カテゴリ:函館の現状について( 246 )

函館のカメラマンよ、“Hakodate”の光景を世界に発信せよ!_a0158797_23235476.jpg

だいぶ前だが、ある旅行代理店勤務の方とお話をしていたら、今、観光旅行をする人が参考にしているのが、その土地で撮られた写真だという。とても素敵な光景(あえて風景とは書きません)をネット上で発見すると、その場所に行ってみたい。そのような動機で旅をする人が多いそうだ。
その写真を見た観光客は、以前に見た場所で記念撮影をするのが旅で訪れる要因のけっこう大きな要素になっていると話していた。

試しにinstagramで#hakodateと検索してみたら、まあ、正直言ってぱっとしたものはほとんど見当たらない。もちろん素敵な写真も点在していたが、ほとんどはありきたりの場所でありきたりの記念撮影しているものをアップしているだけに近い写真だった。

だが、函館の魅力はそれだけではない。人と風景が織りなす素敵な「光景」は風景とは異なる情緒を滲み出す。そのような「奥深さ」を函館は持っている。
それはお決まりの「函館観光写真」には登場しないもの。写真の写された場所を探して歩いてみたいと思われるもの。じんわりと心にしみるもの。

そう、決して高度な撮影技術など必要ではないし、お決まりのシーンを高精度な写真で表現しなければならないのは観光用に使われるものだけでいい。私たちは普段接している奥行きと懐の深い函館の「光景」をそのまま写し、それを発信すればいい。それが世界中に伝わると、今度日本行った時は函館に行ってみようと思われるかもしれない。残念ながら、現在instagramにアップされている(探しやすい)写真を見ても、行ってみたいとは思わない。自分が他の街に住んでいて、それらを見てもそんなに関心を持たないであろうと思う。

私も、どう見られるかはわからないが、instagramの#hakodateに投稿するために、この正月休みは過去の写真の整理をしてみたいと思う。そして、自分なりの函館の魅力を再び発信してみたいと思う。私は、以前からinstagramはSNSではなく、写真発表の場だと思っていた。なぜなら世界中の人々が見ているからだ。
どうか函館のカメラマン(写真を撮っている人全て)、あなたの撮った写真を世界に発信してほしい。それだけで何かが変わるかもしれない。




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函館に住む意味_a0158797_22575432.jpg

時々、自分がどうして函館にいるのだろうかと考えてしまうことがある。

10年前、函館に戻ろうという強い気持ちが抑えられなくなり戻って来た。その理由はたくさんあった。まるで何かに導かれるかのように、頭によぎる様々な考えが「函館に戻れ」という方向に向って行った。理由はひとつやふたつだけではない。本当にたくさんあった。

その理由の一つが西部地区の風景だった。それはいくつかの街に住み、また、仕事などで訪れたたくさんの街の、そのどれにもない風景だった。この何とも言えない独特の空間がまだ残っていることに感謝し、また、その風景を守っている人たちがいることに感動した。しかし、その独特の風景を構成する建物が決して衰えることのない速度で消失し、空間に穴をあちこちつけて、切ない気持ちにもなった。そして、西部地区の人口が減っていっているのは、住んでいなかった頃の自分の目にも明らかであった。
それならば、自分はその西部地区の住人の一人になろう。何もできないかもしれないが、ただ住むということだけでも、穴のほんの一部分を塞ぐことができるのかもしれない。

ところが、しょせん多勢に無勢だ。私が住み始めてからも嫌というほど穴が開く現実をまざまざと見せつけられた。
そんな「穴が開く」光景をいつものように発見してしまった時、自分が函館に住んでいる意味があるのかどうか考えてしまう。だが、自分が日常的に接している環境では、そんなことは自分たちの生活に全く関係ない、という空気を強く感じてしまう。つまり、西部地区に住んでいる自分と、同じ市内にいてそれとは全く無縁な世界で仕事をしている自分の二つの世界があるということだ。
その引き裂かれた二面性の中で日々過ごしていると、無性に旅をしたくなってしまう。一度、ほんの少しでも函館を離れよう。そして別の街の良さを楽しんでみよう。その度から戻った時、ひょっとしたら函館に戻りたいと激しく思っていた頃の函館の姿を自分の中で見えて来るかもしれない。そういう淡い期待を持ちながら旅から帰って来ても、あっという間にまた普段の二面的な生活に逆戻りしてしまう。

でも、きっと私は函館にいなければならないのだろうと思う。使命感とかそんな立派な理由でも何でもなく、一度強いベクトルの力によって吸い込まれるように戻って来た理由は、きっとこれからわかるのではないかと考える。
まだ何も始まっていないかもしれないが、何も終わってはいないはずだ。二面性を持つ生活をしている自分は、また、まだ見ぬ日本の風景を探しにどこかへ旅に出るということを繰り返すかもしれない。そうなると、自分には三面性があるということなのかもしれない(笑)
だが、自分の思いのままにやってみよう。そうしているうちに、私が函館に住む意味をやっと自覚するかもしれない。

きっとこんなことは、函館に生まれ他の街に移り住むことなく、ずっと函館に住んでいる人には理解されることはないかもしれない。でも、きっと私は時々「旅」というガス抜きをしながらこれからも函館に住み続けるだろう。それが自分が選んだ道なのだし、導かれた道であるはずだから。





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津波ハザードマップで知られていないこと_a0158797_23241025.jpg

色々津波ハザードマップについて記す前に、以前の土砂災害警戒区域の記事で指摘したように、土砂災害警戒区域は、国土地理院の等高線の密度が高い場所だけピックアップし、「危険箇所」という名称で公示し(この段階では「指定」ではない)、その区域の実際の傾斜や崩れやすいかどうかの地質調査を行い危険と判断されれば、警戒区域にに指定される。しかし、ニュースを見ていたらそれほどの急傾斜でもない所の斜面が土砂崩れを起し、隣接する民家に被害を及ぼした例もあるという。
別に調査する側を擁護するわけではないが、そういう所まで調査する費用などは北海道には与えられていないし、仮にあったとしても、そればとてつもなく膨大な地域を調査しなければならなくなり、何十年かかっても全て網羅できるかどうか怪しいものだ。

このように、今回の洪水ハザードマップで的確に被害を予想できたものもあったが、実際はそれ以外の要素を含んでいることがあることも分かった。

さて、本題の津波ハザードマップについて話を始めましょう。まずは、そのマップをご覧になっていただきたい。

函館市津波ハザードマップ  

さて、この図を見ると色のついている所、すなわち津波到来のおそれのある所が、駅前からベイエリアを中心とした函館港沿いと大森海岸寄りの地域に集中しています。これを見ると亀田市と合併する前の函館市の約半分が浸水する可能性があるように見えます。それはだいたい海抜5m位が浸水地域となっているようです。
だは、どのようにしてこの浸水予想範囲を定めたかと申しますと、函館市総務部の方にお聞きしましたところ、北大のチームが函館市内の地質(土の種類)を調べ、「本来地上になかった海底の土地の存在」が認められた所までは過去に津波が到来したであろうと推定して作成されたものだということです。それはそれで大変な作業であっただろうと感謝する次第であるのですが、「過去に来た津波」を「最大クラスの津波の浸水予想」というのは的確なのかどうか少し疑問を感じてしまいます。
最大クラスは何メートルクラスの津波を想定しているのでしょうか?確かに津軽海峡はその地形や流れから超大規模な津波が来る可能性は低いと推定されています。ですが、東日本大震災のような大地震の震源地が函館の近くであった場合、大きな津波が押し寄せる可能性がないとは言えません。

津波ハザードマップで知られていないこと_a0158797_23075051.jpg

そこで、先ほどの津波ハザードマップを拡大などしてよくご覧になっていただきたい。そこに等高線があることにお気付きなるだろうと思いますが、仮に(あくまで仮にということです)20mクラスの津波が上陸してもなお勢力が衰えず、そのままの高さで函館を襲ったとした場合、等高線が20m以上になるのは概ね産業道路辺りからであることに気付くでしょう。実際は、建物やその他の物でそんな単純に津波がその距離を同じ高さで進むかどうかはわかりませんが、もし、そうなったら、函館の大半は壊滅状態になることになります。
津波が襲った場合、私たちができることは避難、つまり逃げることしかできません。諦めて自分の家で最期を迎えたいという選択もあるかもしれませんが、あくまでどうやったら生き延びることができるかということを考えますと、ひとつは堅固な高層ビルの上階に駆け上がる方法と等高線で示された海抜の高い場所に移動するという、この二つの方法しかありません。しかし、例えばハザードマップでは過去に津波が来たことがないだろうと想定される松陰町から直線距離で比較的近い函館大学付属有斗高校まで自分の足で逃げるとすると、(マラソン等で鍛えられているという人ではない限り)頑張って走っても20分以上はかかるのではないかと想像します。しかし、皆様もテレビ等でご覧になったと思いますが、津波のスピードはそれをはるかに凌駕する速さで追い越して行きます。つまり、呑み込まれてしまうということです。そのような時はおそらく道路という道路は車と人でごった返し、車で避難という方法も非現実的であったことは東日本大震災で実証されていると思います。
そう考えますと、函館で安全な地域は産業道路周辺ということになりますが、もう一つ安全な地域があります。それは西部地区であります。

津波ハザードマップで知られていないこと_a0158797_23472295.jpg

えっ、海に近い西部地区が?と思われる方もいらっしゃると思われますが、確かに海岸近くは最初に襲われて大変なことになるでしょうが、20mというラインは坂で言いますと3つ上まで行けばもう大丈夫だということなのです。例えば電車通り付近に住んでいたとして、3つ目の坂を目指して「火事場の馬鹿力」で駆け上がったとしたら5分もかからずに安全な高さまで避難することができます。もちろん、小さな子供や高齢者は5分は難しいかもしれませんが、誰かの力を借りたら短時間での避難も可能となるでしょう。
そして、西部地区の坂は全体的に道幅が広いため、スムーズに駆け上がることができます。東日本大震災で逃げ遅れた原因のひとつとして、坂の道幅が狭く、そこに車と人で混雑して避難がスムーズにできなかったということも、ひょっとしたらあるのではないかと被災地を実際に見て思いました。
地震が起きてほぼ同時に津波が押し寄せてきたら、函館のどこにいても、おそらく避難は難しく、その時その人がどこにいたかという運任せになってしまいますが、それなりのタイムラグがあり、津波警報が迅速に発せられたら、意外と西部地区の方が速やかに非難することができることが、ハザードマップでお分かりになるでしょう。
海に近い=危険というイメージだけで判断するのことが本当に正しいのかどうか、冷静に考えてみてはいかがでしょうか?




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函館 宴のあと_a0158797_01282519.jpg








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函館にも光のページェントがあればいい_a0158797_23364694.jpg

だんだん秋を感じるようになって、その次に来る冬を思い浮かべた時、2年前に初めて見た仙台の光のページェントをもう一度見たいという気持ちになってきた。
光のページェントは30年以上続けられている仙台の年末のイベントで、一部市民には毎年同じだから飽きたという声もあるようだが、初めて見た者からすると「素晴らしい」という言葉しか見つからない。

何が素晴らしいかと言えば、定禅寺通りという、札幌で言うと大通公園を狭くしたような真直ぐで長く続く通りに施された光のど真ん中をずっと歩いて見れることだ。その道の両脇にはけやしの幹や枝に装飾された電球が絶妙な形で光を放っており、まさしく光の中を歩いているという気分になる。
この写真は、軽率に三脚も持参せず、寒さの中ハンディ撮影したため、大失敗写真となっているが、今度はしっかり三脚にカメラを装填して光のページェントの美しさをきちんと記録におさめたいと思っている。

残念ながら、この光のページェントに比べると、函館のクリスマスファンタジーや二十間坂通りのイルミネーションはやはり寂しいと言わざるを得ない。なぜだろうか?それはたぶん自分(あるいは「自分たち」)が主人公になって光に包まれて歩くという設定になっていないからだと思う。光に包まれるのと光を見るのとでは体感がまるっきり違う。例えがいいのかどうかわからないが、寒い時毛布に包まれるのと毛布を眺めるとの違いのような大きな差がある。

毎年頑張って運営を続けている函館のクリスマスファンタジーやイルミネーションを否定しようというのではない。いや、それどころかせっかく頑張ってやっているのだから、仙台と同じような「光に包まれる」感覚を函館でも体感させることはできないだろうか、そんなことをついつい考えてしまう。
もし、その具体的なアイディアができ実現できたなら、函館の冬はもっと心までが暖かく、私がもう一度仙台に行きたいという気持ちになるように、たまたまそのシーズンに来られた方々が、クリスマスは函館で過ごしたいと思ってくれるだろう。

重ねて言うが、他と比較して函館はダメだとかというのが主題ではない。いいものは学び、それを函館ならではの形で表現できたなら、もっともっと函館は素敵になるだろうな。という話です。
皆さんも考えてみませんか?





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函館が田舎だなと感じた時_a0158797_23151650.jpg

最初にお断りしておきますが、函館が本当の「田舎」だったとしたらこんなタイトルで話を始めたりしません。山の中や海辺の小さな町であれば、誰から見ても田舎なのだからわざわざ田舎と感じる時という表現は使いません。どうしてこのような言葉を使用するかと申しますと、都市規模的にも人口的にも中途半端な街だからです。大都市の部類にも入りませんが、(特に道内の)主要都市として存在していますし、また、全国的にも、今や一部の海外でも知名度の高い都市であるという・・・・・けれど、というのがありまして、まぁ、どっちつかずの街を眺めていると、「田舎だな」と思える事象がいくつかありますので、本日はその具体例を挙げてご紹介したいと思います。

1.乗用車のナンバーが自ら選択した車がたくさん走っている。
 市内を走っていますと、見てすぐわかる、選択式車両ナンバーだなと思われるゴロ合わせや連番、4ケタ全て同じなどの車両を見ます。こういうナンバーは札幌を走っていると、ごくまれにしか遭遇しません。札幌の場合は、絶対的に車両数が多いため、自分の選びたいナンバーを求めてもストックがないためか、そんな「田舎臭い」ことはしたくないと思っているのかわかりませんが、ともかくそれらしきナンバーの車を見かける機会は、函館に比べて非常に少ないものです。また、海を渡った青森県にもここ何年かよく行っていますが、函館ほど目立ってはおりません。
それだけ選択の余地があり、ごろ合わせや連番等の選択が多いって、あぁ、函館って田舎だな、と感じてしまうのです。

2.ロードサイド店に住宅が集まる。
 今、そのような全国全道チェーン店舗が一つの大きな敷地に並んで○○タウンという名で、産業道路付近を中心にいくつもの集合体が存在していますが、これは元を辿ると、都市中心部から離れた郊外に建設されたのがきっかけで、休日などにちょっと家族で郊外まで行って大規模店でまとめ買いをしましょう、という目的で造られたのですが、今ではその商業施設の周辺に住宅地ができるという現象が起こっています。これは、函館よりももっと小規模な都市では顕著になっていますが、その街を訪れた時、賑やかに感じるかというと、全くそうではなく、逆に衰退感を覚えてしまうのです。
 例えば、札幌市などは190万人もの人口を擁しているから大都市だと思われている方は多いでしょうが、小樽市に近い手稲区明日風という地域はここ10数年で開発された新しい街にも拘らず、全国どこでもあるようなロードサイド店舗ばかりがある「田舎っぽい」風景になっています。たぶん、道内各地や全国各地を歩いていない方にはわからないかもしれませんが、このような街並には豊かさを感じさせません。生活感だけでちょっとした街並の遊びもないところが残念ながら田舎っぽく感じてしまうのです。
3.スターバックスが3店舗もある
 別に1都市に3施設あってもおかしくはないのですが、函館程度の人口の都市に3店舗もあるのは、「他にいいカフェがないのか?」と思われても仕方ないと思います。実はいいカフェはいっぱいありますが、そういう所を探す気もない人やスターバックスに行くことがお洒落であると思い込んでいる方々がたくさんいらっしゃるから3店舗もできてしまうのではないかと思います。コメダ珈琲店ができるという話がありますが、一昨年コメダ珈琲店でコーヒーを飲んだことがある私は、特別な期待感を持っていませんが、けっこう密かに楽しみにしている市民が多いのでは。そんなところが田舎っぽく感じてしまうのです。

4.ファッションが今一歩
 これは函館に限らず、地方都市ではある意味仕方ないことだと思いますが(販売店舗の選択肢が限られているから)、今ではネット購入なども可能ですので、もう少しお洒落に気を使えばもっと垢抜けるのにな、と思えることがあります。特に函館の女性は、別の街から来られた方が素敵な女性が多いという話をされることがよくあるだけにちょっと残念に思う次第であります。私は女性を撮らせていただくこともある関係で、ネットで女性ファッション系のサイトを見たりすることがありますが、あのネットショップで売っていたあんな服をその女性が着たらもっと素敵になるのにな。それほどのお金を出さずに買えるのに、と思ってしまうことがしばしばあります。
 まぁ、そういう私も服にお金をかけているわけではありませんので、大きなことは言えませんが、できる範囲でいかにもおじさんっぽくならないようにしているつもりであります。

5.視野が狭い
 これについては地方都市だからという理由はつけられません。どんなに田舎に住んでいても視点を日本全国や世界に向けることは可能ですから。ところが、函館の物事の判断基準は函館スタンダードと申しますか、まるで孤島に住んでいるかのような狭い視野でのものになっています。これは、かなり前に私が記事にした「函館から大企業が誕生しない理由」でも述べましたが、函館の中でそれなりの事業者としての「位置」を得るとそれで満足し、それ以上を目指す者には無言の圧力をかけてしまうのです。すると、市民は自分の身の保身から、視野も目先の函館市内だけに移してしまうのではないでしょうかね。

6.都市デザインがパッとしない
 さて、函館で近年注目された中心街再開発事業の目玉となる、駅前旧和光デパートの新建築物「キラリス」、五稜郭公園前の旧ダイエーの新建築物「シエスタ」ですが、私はその完成に期待を持っていましたが、まぁ、残念なことに建物のデザインとしては20年以上前のものと言わざるを得ません。もちろん予算等の関係でなんでもかんでもできるわけではなかったでしょうが、これからの中核を成すかもしれない建物であったのに、結果的にあのような陳腐な建物ができてしまったのは、明治時代日本でも最先端の技術とデザインで数々の建物の傑作を生み出してきた函館、というイメージからすると、遠くかけ離れているのは事実として受け止めなければなりません。

7.地元地元と言いながら、本州からの飲食店進出に、コロッとそっちに目が行ってしまう。
 これについては開いた口がふさがりません。

以上、ちょっと偏見を交えて書いてみましたが、これでも柔らかく書いたつもりでございます。
函館がよりセンスのいい街となるためには、日本全国や世界に視野を広げた上で、それらのものを採り入れ、そこから独自のものを創り上げてい行くことが必要だと願ってやみません。





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気付けば大門が賑やかになっていた_a0158797_22404431.jpg

この写真は約6年前に撮影されたものだ。
もちろんこの頃はまだ和光デパートがあり、ボーニ森屋も普通に営業されていた。きれいにめかしこんだおばあちゃんが「お出かけ」でボーニ森屋に入って行くのを度々見ることができた。
でも、夜になるとこの辺りは閑散となり、繁華街という言葉とはかけ離れた街になっていた。
現在は、和光もキラリス函館という施設に変わり、ボーニは閉店し静かに解体される時を待っている。
ところが、夜は6年前とは大きく変わって来ている。

それを感じ始めたのは今年の春あたりからだった。たくさんの観光客が夜の大門を歩いている場面を数多く見かけ始めたのだった。その兆候はたぶん去年あたりから始まっていたのかもしれないが、より顕著に感じたのは今年になってからだった。
北海道新幹線開業直後の時も今のような賑わいはなかった。きっと観光客の方々は夕食をサッと済ませてずっとホテルおとなしくしているのだろうな。せいぜいコンビニくらいは多少売り上げが向上した程度ではないか。そんな雰囲気に私は見えた。つまり、昼の観光が終われば、地方にあるような温泉旅館に泊まったように宿泊施設に閉じ籠って(せいぜい出かけるとしても夜景を見に行く程度か?)次の日に備える、そんな観光客が多かったのではないかと思えていた。

ところが今年は、夜も函館を楽しもうという雰囲気を感じる。もちろん地元市民もそれなりに歩いてはいると思うが、ともかく、大門を歩いている人の数は、ひょっとしたらほぼ地元市民しか行かない本町よりも多いのではないかと思える(もちろん感覚としてだが)
いずれにしても、観光客の方々が「函館を観光」するというより「函館で遊び楽しむ」という傾向に変わってきたのではないかと想像できる。そうです。函館は観光スポットだけでは済まない味のある魅力がいっぱいあるのです。
そう言えば、西洋系の外国人の観光客も増えているようなことも聞きます。とてもいい傾向だと思う。
知人のある人が「仕事の関係で全国各地を旅したが、函館はここしかない独特のものを持っている」という話をしてくれた。ということは、世界から日本に来た方々にとっても函館は独特の魅力を持っていると感じてくれるだろう。

跡は、私たち市民がその魅力を失わないように、函館の面白さをキープし、また、新たな楽しみを与えることができるよう努めなければならない。
きちんと守るべきものは守り、刷新すべきものは大胆に実行し、せっかく視野が広がった観光客の方々の期待を裏切らないように努めなければならない。
このいい中瀬れを停めてはならない。




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函館が面白くなってきている_a0158797_00264304.jpg

今年の夏の函館はちょっと面白くなってきた。
先日のバルも大盛況だったようだし、そのようなイベントがなくても、観光客の方々が西部地区をくまなく見てみようという行動に変化しているようだ。
いつものイタリアンで店主さんと話したが、今年は明らかに観光客とわかるお客様がけっこうふえたそうだ。そのお店は主に常連客が入れ代わり立ち代わり訪れる、人気があるお店なのだが、今年は客層に変化があったという。いつも地元民で賑わっていたお店に、まだポツリポツリだが、白人のお客様も少しだけ増えていたようだ。
そして、今までであれば、観光を終え、ホテルに帰るために使用うする電停は、最もどつく寄りで末広町から乗るのがほとんどだったが、今年はその一つ先の大町で電車に乗る「観光客と思われる人」が、まだ数は多くないが、それまでのほとんどゼロから何人か乗車するという傾向が見えた。
また、夜に末広町方面から大町方面に歩いている観光客らしき若者も多くなったように見える。

つまり、定番のベイエリアや元町や函館山だけではないものを、函館に求める方々が増えて来ているかもしれないということだ。先日の幸坂でご紹介したように、だんだん普通の観光ルートを巡って、次に来た時はもっとディープな函館を楽しみたいという観光客が増えたのかもしれない
もし、それが本当ならば。函館はもっと面白くなるだろう。なぜなら、観光スポット以外にも函館の良さを現している場所がたくさんあるからだ。それを定番観光コースを回っても、たぶん一度行けばもう充分という楽しみ方から、函館という町を楽しみたいという観光客が増えたのかな、というあらわれなのではないか。

これは函館にとってはとても重大な転機となる前兆なのか?
まだ結論づけたりするのは、時期が早いかもしれないが、それでもたぶん函館は面白くなって来ているのだろう!




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緑の島から見えるホテルについて考える_a0158797_21414757.jpg

昨年から今年にかけて、JR函館駅付近でのホテルの着工・竣工が相次いでいる。このことは、通勤や通学、あるいは西部地区方面に遊びに来る市民、市内の動向にに関心がある方々には「今さら」という話しになるかもしれないが、その反面知らない、あるいは関心のない市民にとっては、自分とは関係のない別世界で何かが起きているとしか認識していないでしょう。
それは日常仕事をしていれば、肌で感じてしまうことでもあります。

このことに対する私見は後程述べるとして、新規オープン・建築中のホテルの整理をしてみましょう。

緑の島から見えるホテルについて考える_a0158797_22392471.jpg

まず今年の5月にオープンしたのが、上の写真の中央よりやや左にある「センチュリーマリーナ函館」札幌のハイクラスホテルである「センチュリーロイヤルホテル」の姉妹館だ。正規オープン前の施設公開もあったようだが、私にその情報が入った時は既に遅しで、内覧することはできなかった。そのため、公式HPで客室を拝見すると、いわゆる豪華さよりも、海に隣接しているという観点から、爽やかさを強調している客室の作りになっているという印象を持った。
そして、各クラスの客室の広さ設備を見ると、天然温泉を引き込んでいるロイヤルフロア(スイートルームばかり)の広さと設備備品などは申し分ないが、次のランクのプレミアフロアになると、それほど広いとは思えず、また、浴槽がなく、シャワーブースだけという構成になっている。スタンダードフロアになると、広さだけ見ると普通かな、という印象を受け、また、ここもシャワーブースのみというところから、海外からの観光客を主眼に置いているのではないかという想像をしてしまう。
しかし、全体的には、特に函館の中ではハイクラスホテルに属するものがオープンしたと言っても過言ではないという印象を受けている。

次に、冒頭の写真の摩周丸のすぐ左隣に建築中のホテルは「JRイン函館」で、もちろん経営者はJR北海道であるが、まだ客室のイメージ図公開されていないため断言できないが、公表されている建物の延べ床面積と客室数から換算して、また、札幌駅周辺にあるJRインを想像すると、ビジネス客や宿泊費を抑えようとする観光客向けなのではないかと想像する。ホテルに関してでも思うことだが、JR北海道はJR東日本と合併して、「メトロポリタン函館」を作るべきだったのではないかとつくづく惜しい思いになてっしまう。(筆者はメトロポリタン仙台に宿泊したことがあるが、建物の古めかしさは感じても全体的なハイクラスホテルの印象は薄れない居住空間だった。

次に、JRイン函館の後ろ側に、ほぼ完成間近というダークグレーの「ホテルWBF函館 海神の湯」。現在WBFグループでは「ホテルWBFグランデ函館」と「ラ・ジョリー」を経営しているが、どちらも既存のホテルを買収してリニューアルさせたもので、新築は函館では初めてのケースとなった。天然温泉大浴場を併設してリゾート型的な印象を与える同ホテルは、ビジネス用の無駄のないレイアウトをとったシングルベッドの部屋から、それなりの広さを持ったツインルームまで、その宿泊客の構成にによって選択肢が多いタイプのホテルとなっているが、ラ・ジョリーのようなラグジュアリーな部屋がないことが少し残念であります。

次に、今お話しした「ホテルWBF函館 海神の湯」に隠れて見えないが、高砂通には「ユニゾイン函館エクスプレス」が、これも完成間近だ。近年全国的展開しているホテルだが、シングル・セミダブル双方とも11㎡という狭さから、ビジネスか格安旅行希望者が主流となるホテルになると言えるでしょう。

そして、冒頭写真の一番左側に間もなく完成予定の「ラ・ジェント・ステイ函館駅前」の客室を拝見すると、ツインが主流のようで、カップル・家族向け客という狙いが見えてくるが、個人的にはダイワロイネットの延長上にある気がしてならない。やはり最も広い部屋で30㎡というのは、悪くはないが良くもない、中間的な位置付け的なホテルという印象を得てしまうのは免れない。

それそれぞれのホテルの特徴をサイト検索によって調べてみたが、それぞれのホテルはどのような観光客層をターゲットに絞って計画を立て、実際にどのようなタイプの客が宿泊するのか、それは実際にオープンしてみなければわからないが、タイプが違う各ホテルにちょうどいい具合に観光客が分散して、良好な経営が持続されることを期待するしかない。

さて、問題は、宿泊のキャパシティが拡張した函館だが、観光客を受け入れる函館市民はどうなのだろうか?残念ながら冒頭の方でもお話ししたように「関係者」以外の関心は低い。そのような人々は、観光客というのは自分とは関係のない所で楽しんで帰って行く、ただのストレンジャーとしか見ていないように思える。キャパが増えて受け入れ可能客数が増大したとして、そこから派生する食費・飲食・お土産という消費で得た金が函館市民に間接的に回ってくるとは思っていない市民はかなりの数になると思う。しかし、昔からよく語られている「よそ者」排他指向の市民性を観光客が感じてしまったら、街並には好感を得ても市民性には幻滅し、リピートしたいという者はそれほど多くならず、常に新規客を獲得しなければならないという事態になってしまうだろう。
まして、中国人観光客の比率が高い函館においては、政治的経済的な事情でわざわざ函館に旅行することもないだろうという、という傾向が強まれば、新規既存含めてのホテル業界、並びにその業務に関連する職業(食材提供・クリーニング・地元採用の従業員等)に大いに影響が出てくることは必至であろう。

そうならないためにはどうしたらいいのか。まずは観光業によって私たちの生計を維持できている部分が多いという認識と、観光客が期待する「函館」を維持あるいは創出していくことが肝要となるだろう。
今私たちが考えるべきことは、北海道新幹線駅が函館にも直結にならなかったということをいまだに恨み節のように唱えることではなく、「行ってみたい、行ってみたらまた行きたくなっしまう」街を作ることではないだろうか。そのためには、「自分とは関係ない」という意識を持っている市民を一人で少なくしていくことが、底辺に流れる変換しなければならない大きな問題点となるだろう。








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いいもの、いい街_a0158797_00025323.jpg

いいもの、それは多くの人たちに認められたものであるということに疑問を挟む余地はない。
例えば、苦心の末創り上げた、カップに入った即席麺のカップヌードルは、ずっと昔から全国はもちろんのこと、世界中でも食べられている。
かつては札幌市内の、格安だがそれなりにインテリアに馴染む家具を販売していたニトリだが、北海道どころか全国各地に店舗を持つまでになっている。
ここではわかりやすいように高級品ではなく身近にありそうな物を取り上げたが、これらのものは「いいもの」だから世の中に認められ手販売規模が拡大されてきた。

そう、「いいもの」は私たちが意図的でも何でもなく「いいもの」として認め購入している。

では、いい街とは。
先日テレビを見ていたら、京都市街地に全国的には撤退してしまっている「公共ゴミ箱」が観光地の道端に設置されているという。それは大切な観光地をゴミで汚されないようにという京都市の施策であるそうだが、それでも落ちてしまっているゴミは近隣住民が定期的にゴミ拾いをして「ゴミひとつも落ちていない美しい街」として外国人観光客からも驚きの目で見られているようだ。
そこには古代から街並を守り続けていた京都市民の意思を感じざるを得ない。

それに比べて函館は、ひとりひとりが函館の「いいもの」を守るため、あるいは創るために努力しているだろうかという疑問が浮かんでくる。決してゴミのことを指して言っているわけではない。いゃ、西部地区に住んでいない人はわからないかもしれないが、定期的に書く町内会で道端のゴミ拾いを行っているのを何度も見ている。
どうだろうかという疑問はゴミのことではなく、自分たちの街の優れていて誇れるものを守り時代に従って変化させ、いつまでも京都はやっぱり京都あると我々にその姿を誇り高く見せているのに比べて、函館はどうなのだろうか、ということだ。

よくテレビに出る「今でしょう」の林修氏、ある番組で大変参考になる言葉を発してくれた。
「やりたいことをやって上手く行く人はいいが、それはごくわずかの数で、その人がやるべことは、人からこの人はこれが似合っていると言われたことだ」
林修氏も今のようにテレビで有名になる前、ある出版社から「こんなことについて書いてみませんか」と誘われて、本当はそれほど書きたい種類のものではなかったのだが、書いてみたらベストセラーになり、そのシリーズを何冊か出した後、今度こそ自分の書きたかった本を書いたら、彼の出版物で最低の売り上げ部数になったという。

話しはちょっと逸れたが、では函館の「いいもの」とは何だろうか?
それは地元市民が住みやすいと思う街を作り上げたところが、誰もが認める「いい街」なのだろうか?でも、それは林修氏が最も売れなかった出版物と同じようなものなのではないだろうか?
全国や世界から来る観光客が認める「いい函館」はそういうところではないはずだ。いいものを創り出せない街は、自然と衰退してしまう。衰退は大門・西部地区というが著しいと言われているが、私は何度も話しているように、「人を受け容れず、自分たちの目先の便利さに走ってしまっている市民」がその最も大きな原因となっていると考えている。一見便利そうで、周囲に新しい住宅が立ち並び、住みやすそうに見える街は、全国どこの衰退型地方都市にもある定番の風景なのだ。

「いい函館」は、守り・創り出すという相反する行為を同時になってやっとその姿を誇りを持って全国の人たちにお見せできるものではないかと考えている。





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