2010年 06月 20日 ( 2 )

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はこだて工芸舎(旧岡本邸)

昨日に続き元町の邸宅を写真でご紹介したが、いつもコメントをいただくayrton氏が内部の写真を時折自分のブログで紹介している。はこだて工芸舎のディスプレイが功を奏してか、元々お洒落である建物がよりその良さを際立たせている。
因みに、この建物からは坂下側に昨日紹介したプレーリーハウスを見下ろすことができ、何とも贅沢な環境にあるのかとうらやましくなってくる。

話は変わるが、この歳になると(正確には早や40代からであるが)カラオケに行っても昔の歌ばかり歌う。どこにでもよくいるオヤジに完全になってしまっている。まだ40歳そこそこの頃は、当時の若者で流行っている曲にもチャレンジを試みるあがきをみせたが、今では諦めの境地に至っている。
だが、オヤジの意地として、今でもいいものを判別する感性だけはまだ残っているとつまらない自信を持っているつもりである。かといって何でも迎合するわけではない。これなら昔の方が良かったと自分で自信を持つことができる事柄であれば、若者に対しても堂々と偉そうに話すこともある。ところが、自信を持てないことにはちょっと困ってしまう。
例えばツィッターである。自分なりにちツィッターの長所短所を整理しているつもりだが、どこか頼りない。これについて何かを話すのをもう少し待って様子を見ようというスタンスにいる。だが、そうしている間にも時は確実に過ぎている。まだ現役の社会人であるからには、この迷いは困ったものである。

そこで過去にあったある話をご紹介しよう。トヨタの話だ。

1990年代、トヨタは勿論日本最大の自動車会社であった。が、ホンダのシェアが伸び、トヨタは減少していた。理由は明らかだった。デザインがつまらなかったのだ。確かに性能はいいだろう。トヨタだからそれはきっとそうに決まっている。誰も疑いはしない。だが、何かつまらなかった。その車を運転してみたいという「ワクワク感」が感じられなかった。
ちょうどそんな時、トヨタ社内にあるカーデザイナーがいた。彼は斬新なデザインを幾度も提案していたが一向に採用されなかった。クリエイティブな仕事をしている者にとってこれほど辛いことはない。
そこで彼はある車のデザインを造り、もしこれが採用されなかったら退職して知人のデザイン会社に転職しようと考えていた。その作品を見た役員たちは迷った。そのデザインがいいのかどうなのか全然判断がつかなかった。
最後は当時の社長であった奥田碩氏の「年寄りが考えてわからないことは若い人に任せよう」の一言で決着がついた。このようにして誕生したのがトヨタbBであった。

私もbBが発売された時のことはよく覚えている。「えっ!これがあのトヨタ?」と驚いたものだった。すでにヴィッツが発売され、僅かだがデザインの変革路線ができつつあったとはいえ、当時のトヨタのイメージを大きく塗り変えるサプライズだった。
このbBは若者に受け入れられ、トヨタのシェアは回復した。そしてつい最近のリコール問題が発生するまでの世界一の自動車メーカーへの快進撃が始まったのであった。

残念ながら二十間坂の自由の女神像にはこのようなサプライズはなかった。私にもそのくらいの判断力はあるつもりだ。だが、本当に迷ったら私も若い人に任せよう。
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元町・石井邸。(景観形成指定建築物)観光繁忙期でもじっと静けさを保っている、別世界にある建物だ。

元町は子供の頃、弁天町という下町に住んでいた者にとってはちょっと敷居の高い街だった。ところが、交友範囲が広がり元町にも友人ができてくると、次第に自分が住んでいる街の一部という意識が芽生えてくる。
そして半世紀以上も生きているとずうずうしくなって、まるで自分が作った街でもあるかのように誇らしげに話し始める。

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元町・プレーリーハウス。(景観形成指定建築物)何度観ても完成度の高い建物だと思う。

ベイエリアの煉瓦倉庫群や保存されている旧商店・銀行等の華やかな見せ方(建物の利用方法も含め)に比べ、元町は元来居住地域であることもあり地味だ。公会堂や教会・八幡坂等を除くと、観光客は気の済むだけゆっくりと街並を楽しむことができる。そしてゆっくり見れば見るほどその魅力に惹かれてしまう。自分が映画の風景の一部に登場したかのようなドラマ性を感じさせてくれるのが元町だ。
この魅力にとりつかれた者は、深みに嵌って弥生町・大町・船見町・弁天町や宝来町・青柳町と興味が広がり、またそこでの奥深さを知ると、函館という街全体(主に駅より函館山方面になると思うが)が歩いて回るべき対象に拡がってしまう。

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元町・旧相馬邸。(伝統的建造物)この家の内部を見ることができるなど、若い時は思いもしなかった。

そして、私のブログにコメントをいただく方が話すように、こんな独特の建物が集まって街並を形成していることに驚き病み付きになってしまう。また、函館を離れた者は、住んでいる街との違いを知るとその魅力をやっと知り、望郷の念を覚える。

つい先日も記述したが、こんな街は10年や20年では決してできない。100年以上もかけてできたその街並から私たちは観光資源という恩恵を受けている。だから、私たちは恩を仇で返してはいけない。
100年後の人たちがその恩恵に与るように、街並のバランスを保たなければならない。そして、それができたら、私たちは全国に向かって胸を張って堂々とこう言える。

「この街は自分たちが作った街なのだ」

*旧相馬邸が景観形成指定建築物と記載されておりましたが、伝統的建造物の誤りでした。お詫びして訂正いたします。表記は訂正いたしました。