2011年 05月 30日 ( 2 )

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妖怪?みかづき工房にて。

昨日、外はこの時期には冷たく強い風が吹いていた。にも拘らず、ある住宅で玄関ドアを開けっ放しでお客様を待っていた。それは違う社員が行ったことだが、きっと一昨日までの暖かさがあったからそうしたのであろうが、寒さに我慢できなくなった私は玄関ドアを閉めたが、もう遅かった。その夜から喉の痛みと寒気を覚えるようになった。そして、現在かなり熱っぽい。完全に風邪を引いてしまったのだ。

別にその社員への恨みを述べるためにこれを引き合いに出したわけではない。日本人らしいと言えば日本人らしいからだ。日本人は、例え実気温が低かったとしても、「もう5月なんだから」とか「8月に半袖を着ないのは恥ずかしいから」などの理由で、その気温に適した格好をしないことが多い。これに対して、欧米人は真夏でも寒ければ上着を羽織ったり、その気温に適した服装をするという。
サッカーで例えると、日本人はセットプレーからか、典型的な型にはまらないと点が取れないのに対して、欧米チームが流れの中から臨機応変に点を取れるとの違いと同じだ。

この日本人の行動は、壊れた本能から派生するものである。もし、人間に正常に作動する本能があるのであれば、日本人と欧米人との反応の違いなど生じない。みんな同じ行為をするはずだ。
わかりやすいのは魚である。一日の中でも場所を変え、水深を変えて、その時の水温・陽射しに対応している。これが本能である。本能は学習して身に付くものではない。元々その種のDNAに組み込まれているかのように、ある現象に対しての行動をDNAに従って反応する。誰かに教えられなくとも、生物は天敵を知っている。そして天敵に出会うと闘争か逃走の反応を示す。

よく車に轢かれる猫を馬鹿だという人がいる。車が近付いているのに、じっと車を見て逃げずに轢かれてしまうということについてだ。だが、考えてみよう。猫という、もう何百万年・何千万年生きているかもしれない生物にとって、ここ何十年で普及した車などは、「エッ!今の何?」という程度の対応しかしていない物体なのだ。おそらく猫のDNAには車を認識する機能はないはずである。だから、これは何だ、とじっと見てしまうのである。そして直前まで車が来てから、「何かわからないけど、とにかく危なそうだから逃げよう」とトコトコと反対側の歩道に向かうのである。

このように、一般的な動物は本能に従って生きているのだ。ところが人間は本能が壊れている。違う例をあげよう。知床半島に熊が出没することがよくあるが、ヒグマを発見しても本州から来た観光客は逃げるどころか、近付いていこうとすることがある。私たち北海道民であれば、今まで人伝えで聞いたヒグマの恐ろしさを知っているため、大抵の場合は逃走を選ぶ。だが、これも本能ではない。人の話を聞いて、想像力を働かし、危険度合いを判断しているからこその逃走なのだ。本州の観光客はFightもEscapeも選ばず、ただ観賞しているだけだ。これが本能が壊れていると言わずして何ということか。

よく性的な表現で、本能のおもむくままに女性を襲ったとかという言葉を使うことがある。これももちろん間違いである。もし、人間が本能のままに性行為をするのであれば、時期が来たら街中で所かまわずあちこちで性行為が行われているはずである。ところが、皆さんもご周知のように、人間は24時間春夏秋冬いつでもその気になれば性行為を行う。これも本能が壊れている大きな証拠だ。

本能がなくなったのではない。本能が壊れているのだ。その壊れた本能を補うために人間は思考する。それとも思考するようになったから本能が壊れたのか。どっちが先かはわからないが、この人間の持つ知恵は、人間に驕りを与えた。自然界とは無関係に自分たちの世界を構築して生きて行けるのだという大いなる幻想を持つようになった。
だが、驕りは驕りである。今回の原発事故でそのことを学んだはずである。

さて、何でこのような話題を取り上げたかと言うと、本日風邪を引いて早めに帰宅することを選んだことは、できるだけ本能に従ったからであると思ったからだ。そういう言い訳で、とにかくもう眠ることにする。


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現在は個人住宅の旧函館無尽。

この建物は、旧北洋相互銀行や旧函館無尽として紹介されることが多い。函館市景観形成指定建築物である。ところが、銀行の変遷を調べると、さながらバブル崩壊後の銀行再編を思わせるような歴史を知ることができる。

まず、「無尽」という言葉を知らない方のために、簡単に説明を。無尽はの発祥は遠く鎌倉時代に遡ると言われている。有志が金を出し合い、相互扶助という形で集まった金の中から融通していたのが始まりとされている。それが、江戸時代には大衆金融機関のひとつとなり、明治に移ると営利を目的としたものとなっていった。そのため、無尽は会社組織となって、函館無尽は後ろに株式会社が付いた名称となっていた。

以上が簡単な無尽の説明だが、函館無尽の前身は大正貯金株式会社という名称で大正2年にスタートしている。大正5年に函館無尽株式会社と改称され昭和15年までその名称で営業されていた。この建物は大正12年築であるので、その当時の銀行名で「旧函館無尽」と称されるのは間違いではない。だが、北洋相互銀行となるまでの変遷がすごい。

昭和15年に拓殖無尽株式会社を合併し、同名称となるが、すぐさま昭和19年には小樽無尽と合併。他の5無尽と併せて北洋無尽株式会社となった。その後、戦後の銀行法の改正により、昭和26年に北洋相互銀行株式会社となり、平成元年に北洋銀行となったわけだ。

そして注目したいのは、この建物の上部にあるモルタルか何かで消したと思われる、銀行名の最後がいったい何だったのかというところだ。字数からいったら北洋相互銀行ではないことは確かだ。では何だったのか?それを想像してみるのも、建物を見る上での楽しみのひとつである。



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