カテゴリ:社会・経済について( 165 )

どうしてマラソン・競歩は札幌になったのか?_a0158797_21050703.jpg

先日まで世間を騒がせた東京オリンピックのマラソンと競歩の競技地変更の理由を私なりに考えてみました。
もちろん、そのきっかけとなったのはドーハで行われた陸上世界選手権の女子マラソンで途中棄権者が4割を超えるという異常な事態であることは誰でもご存知のことと思います。そこでIOCは東京オリンピックのマラソン・競歩を東京から札幌に変更したわけですが、主催地であり開催地でもある東京に直前まで相談もせずに一方的に変更を表明し、これは決定事項であり変更はしないと断言したわけでありますが、これを報道で知った時、なるほどなと私は思ったわけであります。

どうしてマラソン・競歩は札幌になったのか?_a0158797_21334855.jpg

IOCは東京が変更に同意しようがしまいが、東京より気候環境の良い場所にしなければいけなかったのです。なぜなら、もしIOCがそのまま東京で競技を開催して、ドーハのような悲惨な結果が生まれたら、それはもう世界中からドーハで何も学ばなかったのか、何も対策を考えなかったのか、選手のことを考えていないのか、等々非難を受けるでしょう。IOCとしては、そうなったらオリンピックの歴史に大きな汚点を残すことになりのを避けたかった。「地獄の東京」「東京の悲劇」などという言葉が世界中に駆け巡るのを何とか避けたかったのでしょう。ですから、東京がどう反応しようが「決定事項」として札幌へ変更したわけなのではないかと思います。

どうしてマラソン・競歩は札幌になったのか?_a0158797_21500018.jpg

この「決定事項」を東京が拒否しようが、すんなり受け入れようが、おそらくIOCにとってはどちらでも良かったのではないかと考えます。なぜなら、IOCとしては「悲劇」を避けるために大英断をしたわけですから。もし、東京とIOCの協議がこじれて、そのまま東京で行うことになったとして、ドーハと同じようなことが起きても、「だから札幌に変更すれば良かったのだ。責任はOCの決定を無視した東京にある」ということになります。
そして、当然強行した東京は世界中から非難を浴びることになるわけです。「なぜ東京はIOCに従わなかったのか?」「地元開催にこだわって人間としての選手を軽視したのではないか?」その他色々な非難が東京に集中します。

小池知事も当然そのことは、変更を知った時から考えたでしょう。あるいは、側近から忠告があったのかもしれません。ともかく、小池知事には選択の余地はなかったのではないかと思います。それを決して屈したのではなく「頑張ったけれど仕方なかった」という形を残して、せめて新たな費用負担を回避して妥協したのではないかと思います。これは決して「せっかく東京を目指して調整に勤めていた選手が可哀想ではないのか」という感情論でもなく、「せっかく猛暑対策をしたのに今さら」という損失の問題でもなく、「今から変更して本当に間に合うのか」という技術論でもなく、「札幌より東京のコースの方が見栄えする」という営業的な問題でもなく、「せっかくチケットを買ったのに札幌まで行けない、札幌ならつまらない」という観客無視の問題でもなく、もしドーハのようなことが起きたら誰が世界中から集中砲火を浴びるのかという問題なのです。
ですから、IOCは東京に対して「決定事項」として告げたわけであります。その後の結果はどのようになっても(本当に東京が強行できるかどうか、規約運営的なことは詳しくは知りませんが)IOCにとってはどうでもよかったのではないかと思います。IOCはやるべき「決定」をしたのだ。それが最も重要だったのではないかと思います。

さて、私の分析はここまでとして、個人的には、確かにコースのロケーションははるかに東京の方が素晴らしいと思いますが、その反面、選手がバタバタと倒れてしまうのは絶対見たくないという思いもあります。また、札幌という身近な都市での開催となりますので、ちょっとだけ「行ってみようか」という好奇心の囁きが耳元で聞こえてきます。どうしましょうか?




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土砂災害危険マップと土砂災害警戒区域について(あまり知られていない指定方法)_a0158797_23010278.jpg

先日の台風19号の本州での被害は、今までの想像を超える悲惨なものとなった。今日現在で76名もの死者が出て、自宅に浸水し、あるいは停電や断水等で避難生活を余儀なくされている方々が多数いることを考えると、いたたまれない気持ちになってしまう。本当に住む家がとりあえずあるというだけで幸運だったと思うしかないし、また、それと同時に被害に遭われた地域の復興が早急になされることを願わざるを得ない。

さて、この度の被害の多くは堤防の決壊等による洪水が原因であったことは皆様はご周知のことだと思うが、テレビ報道を見ていると各自治団体で発表されている洪水ハザードマップの浸水想定区域と今回の浸水地域がほぼ一致していることがわかった。これは、川が増水し、堤防を越えて市街地に広がった場合、川の水位と市街地の高低差などを計算するとかなりの精度で危険地域を想定できる種類のものであると考えられる。それは素人の私でも充分そうだろうなと想像ができる。
しかし、土砂災害(土砂崩れ、崖崩れ等)の危険箇所と津波ハザードマップについては、一般的にはなかなかその地域選定基準や選定手段は知ることもないだろうと思う。そこで、この二つについて、私が仕事柄知った情報を皆様にお伝えしたいと思う。

まず今回は、土砂災害危険箇所マップと土砂災害警戒区域の違いだ。
土砂災害危険個所マップは、国が示した一定の基準で抽出された土砂災害の危険性があると思われる区域を表しているものだ。抽出された区域はその地域の全体の地図の中に黄色で示される。

函館の土砂災害危険個所マップはこちら → 土砂災害危険箇所マップ(旧函館市) 

これは何を基準にして作成されたのかを仕事上知りたくて、ある旧土木現業所で2時間粘って教えてもらったことだが、まず、ここに示されている箇所は、国土地理院作成の地図の記されている等高線の密度が高い地区(等高線の密度が高いと、勾配の急な急傾斜地になっていると言える)を地図上で示したのが危険個所マップである。そして、その示したものは「指定」されているわけではなく、先ほどの一定の基準によって選ばれた区域だという、それだけのことなのだ。つまり、「危険である可能性であるかもしれないですよというお知らせ」程度の位置付けで、どこまで本当に危険なのかは正確性に欠けるものだ。

しかし、その次に、この危険かもしれない箇所について、現地に専門家を派遣して、実際の傾斜や地質などから崩壊危険度をより精密に調査して急傾斜崩壊と土石流災害の危険性が高い区域を選択し「指定」したのが、土砂災害警戒区域とそれより危険度が大きいのが土砂災害特別警戒区域となることになったという経緯がある。これにはそれなりの費用と専門にに調査できる人材の関係で10年以上も前から少しずつ巡回して調査を続けており、まだ全道の全ての調査を終えてはいない。だから、指定される箇所は毎月更新されている。(もちろん増えている)のだ調査が完了されていないとはいえ、指定された区域を見ると納得できるような地形ばかりだ。

これは、土砂災害警戒区域等の指定状況及び基礎調査結果(函館市の指定状況)をご覧になっていただければ、その箇所がわかる。

しかし、この指定方法にも若干の疑問がある。それはそもそもの基になっているのが、先ほども述べた通り、最初は地図の等高線であったということだ。等高線の密度が低い、つまり比較的なだらかな傾斜地でも、地質が脆弱であれば崩壊が起こる可能性は否定できないし、土石流の危険箇所も、土石流の流出量によって想定されるよりも被害区域が広がる可能性もある。だから、指定されていない地域は安全を保証されたというわけではない。今自分が住んでいたり働いていたりしている場所はどのような地盤的環境下にあるかを、観察し、もしもの場合に備える心構えを持っていなければならないのだ。

土砂災害警戒区域は、多数はあまり人の住んでいない区域が多いが、意外と一般住宅地も指定されている箇所も結構多い。
指定された区域の方々はもちろんのこと、指定されていない区域の方々も自宅の付近の形状などを観察して、災害に備えなければならないと思う。




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ハザードマップの基準とは?(災害に対するひとつの考え方)_a0158797_23365790.jpg

記録的な降雨量で各地に甚大な被害を残し、日本列島を足早に去って行った台風19号。
このような災害がある度に、昔私が経験した、あるいは被災の後を見た記憶が甦ってくる。

ハザードマップの基準とは?(災害に対するひとつの考え方)_a0158797_00112564.jpg

瞬間滞在風速42.5mでの状況(本州の1枚の窓ガラスが風圧によって大きく歪んだ。この時はガラスが割れて散乱し自分の身体に損傷が及ぶことを覚悟した。
長崎県雲仙普賢岳の噴火による火砕流の流出によってできた「生き物の気配を感じさせない世界」
福島県中通を中心として10日間にも及ぶ集中豪雨(車の屋根に、まるで雹が降りおちて来ているかのような激しく強い雨)
そして、3.11日舵日本大震災に昨年の北海道ブラックアウト、1968年の十勝沖地震(後に三陸北部地震と改称)


もちろん、私よりもたくさんの災害を経験したり、記者などの職業についている方は、もっと多くの悲惨な現場を見ているだろうが、実際に想像を絶するものを見る前と観た後では、災害に対する考え方が変わってくる。災害が襲って来るかもしれないという警戒心と、この程度で収まるならば冷静に行動した方がいいという判断力。
そのようなものが自分自身に植え付けられる。

そのような災害が起きたとしても、非難できる体制や情報開示などが必要となってくるのだが、私たちがへぇーと見ているハザードマップを作成する根拠は、こちらから役所に訊かなければなかなかその基準を知ることができない。
そこで、私が調べ上げた中でごしょうかいできるものを、今度じっくり解説してみたいと思う。(長文が書ける環境の時に)
まcそれはともあれ、被災された方々には、1日でも早く通常生活を送れる状況っないてほしいと願え。






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中国化しているのでしょうか、日本は_a0158797_22165158.jpg

今度の日曜日に投開票が行われる参議院選挙ですが、私は不在者投票を済ませてまいりました。その証拠がこの写真です(笑)

さて、投票前であるにも拘らず、報道では自・公で議会の3分の2に達する勢いであるなどの分析が報じられていますが、どうしてそう言い切れるのだろうかと大きな疑問を持っている私でありますけれど、でも、たぶん結果はその傾向に動くのではないかと危惧しております。
危惧という言葉を用いたのは、より日本は一党独裁の色が濃くなってしまうという意味での危惧であります。そう、日本は中国のようになってしまうのでしょうか?よく安倍首相が、「民主党政権の悪夢の時代」という意味の発言を何度も発しますが、問題は民主党にあるということよりも、政権を執った政党が戦後ほとんど自民党だったということなのです。つまり、自民党は政府の仕事をやった経験が豊富ですが、その他の政党は(公明党を除く)仮に今何らかの理由で政権を取ったとしても、いわゆる初心者なのです。初心者が何から何までそつなくこなすことができるでしょうか?普通に考えても無理だと思います。
民主党政権はまさにそれだったわけで、あちこちにボロが出ても致し方ない部分はあるでしょう。何せ初心者だったのですから。しかし、皆様ご存知の通り、初心者はやはり上手く政権運営ができず、結局短命で終わってしまいました。そして、その後はずっと自民党政権が政治を担っています。

大きな問題はこれなのです。政治を運営できる政党が一つしかないということは、これはかなり不健全な国家の状態であると言わざるをえません。たぶん、今回の選挙でも、自民党以外を考えてもちょっと頼りないから自民党にしようか、と考えている方も多くいらっしゃると思います。そういう方には大変失礼なのですが、それが国家の不健全化を助長していることになってしまうのです。
それは国会や街頭演説で、よく安倍首相が「どうせ次の選挙も自民党が勝つのだから」という前提の思い上がった話をしているのも、自民党を脅かす存在が残念ながらないからなのです。私たちはそこまで馬鹿にされ舐められても、自民党を第一党にしてしまうという国民なのです。これが健全な社会といえるでしょうか?
今まで見習いの仕事しかできなかった者に、急に「店を任せるから」と言われて訳も分からないうちに右往左往してやっているうちに、「やっぱりあんたダメだね」と首を切ったのは私たち国民です。

よく経済界では競争原理という形で品質や価格を競い合うことが多いのですが、政治にはそれが適用しない、また、させることのできない不思議な世界です。
以前もお話ししたと思うのですが、だいたい政党というものがあることそのものが不健全化を助長しているのではないでしょうか?例えば、よく大臣になった途端問題発言をして解任あるいは辞任すると議員がいますが、そのような議員が当選してしまうのも○○党公認候補だからというだけで当選してしまうからなのではないでしょうか?
どんなに政治家としての資質が劣ったとしても○○党から選挙に出れば議員になれる。それは選ぶ私たち国民の大きな過ちです。
まして、比例代表区制度があるのもおかしな話です。○○党の政策を支持したいと思っても、比例代表の上位にいる候補には議員になってほしくないという民意は全く伝わらない、これこそおかしな制度であります。

私は政党など無くなって、立候補者ひとりひとりの能力によって選び、そのような優れた政治家が国会で論じ合うのが最も健全な政治だと考えています。以前からそう考えていましたが、より確信になってきました。それ以外に、このバランスの崩れた日本の政界を正す方法は無いでしょう。かといって、今すぐ急に政党は無くならないでしょうから、私たちにできることとして、この人であれば国会で活躍してくれるだろうと思われる人を選ぶことなのではないでしょうか。

函館のある省庁系出先機関の方がこんなことを言っていました。「本当はもっと予算が欲しいのだが、与党の議員が国会議員に選ばれていないからなかなかお金がもらえない。与党議員だったら入って来るのに」
この言葉を知って皆さんはどう思うでしょうか?あぁ、やっぱり与党議員がいいのか。それとも、議員の所属する政党によって地方を差別することがまともなことなのか。ともかく今の日本政治のバランスは崩れています。中国のように一党独裁で色々な統制を強いられる国に近付きつつある日本を変えることができるのは政治家ではなく私たち国民である、と私は考えています。




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エアコン地獄と昔の喫煙地獄_a0158797_22214220.jpg

5月の下旬から夏並の暑さになり、函館でもあちこちでエアコンの稼働が始まりました。
以前にもこのブログでお話ししましたように、私はエアコンが大の苦手で、温度設定が低い(つまりエアコンがフル稼働する)と、体のあちこちに骨の髄までの寒気を感じ、風邪のひき始めのような微熱が出、筋肉が収縮し疲労感抜けなくなります。
それは私にとってはもう地獄のようなものです。
そして、それは私だけではなく、意外とたくさん人(特に女性)も似たような体の状態になっていたようです。

ある時、このエアコン地獄、今ではほとんどありえない、昔の非喫運者にとってのたばこ地獄と似ているのではないか頭に浮かびました。
昔のオフィスの喫煙者のディスク上には、当然のように灰皿があり、仕事をしながら煙草を吸うというのは当たり前の光景でした。中にはチェーンスモーカーもいて、室内のたばこの煙の密度は、嫌煙者からすると耐えがたいものだったでしょう。
しかし、その当時はそれが「当たり前」であったし、お客様が来たら「おもてなし」として当然のようにでかい灰皿が差し出され、そこでもプカプカと煙草をあらゆる人たちが吸っておりました。それを、嫌煙者はじっと耐えていました。仕方ない。たぶんそうだったのだと思います。

ところが世の中が次第に「喫煙は悪だ」という風潮になり、まずディスクから灰皿が撤退され、基本オフィス内禁煙、よくて喫煙室があるというのが当たり前になり、今では喫煙者は採用しないという企業まで現れています。
これは時代の流れとして仕方のないことなのかなと思いますし、未だに喫煙者である私は、公共の場ではでにおいが全くしない電子タバコを利用したりしています。どうしても紙巻きたばこが吸いたければ車の中あるとか、ともかく非喫煙者にご迷惑をかけない範囲で「嗜好品」を嗜んでいる次第です。

そのように中で、エアコンだけは稼働して当たり前、お客様への「おもてなし」をするためには、より風量を強力にして涼んでもらおうという傾向が(今に始まったことではないですが)続いています。でも、同じ空間にいる他の者にとっては、それは地獄以外の何ものでもないのです。そして、エアコンは地球温暖化現象に拍車をかけている張本人のひとつであります。また、エアコンが普及したために(つまり体が暑さを感じない機会が増えたため)汗を掻くことができない人が増えているようです。
そんな「健康被害」「地球破壊」を増長させているエアコンを、どうして誰も煙草のような「悪」だと訴えないのでしょうか?
何のためのクールビズなのでしょうか?

このエアコン必要な方々は一種の「エアコン中毒」と呼んでも差し支えないでしょう。その中毒者のおかげで体質に合わない人々にとっては、煙草を嫌った人々のように耐えがたいけどとりあえず耐え忍んでいるものとなっているのです。まして、悪質なのは地球破壊の手助け、大都市気温上昇の一助となっていることです。
煙草を吸うという「公共的な公共間」の問題ではなく、エアコン中毒は地球全体に影響を及ぼす問題なのです。
どちらがより深刻な問題なのかは、言わなくてもわかりますよね。

時々、。禁煙をしたら太り体重が増えたという人がいます。そういう方々は当然しっかりと皮下脂肪を蓄えているため、煙草の代わりに常にエアコンが必要となっているのではないかとも想像できます。

そんなわけで、私は「嫌冷嫌」を主張したいと宣言いたします。
嫌煙権の主張も、始まりはこんな感じだったと想像したいます。
本当に、本来エアコンは「暑くて熱中症などにならない程度に室温を下げれば」いいことのはずなのですが、いつの間にか、「寒い」方が「おもてなし」している気分になったようになっていたり、平常時でもエアコンを付けなければどうしようもならない「エアコン中毒者」を産んだり、じわじわと地球温暖化を増長している。また、エアコンによる健康被害を受けている者もいる。


さて、そんな中であなたはまだまだエアコンの温度設定を低くすることができますか?





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新元号のどーでもいいこじつけ_a0158797_08401966.jpg

新しい元号が「令和」になりました。
たぶん皆さんと同じように、まだこの言葉に慣れていないために、どうしても違和感を持ってしまうのですが、そのうち慣れて来るでしょう。

さて、この「令和」という元号を知った時、改めて過去の元号を遡ってみたら、ある共通点を見つけました。それは本当にどーでもいいことなのですが、タイトルの「どーでも」と同じように、伸ばして読んでも日常的におかしくないものが多いことでした。

今回の令和は「れーわ」、ここから遡ると、平成は「へーせー」、昭和は「しょーわ」、大正は「たいしょ―」、明治は「めーじ」。つまり、明治以降は母音が必ずあるため伸ばして読んでもそれほど違和感がないのです。
それ以前の江戸時代はというと、有名な元号では、慶応は「けーおー」、文久「ぶんきゅー」、安政「あんせー」、天保「てんぽー」、享和「きょーわ」、寛永「かんえー」等々。

母音が使われているとこのように読めてしまうため、「どーでもいい話」になってしまうのですが、結局慶応から令和まで6時代続けて伸ばして読める元号になるとは、日本の歴史の中では珍しいことではないことでしょうか。元号を全部調べたわけではないのですが、長い江戸時代でも6時代続けては1度しかないようです。

まぁ、そんなことはどうでもいいのですが、最低でも平成時代のように、外国と戦争が決して起きない時代になってほしいですね。
政府に命「令」されて、昭「和」の太平洋戦争のように、多くの国民の命が消えて行くことがないように祈っています。




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最も衝撃的だった平成の大事件_a0158797_23101219.jpg

平成を振り返るというテレビの特番が各局で毎日のように放映されている。
それらを見ていると、特に地震による大規模な災害が幾度となく日本を襲い、非情なまでにも一般市民から死者を出したものだと改めて認識した。
地震の恐ろしさ、僅かの時間で容赦なく人の命を奪うというどうしようもない事実、そして生存者たちのそれからの生活。私たち北海道人も昨年全道を巻きこんだブラックアウトによって、たった1日か2日電気が使えないだけで、通常生活に戻ることができるのに1週間以上を要したことで、それ以上の不自由な被災生活を送っている方々のつらい思いのほんのわずかだけかもしれないが、少し理解できた。

だが、地震は人間が起すものではない。自然という地球の大きな力が働いて起きてしまうものだ。その脅威の前には、人間の知恵などはほとんど役に立たなかった。しかし、恐ろしさという点では、自然現象よりも、人間自らが起し、同じ人間を地獄の底に陥れた方が自然とは違った意味でとても恐ろしかった。
その代表的な平成の事件は、やはりオウム真理教の地下鉄サリン事件だろう。

この事件、当時の仕事が休みだったのか、どういう理由だったのかは忘れたが、発生直後のニュースで知ることができた。まだ状況や毒物の成分などがわからず、ただ、人々が倒れ救急車で搬送される慌ただしい東京の風景の第一印象は「戦争が起きたのか?」そういう恐怖を覚えた。この平和な日本という国の中で、これほどの大規模な犯罪が起きるとは、当時は考えることもできなかった。
そう、人が人に手を下したのだ。それも何も関係のない人々を巻き添えにして。いくらバブルが崩壊して混乱から立ち直れない日本の社会状況だったとはいえ、「私が信じている日本人」が同じ日本人に対してそんなことをするなど信じることはできない。そういう意味で、私にとって平静で最も衝撃的だった事件はオウム真理教の地下鉄去りに事件だった。

しかし、また、とても素晴らしいこともあった。それは平成の間、他国との戦争がなかったことだ。明治以降ずっと戦争していた日本だったが、「平成」という字の如く、バブル崩壊・リーマンショックなどの経済的苦境がありながらも、他国と戦争しなかったのは喜ばしいものだった。
そう、明日新元号が発表されるが、新元号が何になるか楽しみに待っていられるということは、平和である証拠なのだ。天皇崩御によって新元号にするとしたら、今のように楽しみにすることもできなかったはずだ。そういう意味で、平成天皇の決断(願い)は平和であった平成を締めくくるには素晴らしい提案だったと思う。いずれにせよ、どんな元号になるかわからないが、次の時代も平和が当たり前という時代を私たちが築き上げて行かなければならない。それは全て私たちの肩にかかっているはずです。



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レオパレス21、どういう体質なのだろうか_a0158797_22083548.jpg

先日、建築基準法違反で大きな社会問題化したレオパレス21。
賃貸アパート経営市場がバブル時代から安定的に推移した中で規模を拡大し続けた企業だ。バブルの頃は、賃貸アパートはどんなものでも建てたら売れるという時代だった。不動産を売却して得た大きな利益で賃貸物件を購入し、節税対策と賃料収入を得ようとしている者にとっては「美味しい不動産」であった。その頃増収増益で業務拡大した不動産会社のいくつかは株式公開で更なる資金を集めようとしていた。しかし、どこの誰なのかはわからないが、違反としては大きな被害にもならないような微小な宅地建物取引業法違反で摘発され、いくつも会社がその道を絶たされたのだった。だが、レオパレス21(当時の社名は株式会社ミヤマ)は業界内の足の引っ張り合いをかいくぐって店頭公開・上場を果たした。

正直言って、昔はそれほどレオパレス21のイメージは悪くなかった。経営持続が難しい単身者向けアパートの分野で業績を残していることは、それなりのノウハウを持っているのだろうと思っていた。上場したことにより、社会的責任も大きくなり、それなりの品質のものを提供しているとばかり思っていた。ところが、この度の問題で、レオパレスお前もか、という残念な思いとともに、10年以上前に私自身が経験したレオパレス21の営業マンとのやりとりを思い出した。

その頃私は不動産会社に勤めており、転勤で苫小牧で仕事をしていた。不動産仲介が主の仕事であり、そのためいくつもの土地や建物の売却依頼物件を持っていた。この売物件を持つということが大切で、これがなければ商売にならないため、不動産所有者との関係も良好に保つことも大切な仕事の一つであった。
そんな中、ある日の午前突然(確か土曜日だったと思うが)レオパレス21の営業マンから会社に電話がかかって来た。売り土地に対する問い合わせだった。その土地の担当は私であったため電話を替わり話を聞いてみると、東京から投資物件用地(この場合投資アパート建築用地)として私が担当している土地が買い希望者の目に留まり関心を持っている。そこで明日その人が苫小牧に行くので、現地を見て気に入ったらその場で契約したいとの話だった。
私はこの話に驚いた。簡単に契約と言うが、賃貸物件の契約とは異なり、売買物件の契約は重要事項説明にも詳細で繊細に作り上げなければならない項目多々あり、そんなに簡単にできるものではない。また、土地を見て気に入ったからと言っても、その場で売主に連絡し、今すぐ契約があるから事務所に来てくださいなんて、あまりにも失礼で、そんな要請もできない。あるいは、契約があるかもしれないからずっと自宅で待機してくださいなんてとても言えない。まで本当に買うかどうかもわからないのに、そんな約束なんてとてもできるものではない。
そのような理由で、私はレオパレス21の営業マンに対して、不可能ですと答えた。相手は仕事にならないのが面白くないようで、めんどくせーなみたいな声で渋々電話を切ったが、今度は午後、確か夕方だった記憶しているが、今度は、お客さんがその後検討し、間違いなく買うので契約の準備をしてほしいという内容だった。それも高圧的な口調での話だった。

私は一瞬それでは準備をという気持ちにもなったが、すぐに冷静に脳内を切替え、まだ現地を見てもいない人の話で売主さんにきちんとした話として伝えられることができない、ということと、現実的に重要事項説明書と契約書をたったの1日で問題のないように作成できないというさきほどと同じ理由で断った。東京の人から見ると苫小牧の低価格の土地は、もし投資物件として失敗に終わったとしても大した損額ではないと思うのであろう。だから、図面上・ネット上だけで決めてもいいと考えたのかもしれない。レオパレス21の営業マンも、1日しか時間の取れないお客さんにできるだけのお膳立てしておき、アパートを建ててもらい営業成績にしたいという思惑もあったのだろう。その気持ちは同じ営業ょやっている人間としてわからないわけではないが、あまりにも無茶でいい加減で相手に対する配慮がない、とてではないが受け容れられ話ではなかった。もし、そのような話をするなら、遅くても1週間前に問い合わせがあってもいいものではないか。それならまだ話としてできないわけでもない。準備もできないこともない。しかし、話が来たのは前日だ。とても東証1部上場企業の社員がやる仕事ではないと思えた。

結局、この話を私の段階で断り、売主に伝えることはなかったが、それから少ししてから、別の普通に現地を見た方から気に入ったと申し込みをいただき、普通にちゃんとした段取りのもとでちゃんとした契約をすることができた。レオパレス21の話を受け容れたとして、結果どうなっていたかはわからないが、少なくとも売主さんには後からの普通の段取りでの契約で、無理のないきちんとした売買が成立できたと思った。自分の立場は、売主・買主の中間に立ち、どちらか一方だけが優遇される契約を阻止することも大切な仕事のひとつだ。多くの「きちんとした」不動産仲介業者は同じようなことをやると思う。そんなことはレオパレス21の営業マンもわかっていてもおかしくないはずなのだが、地方都市の安い物件だから何とでもなるだろうとたかをくくっていたのだろうか?
その理由はわからないが、その時、あぁ、レオパレス21の社員の体質とお客さんの体質はこんなものなんだと思った。そして、今回の問題。こういう体質の会社では営業利益を優先したら、今回の違反もあり得るだろうなと思った。

優れた仕事をする人は、きちんとした相互理解と段取りをしっかり取り、話を進めて行くものだ。それは大都市だから地方都市だからといっても変わらないものだ。仕事柄色々な会社の社員と接することがあったが、少なくとも上場企業の社員で、このような無理難題と押しつけ的な話の進め方をしようとしたのはレオパレス21だけだった。不動産の仲介は、土地というひとつの商品の売買と考えている人も多いと思うが、最終的には人と人との交渉が最も大切なものなのだ。決して工場で製造されるものとは全く違う。どんなに優れた物件があって、それを買いたいと申し込んできた人間が、売主がこの人は嫌だと言えば契約は成立しない。
そう、人と人とをスムーズに結びつけるのが不動産仲介業の最も大切な仕事なのだ。





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私はケフィアヨーグルトを飲んでいました_a0158797_12044485.jpg

先日、報道などで出資法違反の疑いとしてケフィア事業振興会が家宅捜索されたことを知った。同会は昨年9月に破産しており、出資した方々に未払いの配当はもちろんのこと、元本の返金もかなり難しいと思われる事件のようだ。この事業主が最初に手掛けた事業であるヨーグルトの通販を私の家では、約15年以上前あるいは20年近く前に購入していた。
当時、ヨーグルトというものは、自宅では決して作ることのできない、あるいは相当しっかり調べて材料を調達した人しか作れないものだと思っていた。ところが、ケフィアは、その難しい自宅製造をキットを利用してできるようにして売り出した。当時、それはとても画期的だった。キットには容器とその容器を覆い一定の温度で温める加熱シート(電気毛布のとても小さいものだと思っていただければいい)とヨーグルトの菌と糖。これだけで気軽に自宅でヨーグルトを作ることができたのです。
味は、市販のヨーグルトとは違い、酸味が少なく、自家製であるので糖分も調整できたため、これを購入してからは市販のヨーグルトをわざわざ購入することが無くなった。通販であるため、無くなる前に再注文をしなければならないという面倒さがあったが(これは妻がやっていたため、実質私の作業はなかったが)、自家製のヨーグルトというものを毎日楽しく食していた。

作り方はとても簡単だった。一定量の牛乳を容器に入れ、次に菌を牛乳にふりかけ、蓋をし、加熱シートで包み、シートに着いているコードをコンセントに差し込み、一定時間そのままにしておく。これだけでヨーグルトができる。できたらシートを外し、冷蔵庫で冷やすと、翌朝の食卓にはヨーグルトが器に盛られているという具合だった。
この繰り返しは何年か続いた。食べていた私は、正直言って(今この事件があったからという訳ではなく)特別美味しいとも思っていなかったし、だからと言って不味いとも思っていなかった、つまり特別な不満があったわけではなかったため、日常生活の一部としてほぼ毎日食していた。

ところがある日、ケフィアから一通の手紙が送られてきた。それは、(何だったのか今となっては覚えていないが)ケフィアが新しく開発する食品の原料のオーナーにならないか、というものだった。一口1万円くらいのものだっと記憶しているが、これを始めて読んだ時、この会社大丈夫か?と疑念を抱くようになった。このあたりから私はケフィアヨーグルトへの楽しみが薄れて来たと記憶している。しかし、その時は「ふーん」程度でおさめて、引き続き注文をしていた。
だがその後、転勤などで生活環境が変わり、色々ばたばたしているうちに、自然消滅的に注文をしなくなった。

さて、ここで何が私にとって問題だったかというと、もしケフィアヨーグルトが生活環境等が変わったとして、なくてはならないほどの生活必需品となっていなかったことと、どうしてエンドユーザーから資金調達をしようとしたのかわからなかったことだ。
何年かずっと利用していて、味が向上したとかということはなかった。それは大問題ではないのだが、(たぶん)ある程度好評を得てそれなりの売り上げがあったと思われる会社が、なぜエンドユーザーに資金調達の勧誘をするのか理解できなかった。それは、スーパーで何かの食品を買って、家で袋を開いてみたら、「オーナーになりませんか?」という文書が入っていたのと同じ感覚だった。そんな会社は怪しい。私にはそう思えて、好感度がかなり下がってしまった。
もちろんわが家ではオーナーなどならずに自然消滅したため被害に遭うことがなかったのだが、今回、この事件が起こって改めてこんなことを思った。

「本業で勝負せずに、策だけに頼ってしまうものは、いずれ滅びる

ケフィアは、たぶん成功したであろう自家製ヨーグルト材料の進化に重きをおかず、金だけに目が行ってしまったのだった。しかし、世の中で長年成功している事業の多くは、本業をより進化させようと企業内で努力を怠らないものだ。ある程度のPR等の策も必要だが、それは本業の製品が良くなければ、効果は一時的なものにすぎなくなってしまう。

このようなことは、私たちの身の周りでもよく見られることだ。例えは、街を活性化しようという論議をする時、必ず「イベントをやろう」という言葉を耳にする。それ自体は悪くはないが、先ほどの例で言うと、製品のPRのためのイベントであって、製品そのものが良くなるわけではない。大切なのは製品そのものだ。これを街に置き換えると、街そのもののを変えずにイベントばかりやっても著しい効果はない、ということだ。
西部地区では色々なイベントが行われる。それはそれでいいことだが、だからといって、そのイベントによって西部地区の人口が増えたかどうかとなると否である。今も高齢者の死亡により自然減が進んでいる。

改めて言う。策ばかり考えて、本体そのものの質の進化をしようとしなければ、いずれ滅びる。そんなことは今まで60年間色々な所でいやというほど見て来た。もうたくさんだ。同じ過ちをこれ以上繰り返してはいけないし、その策の刹那的な魅力に溺れてもいけない。

「理想とするのは、PRしなくても、自然と人が関心を持ち実際に行動を起こしたくもの」

それを目標とした姿勢でとりかからなければ、「良いもの」は決して作れない、そう思う。



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スマホが通じなくて・・・・_a0158797_22440217.jpg

昨日、ソフトバンクの通信が約4時間半不通になったとニュースで知った。
即日はイレギュラーの休日であったため、電話もすることもなかったため、docomoユーザーの私にとっては、影響はなかったのですが(誰かソフトバンクユーザーが私に電話をかけようとして断念した人もいたかもしれませんが)、ともかく少なくとも個人的には困ることはなかったのですが、ソフトバンクユーザーはパニックになったり、計り知れない不便を経験したことでしょう。ニュースでもユーザーインタビューでもその混乱ぶりが報道されていました。

そのインタビューの中には、仕事でアポを取れなくてやっと公衆電話を見つけて電話したものの、開いてもソフトバンクユーザーだったため連絡が取れず、結局アポなしで直接相手企業に行くことにしたという切羽詰まったものもあれば、10代と思われる女性が写真を撮ったけれど、インスタにアップできなくて困っているという、・・・・まぁ・・・・・この歳の私からするとつながった後からでもいいのではというところで困っていましたが、彼女たちにとってはそれが大切なことなんだろうなと思われることや、いつもスマホの地図で道案内をしてもらっているので、仕方なく駅前の道案内図で確かめている方々も見受けられました。

普段当たり前のように使っているものが使えなくなると、そのありがたみがよくわかるという意見もありました。しかし、私に関して言えば、やっとスマホに替えて自分でももっと活用範囲が広がるのかなと思いきや、携帯を見る機会は極端に減りました。契約してい通信容量は5GBなのですが、1か月でわずか2GB台という程度で以前よりも使用頻度は減少したのです。その理由を深く考えたことがないため、原因はわかりませんが、ともかく日常的にスマホを携帯しても、電話通信以外はあまり使っていないのが如実に表れています。

さて、そんなそんなスマホですが、私は情報をスマホに集中しないようにしています。例えば、地図検索もできるだけアナログの紙地図を見るようにしています。古い自動車に乗っているためもあり、車にはカーナビもなくスマホの現在位置情報から目的地へのルート案内という便利な機能もあるにも拘らず、ほとんど利用していません。特に函館市内を走る時には、全く使っていないと言っていいでしょう。それは、もちろん函館の道に慣れているという理由もありますが、一度ナビを使うと道を覚えることができなくなるからです。ナビを確かに便利ですが、人間に「考えさせる」という作業をしなくても済むようにさせてしまったのです。函館全体の地形、幹線道路はどのように走っていて、ある地点から目的地までどの待ちや道路を使って辿り着けばいいのか、それは自分の頭の中にある地図が一番確かです。
実際、ある街に転勤にして、その街を確実に走って仕事をするためにナビを使ったら、市内の道がどのような組み合わせ・経路・前後関係になっているか全く覚えられずに、結局ナビを使用せずに「紙」の地図で路を覚えた方もいらっしゃいます。

また、買い物もスマホではなるべく支払わないようにしています。もしもスマホを紛失して、あたふたしているうちにペイシステムをスマホに集中させている、誰かに使われてしまうかもしれません。まぁ、その場合クレジット会社も対応策を考えてくれているでしょうが、プリペイドカードなどはまだカードにしています。
私はiphoneを使用していませんので、Apple Payは当然使用していませんが、それに似たようなPayシステムも導入していません。
なぜなら、便利なものにはそれと同様の失うものがあるからです。
例えば、先のカーナビ。人間が持っている脳の能力を確実に低下させます。地図という図形と実際に走って得る線との融合の繰り返しで、場所の位置関係をインプットするという脳の作業を必要とせず、点と点を結ぶだけでその途中からちょっと外れた道路や街並を経験することができなくなり、脳内で街全体を俯瞰することができなくなってしまうのではないかと思いまする
種類は違いますが、私も30代前半までは通常の計算は暗算で行ってお客様に説明していたのですが、ある先輩から「暗算が得意なのは充分わかるけれど、お客さんに金額の話をする時は電卓でちゃんと数字が出ている方が安心してもらえる」と教えられ、お客さんに信頼してもらうためにはその方がいいだろうなと計算は全て電卓でするようになってから、暗算の能力は着実に下降しました。今ではこんな暗算もできないのかと自分でも情けなくなるくらいの程度です。

テクノロジーのおかげで色々便利になっていますが、アナログなこともして行かないと最新なものを駆使しているようで、考える力はどんどん衰えてしまうのかもしれません。先日自動車のタイヤがパンクしてスペア用のタイヤにとりあえず交換するという作業ができない男性がいました。何かあったらガソリンスタンドでやってもらう、と話していましたが、以前オイル交換も自分でやっていた私にとっては信じられないことでした。
最後に再び述べます。便利さは人をどんどん無能にしていきます。たまには体や頭を使ってアナログなことをやることが必要ではないかと、還暦を迎えたおじさんは思うのであります。


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