2016年 01月 21日 ( 1 )

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一昨日から昨日にかけて降り続いた雪は昨日の内に上がり、今日は綺麗な青空が見えました。昨日雪かきをした時も感じたのですが、この度の雪は日光に当たると薄っすらと青く見える、素敵な色をしています。まぁ、それは降り終わったから言えることであって、降り続いている最中はいい加減にしてくれという気持ちに誰しもなりますよね(笑)

さて、先日軽井沢で死亡者が多数発生したバス横転事故ですが、今日もまたニュースにその話題がのぼり、その原因やバス業界の背景なども取り上げられていたが、間違いなくこれだけは言えることは、車は人を殺すことができる凶器であり、また、その命運は運転している者に委ねられているということです。

特に雪道では運転手の路面状況の判断力と対応性が重要となり、それらの組み合わせが両立しないと事故に繋がってしまいます。そして、運転手本人が気が付かないうちに路面を危険な状態にするという住管を生んでいるのです。

どういうことかと申しますと、特に今日の市内を走った方はお気付きかもしれませんが、雪が均一に平らになっていない、でこぼこ道が多くあります。これはどのようにしてできるのでしょうか。まずそのような路面状態になるのは、交差点の停止線の10mや15m手前からが非常に多いのです。なぜでしょうか?理由は簡単です。交差点で停止するために車速が低策になるからです。
ある程度のスピードでずっと走ることができるなら、タイヤの熱エネルギーが雪に伝わり、次第に融けてできぼこのない(轍ができるかもしれませんが)比較的スムーズに走ることができる道路となります。(除雪が入っていないという前提の話です)ところが定速になると、特にトラックなどの溝の大きいタイヤが痕跡がそのまま残り、でこぼこになりやすくなってしまうのです。

このでこぼこ、当然ですがタイヤが踊りやすくなる(接地面が少なくなる)ために、特に凍結したらとても滑りやすくなります。すると当然皆さんはその道にさしかかると低速走行となる。するとでこぼこの状態は改善されず、危険なままになってしまいます。
理想は、そうなる前に、ある程度のスピードで停止線に停まるようにスピード配分して停止するのがでこぼこを作らせない可能性が高くなるのですが、現実は、みなさん怖がってなかなかそうしない。

ではなぜ怖いのでしょうか?もちろん滑るからです。滑って対向車線に向って行ったり、止まることができなくなり、横断している車に衝突したりとしますからね。誰だって滑るのも怖いですよね。
でも、滑るのをただ単に怖がっていては運転はできません。ではどうしたらいいのか?

まず、雪道は滑るのが当たり前、という大前提を頭に叩き込まなければならないと思います。滑るのは当たり前なのだから、どのような滑り方がコントロール可能で、どのような滑り方が操作不能になるか、という区別をしっかり自己体験の中で経験として蓄積しなければなないのではないかと思います。

昔、私が若い頃はよく人に、雪が降ったら一般道ではなく、どこかの広場や広めの駐車場で、思い切り急ブレーキをかけたり、急ハンドルをきったりして、その滑り方を勉強しろと言われました。まったくの正論だと思います。どこまでスピードを落とさずにブレーキや急ハンドルをすると危険なのか、あるいまどこまでが安全なのかの実験を一般道ではなかなかできませんからね。また、私は長距離運転の最中に前後に車がなく対向車もない時は、ちょっと速く走ってタイヤの雪道に対するグリップの状態だとか、横滑り仕方の確認をするこみとがあります。それもどこまで安全か危険かを体で覚えておくためです。

だから、その時の雪の路面の状態で、特別必要以上の低速で走る必要ではない場合は普通の速度で走ったりします。ところが、棄権か安全課の境目がわからない(だろうと思われる人)は、ともかく滑りたくないから路面の状況にかかわらず低速で走ってしまうのです。そうすれば、路面はガタガタのできぼこ道になり、ハンドルが取られやすくなってしまうのです。一昨日、私の前を走っていた4WDの車がある場所で突然車体後部が左右に動きました。いわゆるケツを振るという状態ですね。私の車はFFですが、全く影響なく真直ぐ走っていました。その車をよく見ると、わざわざ道路の滑りやすい部分を走っていたのです。つまり、より安全な部分はどこかということがわからなかったのでしょう、その後輪の横滑りが起きた後は、それまでも定速だったのですが、より低速走行になってしまいました。

さて、これで何が起きるでしょうか?そうです渋滞です。本人は「本人が思っている安全運転」のためにゆっくり走っているのでしょうが、後ろにに付いている者にとっては、「飛ばしてほしいとは思わないが、せめて普通に走ってほしい」とちょっとイライラします。なぜなら、ゆっくり走る分だけ、後続の車を運転している人間の時間を奪っているからです。その人は、そんなつもりはないと言うと思いますし、悪意があるとは思えません。しかし、現実的には「本人が思っている安全運転」のために渋滞が生まれるのは事実なのです。

もし、滑っただけで怖いのなら、冬は運転しないことをお勧めしたいと思います。たぶんとても緊張して疲労して運転していると思いますし、ちょっと滑って恐怖を覚え、それが嫌で低速でしか運転できなのいのでしたら、子へ本人のためにも、世の中のためにも運転はされない方がいいと、私は思います。
その理由は、先ほどもお話ししましたが、どのような状態が本当に危険に近付くのかという状況判断ができない方は、本当に危険な場面に出くわしたら何もできないからです。ハンドル操作とブレーキ、ギヤダウンなどの操作を一瞬の内に判断して実行する、そのようなことができずに、ただぶつかるしかない。そして事故になる。

もう一度まとめてお話しします。
車は人を殺せるくらいの凶器なのです。その凶器の扱い方を習得せずに運転する、ということが最も危険なことなのではないかと思う次第なのです。ちょっとでも滑ったら怖いから4WD車にする。それに対しては異論はありませんが、絶対に4WDであれば滑らないといことはありません。いったん横滑りしたら4WDの方がはるかに怖いのです。

今回の軽井沢バス横転事故の原因の一端は、運転手がバスの長さに慣れていなかったたらといこともあるのではないかと言われています。私もトラックを運転したことがありますが、そのトラックによって、重心の位置や遠心力のかかり方、積載量によってブレーキのかかり方、お尻の振り方が異なって来ます。ドライバーは色々な経験からどこまでが安全どこから危険を判断して運転をします。

「それは運転のプロだから」と言われる方もいるかもしれませんが、道路を走っている以上、プロもアマも関係ないのです。何せ命がけなのですから。命がかかっているのに、私は運転苦手だからでは通用しないでしょう。でも、車がなければ移動にとても困る、だから好きではないけど運転しているという方もいらっしゃるでしょう。では、なぜ運転をしなければ色々と不便な場所に住むことを決めたのでしょうか?

車があると便利だね、と思うのは、初めて車を買った当初のことです。いずれ歳をとり、車を運転できなくなったら、たちまち不便な街になります。先日、郊外の老人ホームに入居されている方の買物のために私の車に乗せてあるお店まで連れて行きました。その方がおっしゃるには、買い物ができなくなってとても不便だ、ということでした。しかし、この施設には車で行くとそれほど膨大な時間を要しません。でも車を使わず移動しようとしたら1日がかりのり大仕事となってしまうのです。

私たちは大きく根底から考え方を変えなくてはなりません。車が無くても生活にが不便ではない街、それが本当に便利な街だと思います。びくびくしながら運転し、怖さを覚えて必要以上に低速で走り渋滞を発生させ、多くの人間の予定の変更を強要することが「便利」なことなのでしょうか。
ここまでは、ドライバー個人についてお話ししましたが、結局ののところ、車がなければ不便になってしまう街にしてしまった市民全体の責任なのです。

札幌の市電がループ化した先日、電車が走の所有率が高くなり、郊外型店舗があちこちにでき、それとともにそれまで中心街だった場所が廃れ、住宅街も移動してしまった街の人口はどんどん減っています。函館も例外ではないどころか、これからもっと加速するでしょう。それとともに、より不便な街に函館はなってしまうのです。人口が減少すると公共交通機関の利便性も低下します。人口は密集して人口密度が高い街の方が活気が出て、結果的に便利な街になります。

話は横道にずれてしまいましたが、ともかく車は人間が操作するものです。その人間にかかっているのです。高齢者が無理をせずにゆっくり走っている場面をよく見ますが、逆に言うと、そのような高齢者が車を運転しなくても生活できる街にすることが、本当の安全に街になるということではないでしょうか。


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