2013年 01月 27日 ( 1 )

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明治時代前半の田本研造が写した函館市街地の写真を見ると、今の弁天町は、やはり下町だったのだろうと想像できた。小規模な建物が密集し、洋風な建物も少なく、蔵が多い。
いわゆる「商業の下町」の様相だ。

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だが、この大黒通りには、明治時代、歌舞伎を披露する函館座があった。のちに映画館となったようだ。そして、画家の田辺三重松もこの大黒通りで生まれ育った。

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前回お話しした通り、世界的な舞踏家・大野一雄もこの弁天町で生まれ育った。
私の実家は昭和初期、芸者の置屋だった。そう、弁天町は雑多な文化が入り交じった「偉大な下町」だったのだ。

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その名残が今でも微かに、街の一部や人に残る。無意識に伝えてきた文化なのだろうか。

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弁天町は函館戦争によって、一度崩壊した。だが、杉浦嘉七が私財をなげうって西浜の埋め立てを行い、幸町と命名され、昭和40年に弁天町となった。
杉浦嘉七はのちに、北海道で初の民間新聞「函館新聞」を創刊し、また、北海道初の銀行「第百三国立銀行」の創設に参加し、初代頭取になった人物だ。

「人のためになることを行い、人の上に立つ」まさに「出世」の王道だ。

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この太刀川家の援助がなかったら、現在の「世界のソニー」はなかったかもしれない。

そんな、色々なことが混在する町が弁天町だ。

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