2011年 07月 31日 ( 1 )

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入舟町の漁港に下りる階段。

今週の水曜日に、世間一般からかなり遅れて、我家に地デジ対応液晶テレビがやって来た。新しいテレビのいいところは、画面に出てくる文字が二重にならずにクリアに見えるため、読みやすくなったことだ。
もちろん画像もきれいだ。先程、観た映画「トランスフォーマー/リベンジ」も、新しいテレビのお陰で画像のきれいさを存分に堪能できた。が、疲れた。あんなに複雑な部品を集結させてできたロボットが素早く動くのは、目にこたえる。それも約3時間近くもだ。

3時間も時間を費やして、楽しみよりも疲れが勝っているのはいただけない。それならば途中で観賞をやめればいいだろう、と思われるかもしれない。それはもっともだ。それができたらどんなに楽なことだろうか。
だが、私にはそれができない。一度見始めてしまった映画やドラマは、最後まで観なければ気がすまない性質なのだ。それも、途中でこの物語のストーリーの結末を予見できたり、内容が観るに堪えないものでも最後まで観てしまう。

それには理由がある。その物語の作者は、こちらが予想もつかないような展開を、結末までの間に隠しているかもしれないという期待と、たった一シーンでも「観て良かった」と思えるものが潜んでいるかもしれないという期待があるからだ。
だが、ほとんどの場合、その淡い期待は打ち砕かされる。あーあ、やっぱりで終わる。仕方ない、期待する方が馬鹿だった、と自分を慰める。そんなことの繰り返しを長年やっていたら、テレビで放映される映画やドラマは観なくなってしまった。

時折、特にテレビドラマなどを観てしまうと、楽しいどころか辛くなってしまうことがある。作者のことを考えてしまう時だ。物語を作る者として、本当はもっと違う展開でストーリーを組み立てたかったのに、局のディレクターの要請で仕方なく可もなく不可もないものにしなければならなかったのだろうか?自分の発言権がもっと強ければ、タレント事務所のしがらみを考えずに自由にキャスティングして、もっとクオリティの高いものに仕上げれただろうに。
役者だって、本当はこんなくだらないドラマには出たくなかったのに、他に仕事がなかったり、事務所の関係で出演しなければならなくなって、仕方なく演技しているのでは。このドラマの仕事が終わったら、次の仕事はあるのだろうか。この演技では難しいのでは。どうやって生活をしているのだろうか?何かアルバイトをやっているのだろうか?

テレビドラマを観ていると、そんなことばかり考えてしまう。ただでさえつまらないドラマが、輪をかけてつまらなく思えてしまうのだ。だから、40代になってからは、よほど関心のあるもの以外は観なくなってしまった。
最初から観なければ、最後まで観なくても済む。その時間を違うものに充てることができる。

本日のトランスフォーマーも、観なければ良かったと思った。ただ疲れた。
最後まで観てしまう、自分の性格を怨まざるを得ない。


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