憲法改正のススメ

先日自民党総裁選が行われ、岸田氏が新総裁となりました。みなさんも、彼が今後どんな政策を発案していくか関心があるとおもわれます。なぜなら自民党総裁選は、内閣総理大臣を決めることに直結していからだ。そんなのは常識としてほとんどの人の認識にあるでしょう。
しかし、うん、ちょっと待てよ。総裁選というのは、自民党の私的代表者を決める選挙でしかないはず。会社で言えば、役員会や株主総会で社長を誰にするかということと同じようなものだ。その代表者が同時に国の行政のトップに同時になるというのは単純に考えてとてもおかしい話ではないか。日本No.1の企業の社長が同時に日本における政治的な強い権限を持つようなものではないでしょうか?
なぜかって?
昨年からのコロナ禍で仕事以外は閉じこもり的な毎日を繰り返し、私の中で今まで何となくそれなりに「まぁ、ある程度大筋で物事が混乱なく動いているのだからいいのではないか」とたいして気にも留めずに黙認していたことが、政府の対応などを見ていくうちに、何か根本的なことが実は間違っていたのではないかという考えを持つようになりました。その中のひとつが自民党総裁=内閣総理大臣ということです。
日本という国は、よくよく考えてみるととても変な民主主義形態をとっています。
戦後の憲法制定で民主国家となった時、みなさんも学校で学んだ三権分立という、立法・司法・行政という機能を分立させ、独裁的な行為がなされないように作られた制度がスタートされました。実態を知らない子供当時はもちろんのこと、大人になってからもこの制度そのものには疑問を持つことはなかったのですが、ここ数年日本の制度はおかしいと少しずつ思い始め、特に安倍政権末期から菅政権のコロナ禍でやはりおかしいと強く考え始めました。
正直申しまして、安倍元首相の発言のいたるところに国民を馬鹿にした舐めた(内容と判断される)ものを感じ取りました。自分の内閣の支持率もそれなりにあるし、野党も脅威に思えるほどの勢力もない、まして自民党内にも自分を脅かすだけの頭角を現わしている者もいない。もう、やりたい放題、言いたい放題やれるような環境にあったことに、私は強い嫌悪感を抱いていました。
どうしてこんな人が内閣総理大臣でいれるのか?それは、三権分立が実は分立していないからだと思いました。
みなさんよーく考えてみてください。
確かに日本は民主主義国家で、立法府である国会の議員を私たちが住むそれぞれの地域の代表という形で、選挙によって選出し国会に送り出します。その国会で国会議員の中から議員の投票によって内閣総理大臣を指名することになります。それは何もおかしくはないのではとお考えになるしょう。しかし、例えばある衆議院議員立候補者がとても優秀でぜひ国会に行き議論してもらいたいと願いその立候補者に投票して見事当選したとします。ところが、その政治家が所属する政党のトップには期待も持てなく、内閣総理大臣にはふさわしくない人物であると思ったとしても、その政党の論理でその人が総理大臣になってしまうのです。つまり、自分が属する地域の代表は選ぶことができるが、この国の代表は選ぶことができないシステムとなっているということです。それでは、その政党とは別の政党の立候補者に投票したらいいのでは、という意見もあるでしょうが、別の立候補者はとてもではないが頼りなく能力があるとは判断できなかった場合、自分の地域の代表者という観点からするとやはり投票をためらいます。
話を戻しますと、結局現在の憲法に定められている三権分立は形だけの「民主主義」であり、結局のところ、例えばアフガニスタンでタリバンが軍事制圧し、国を支配しているのと同様に、私たちも自民党に支配されていると言っても過言ではないでしょう。もちろん、軍事的暴力によるものと国民の投票によるものとでは大きな違いがありますが、結果的に私たちは自民党に支配されることを望んだということになります。「独裁」という意味では、私たちの慣習としてそれを望んでいることになります。
しかし、様々な著名人が話しているように、変革は既得権を奪う行為であり、既得権者は命を懸けて抵抗するのが世の常です。これを凌駕できるのは、私たち国民の総意以外にないでしょう。では、何がいったい問題なのか、次回からは、戦後の日本の政治を流れをおおまかに述べながら説明していきたいと思います。その分岐点はバブルであったことについて。