旧亀田市の人との会話
今日(正確には昨日)社内の旧亀田市生まれ・育ちの人間と話した。
話の内容を要約すると、西部地区は観光やデートをするための地域で、生活は商業施設が整った美原周辺が好ましいとのことだった。そんな便利でもない西部地区の地価が高いのは納得できないとのことだった。
美原地区の買物が便利なのは全く否定できない事実である。西部地区が不便なのも事実だ。しかし、まるで西部地区が札幌では定山渓のような街から外れた保養地のような存在であるのはいただけなかった。まして、江戸時代から市街地が形成されつつあったことや、明治時代、堤清六をはじめとする当時の経済界の重鎮が谷地頭に住んでいたことや、堤氏らが創業した日露漁業のことなども知らなかったことには驚いた。
しかし、彼の知識不足を責めるつもりはない。何故なら、彼は30代で、まして身近に函館の歴史を窺わせるものが全く無いのだから。問題は、函館の歴史を小・中学校で殆ど教えていないことだ。だから西部地区の風化にも観光と函館経済と自分の生活との関係にも無頓着になってしまっているのだ。彼からすると、西部地区で起きつつあることは別世界のことなのだ。
しかし、強引に歴史的に貴重な小学校を解体する教育委員会が、函館の歴史の特異性を子供に伝えるための教育指導を各学校にするわけもないだろうし、また、できる立場でもないだろうから、益々西部地区に住んでいる者にとっては気が滅入ってくるのである。
函館で育った人間が、西部地域、函館の歴史の特異性を理解していないことに大きな問題が潜んでいます。
だから、弥生小学校の取り壊しにも無関心な人が多いのです。
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一昨年と去年の建物の写真を見比べたら、玄関灯が変わっていますね。私は今の方が好きですけど。