2010年 10月 09日 ( 1 )

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大町、新島襄記念碑近くの夜。

最近の函館は「海炭市叙景」文庫本出版や様々なイベント等で話題が盛りだくさんだ。ツイッター上でも映画のことやイベントの告知等が連なっている。また、ハコダテ150+のスタッフという立場上、参加や取材ができなくともそれらのものを一応チェックしている。

そして、最近つくづく残念に思うことがある。個々のイベント等への情熱やエネルギーは素晴しいものを感じるが、それが小規模な単位に終わってしまっていることだ。
例えの規模が悪いかもしれないが、東京であると多少マイナーなイベントやライブであってもそれなりに人が集まり、運営者も出演者も継続という可能性を持つことができる。だが、函館のイベントを見ていると何年続けていけるのだろうか、という疑問をもってしまう。

思うに、小規模単位のサークルが多すぎるのではないかと。街全体という視点で見渡すと、せっかくの熱いエネルギーが分散しているのではないかという気がしてならない。

もったいない。

個々が色々な活動を日常的に行っていくのはとてもいいことだと思うし、決して無くなってはいけない。しかし、それを外部に表現する時、どうしても小規模のグループ内でおさまってしまっている気がする。第三者的に、つまり一般市民としての目線で見る時、「何か本が読みたくて書店に行ってみるのだが、たくさん並んでいるためどれを読んだらいいかわからない」というのと同じ状態になっているのが実情だ。

なぜ小規模グループが融合してもっと多くの人に注目されるイベントを作れないのでろうか?
そのような活動をしている方々全部にお会いしていないので、悪い想像をしてしまうと、よくある会社でのポスト争いのようではないのだろうか、と考えてしまう。

会社内部という方向にばかり目を向くと、社員同士での綱引きが始まる。どっちが主導権を取るか、その先には昇進のポスト争いが見え隠れする。だが、こんなことばかりしていると凡そ会社の業績は降下する。エネルギーが内側に向いているからだ。
これはある程度の規模になって安定したと自他ともに認められた頃から発生する。そして次第に業績は膠着状態となり次に下降する。

これが函館の内側で起こっていないことを期待したいが、会社組織の場合もそうだが、社会に対して自分たちは何ができるかというモチベーションで仕事をしているのと前述の内側に向かっているのとでは社会に対するインパクトは大きく異なってくる。

一般市民の立場で言うと、書店の中でもきらりと光り引き寄せられてしまう本のコーナーができることを期待したいのだ。また、そのようなものを見出し情報として発信するのも情報媒体の使命である。
その双方が結合した時、全国という外部に私たち函館市民は「函館」の輝きを示すことができるはずである。