弥生小学校の想い出(5)

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1/21の弥生坂。弥生小学校にレンズを向けたのですが、吹雪のためおぼろげにしか写っていませんでした。

私にカルチャーショックを与えてくれたのはやはり“外来者”だった。

まず3年生か4年生の時に転校して来た男子生徒だ。
彼の親は公務員で、転勤に伴った転校だった。それはよくあることだ。彼が普通と異なっていたのが、バイオリンを習っているということだった。現代であれば何の不思議もない。子育てに多額のお金をかける親がごまんといるからだ。しかし、当時のまして函館(と言っても知っていたのは西部地区だけだが)においてバイオリンを子供が持っていること自体想定に全くない話だった。そもそも、バイオリンがこの世に存在するということを本か何かで知っていた程度だったため、生身の目の前にいる子供が持っているなんてとても信じられなかった。私にとっては別世界だった。この時、子供心に世の中は広いと感じた。
ところが、彼はある意味可哀想な子供だった。実はバイオリンは親の勧めで習い始めたもので、その他にも親が決めたものの習い事が毎日のように放課後に予定されていた。そのため、皆で遊ぶことも無く、バイオリン以外の彼の記憶が今は殆どない。恐らく彼は「過密習い事小学生」の先駆者だったのだ。

もう一人は5年生の時に転校して来た男子生徒だ。彼は東京からやって来た。
以前ハコダテ150のコメントで簡単に紹介したが、彼の父親は日本銀行函館支店支店長だったのだ。別に親の職業など子供には無関係だ。要は仲良くなれるかどうかだ。そして私はどういうわけか仲良くなり彼の自宅に遊びに行くようになった。
彼の家は旧愛宕中学校の真上の弥生坂に面する所にあった。自宅と言っても土地が約344坪もある屋敷と呼ぶべきものだった。私の記憶の中では1階に居間も含め5部屋、2階にも3部屋くらいあった。その建物があっても庭はキャッチボールやアイスホッケー(もどき)が充分できる場所が一つと他に普通(?)の広さの庭が2つ程あった。広い土地というのが、母親の実家の畑ぐらいしか知らなかった私にはこれも別世界のものだった。
驚いたのはこれだけではなかった。彼の家には日本で発売開始してまだ4年しか経っていないモノポリーやこれまた2年しか経っていない人生ゲームがあり、幾度も遊んだ。そして、訪れる度に彼の母親が何か飲み物を出してくれた。その中で最も記憶に残っているのがアップルジュースである。今では誰もが珍しくも何ともないものであるが、当時の函館には恐らくどこを探してもなかった物だと思う。一度彼の母親がジュースをグラスに注いでいるところを見た時、缶には日本語が一つも記載されていなかった。輸入品だったのだ。
そして、極めつけは毎日お手伝いさんが来ていたことだ。50~60代の女性だったという記憶があるが、とにかくどれもこれも、兎小屋に住んでいた私にとっては別世界の出来事であった。

この弥生小学校での経験で、私はちょっとやそっとの新しい物を見ても驚かなくなった。(今は新しい物に付いて行けなくなったが、驚きはしない)
彼は卒業と同時に親の転勤で東京へ戻った。そして、私が中2の時、東京へ旅行に行った際に再会した。渋谷で待ち合わせをして、そこからバスで彼の自宅へ行った。東京の家は函館に比べ恐ろしく狭かった。何だたいしたことない、と何もわからず思ってしまった。ところが、大人になってから冷静に振り返ってみると、渋谷からバスで行ける距離の世田谷区の彼の自宅は普通のサラリーマンが買えるような場所ではなかったのだ。
彼とは「東大で会おう」と言い合って別れたが、勿論私は東大などには行っていないため、彼が東大に入学したのかどうかを確認できずに今に至っている。
by jhm-in-hakodate | 2010-01-21 21:17 | 函館で出会ったもの | Trackback | Comments(0)
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