2011年 11月 29日 ( 2 )

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select coffee shop peacepieceの椅子のひとつ。

私はよく函館の人を批判することがある。なぜそうするのか。「こんな街どうでもいい」と思ったら、私は何も言わず引越を考えるか、街のことを気にせず自分のやりたいことだけをやるようにするだろう。ただ、たまたま函館という場所に住んでいるに過ぎないと自分に言い聞かせて。

だが、函館はやはり自分にとってそんな割り切り方をできない街である。だから、批判的な言葉を発してしまうのだ。よく、人に注意されているうちはまだいい、何も言われなくなったら、もう見切られている証拠、と言われるが、函館に関してはいつまでも見切るわけにはいかない。そんなことをするために戻ってきたわけではないから。

人は、その個人と接している時は、ほとんどの人はそれなりにいいところを持っており、それを発見すると、嫌な奴という人はいなくなる。函館の人もそうだ。個人と会ったらほとんどがいい人だ。
だから私は本ブログで一部の人を除いて、個人を特定して批判したことが無ないし、すべきではないと思っている。これはこれからも続けていく。

ところが、個人が集団なり組織となると、がらっと変わるのだ。集団になったら、個人ではできないこと(いいことも悪いこともどちらも)をやってしまったり、逆にできなくなったりする。例えば、いじめグループがわかりやすい例だ。そのメンバーの一人だけと接していても悪い奴だとは思わないが、グループの中にいる時にはいじめをやってしまう。
心理学的に詳しく説明すると、けっこうな文字数になるので割愛するが、簡単に言うと「みんなでやれば数の上で正当化されるから」や、「ただみんなと同じことをやっているだけ」という、いずれも「みんなで渡れば怖くない」という感じで何かの行為をやってしまう。これが最もやっかいなのだ。

私が批判するのは、このやっかいな事柄についてだ。そしてこのやっかいなことは、静かにたくさんの心の底にしっかりと根付いてしまい、ほとんど無意識化してしまうのだ。だから、批判されても、「それが何か?」になってしまう。そしてまた、知らずのうちに赤信号をみんなで渡ってしまう。赤信号で渡ったらだめだよと言っても「変な奴」と見られて終わってしまうのだ。

個人としてはみんないい人だ。そのままに社会が築き上げれていたら、函館はもっと素敵な街になっていただろう。
来年2月に弁天町に唯一あった、郵便局以外の金融機関である、函館信金が閉鎖されるそうだ。基坂の西はもっと不便になるだろう。そのような不便さは、函館の人口が大幅に減少すると、どこの地域でも起きることになるだろう。誰か個人を責めることではない。このようなことは全体としての函館市民が責められるべきなのだ、と思う。もちろんその中には自分も入っている。


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