2012年 04月 17日 ( 1 )

a0158797_22434613.jpg
谷地頭町の坂。

普段は特別の用がないため、あまり訪れない谷地頭町だが、たまに訪れる度に売土地の看板が増えている。谷地頭の過疎化は今に始まったことではないが、昔大雨が降ると家屋に浸水すると、「やっぱり谷地だからね」という話をよく聞いた。

下水道整備が成されて、排水に支障がなくなった現在でも、その時からの市民のイメージがあるのか、空地の目立ち方は十字街より西方面の街の比ではない。

a0158797_22591030.jpg
a0158797_22594418.jpg

谷地頭は、昔、財を成した名家が広い敷地に豪邸を建築した。当時は、函館の田園調布のような存在であったのではないかと想像する。それほど広い敷地が点在している。これは元町などでは多く見られない傾向だ。

その谷地頭が今では、寂しい土肌を見せた空地の多く存在する街となってしまっている。どうして函館市民は街を簡単に捨てることができるのだろうか?そもそも街はどのような理由で存在しているのだろうか?

a0158797_23102638.jpg

その答はそう簡単に出すことはできない。太古からあった街、近代化の流れを汲んで拡大した街などそれぞれの歴史を調べなければならないからだ。

理由はどうあれ、街は存在している。ところが、現代ではその住民は大都市の機能に憧れ、それに近いものに飢えている。であれば、大都市に住めばいいのに、と私は思う。大都市の機能は、やはり大都市にしかないのだから。

a0158797_23184956.jpg

だが、もし多くの地方都市の住民が大都市への移住を行ったら、大都市の機能は麻痺し、捨てられた「田舎」には第一次産業が無くなり、日本は著しく食糧自給率が低い不安定な国になるだろう。移動は線である必要は無くなり、鉄路は途絶えるかもしれない。そして、この度のような大震災が直撃して、街が壊滅的になったら、日本全体に与える影響は、今回の震災をはるかに凌ぐ深刻なものになるであろう。

そう考えると、やはり地方都市は必要なのだ。地方都市は田舎なのではない。地方都市が存在するお陰で大都市というモンスターが存在できるのだと思う。

a0158797_23281756.jpg

私は20代までは都会至上主義であった。どうして地方の人は不便な町に住んでいるのだろう、都会に移住すればいいのに、と本気で思っていた。だから、いつの時代でも若者が都会に憧れて故郷を後にするのは仕方ないことだと思っている。止めようとしても無駄だと思っている。

しかし、私の場合で言うと、歳を重ねるごとに、人の根幹を成す生き方というものは、街の大きさとは関係ないことを知った。すると地方都市に住んでいても何の抵抗を感じなくなった。そのように思う人も少なくないのではないだろうか。

a0158797_23415260.jpg

そう素直に自分対して問うた時、都市の規模の大小に拘らず、自分の好きな街に住みたいとの答が出てくる。そして街のことは、その街が好きな人に考えさせるのが一番いいのではないだろうか、とも思うようになった。仕方なく住んでいる人が考えても良案が浮かばないであろう。
それは、生活のために会社にしがみついている者が、会社の活性化を推進するアイディアを出せないのと同じことだと思う。

函館に関して言うと・・・・・、函館が良くなったね、と言われる時というのは、谷地頭の空地にもっと家が建った時ではないかと思う。きっとその時の函館は、経済的にも指向的にも豊かになった時でもあるような気がする。


いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ

函館愛ポストカード、ハコダテ150ショップで販売中 ⇒ こちら
函館写真、弥生町のみかづき工房で販売中 ⇒ こちら

*下のコメント欄を使って、皆様のご意見・考えを自由に述べていただきたくお願い申し上げます。読者様同士での議論も大歓迎です