それは、第二次世界大戦で犯してしまった大きな出来事についてだ。ドイツはナチスという政党に政権を持たせてしまったことに大いに反省し教訓として二度と同じような過ちを起こさないよう国民レベルで自戒している。しかし、日本は大政翼賛会が象徴するような、独裁的にアジア侵攻を実行していた組織の存在を許していた、あるいは作らせてしまったことに対して反省や教訓を持っている認識はない。それどころか、自民党にほぼ独裁を現在も許している。
似たような経験を持つ者同士なのに、どうしてその後の考え方が異なるのだろうか?
そもそも、どうして世界中にこんなにたくさんの国があるのだろうか?
以前から世界の国々のことを本で読んだりテレビで見たりすると漠然とそんなことを考えたりはしたが、この度のコロナ禍で在宅しテレビ等を見る機会が増えたこと、特にオリンピック・パラリンピックを見た累計時間は自分史上最も長くなったこともあり、一体国というものは何なんだろうと考えさせられた。
しかし、そんな壮大なテーマについて世界規模で考えるなんて、研究もしたことがなければ知識もほとんどない私には、答に向かう道筋すら見つけることができない。なせなら、これだけたくさんの国ができた経緯を、集積して分析する術を全く持っていないからだ。
そこで、せめて自分が属する国のことくらいは考えることができるだろうと思ったが、情けないことに、そもそも国というのは何を指しているのかがよくわからなたった。
私は日本に生まれ日本で育ち、現在も日本に住んでいて日本国籍を有している。日本においてかなりの割合を占めるどこにでもいる日本人だ。
特に日本は島国であるせいか、その事を強く意識する機会は少ない。まして外国との取引や交流を持つ職業についていないため、その傾向は強いと思う。
でも、改めて日本という国とは何だろうと考えた時、その前に国ってどこにあるのだろうか?という疑問を持ってしまう。多くの人は、そんなの日本が有している領土内にある地域の集合体であるに決まっていると考えるだろう。北方領土や尖閣諸島の問題はとりあえず置いておいて、私はその通りだと思う。
では、誰がその領土を所有しているのかと言うと、明瞭に答えることのできる人はどれだけいるだろうか?
何故なら、日本においては土地の個人所有が認められているからだ。土地を持っていると言うことは、日本領土の一部を所有していることであり、ということは、土地所有者は国の一部であってもおかしくはないのだが、現実感覚的には土地を持っている国民の一部にしか過ぎない。つまり、例えて言うならば、ある企業の株式を所有していれば、株主総会で発言することができるが、領土の一部を持っていてもそう簡単に国会で発言することはほぼ不可能だということだ。
いやいやそのために選挙制度というものがあり、我々の代わりに国会で討議してくれているのではないか、と言う人もいるだろう。それが日本の民主主義制度であることは、私も承知しているが、本当に私たちが選んだ人が、私たちが望むことを代弁してくれているのか大いに疑問だ。
これらのことを併せて考えていくと、国という存在はどこにあり、誰が所有し、誰が運営者なのかわからなくなる。
このような疑問を、できるだけシンプルな視点で(現在の自民党の政局的な観点は全く持たず)これから何回かに分けて、今まで朧気にしかなかった疑問を綴って行きたいと思う。
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