カテゴリ:社会・経済について( 149 )

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ここ連日、森友学園の財務局の決裁書改ざん事件に関してのニュースが大々的に報じられていますが、どうも焦点を当てているのが買い残が事実か、政治家が関与しているのかという点ばかりで、それはそれで追及としては大切なことなのですが、なぜ、ある時突然財務省化書き換え前の文書を公表すると、今までの態度を一変したのか気付いていない方もいらっしゃるのではないでしょうか?

もちろん最初は朝日新聞のスクープによって書き換え前の文書があったという報道がなされたことが事の始まりだったのですが、それでも財務省や与党は色々な理由をつけてそれを認める方向の答弁を決してしていなかった。ところが、あるささやかな、スクープというほどのものでもない報道(一言)から事態が豹変したのでした。

それは、財務省が決して公開のこの字も口にしなかったが突然公開すると発表した何日前かの小さなニュース。それまで財務省は、文書は全て検察が押収しており確認できないというお決まりの答弁を繰り返していた時、大阪地検が、「ある程度捜査が進んだので、文書をお返ししてもいいですよ」とのコメントをしたのだ。
この一言で、事態は大きく変わった。返却された文書をまた隠して発表しなかったとしても、いずれ裁判で明らかになる。実際に改ざん前の文書は実在していたのだから、公表しないと、「文書は地検にある」という言い訳もできなくなる。地検からすると、ちゃんと返却したのだから、それを公表したらどうですか?ということを言いたかったのだろう。

財務局にはもう逃げ道は無くなってしまったのだ。時間稼ぎもできなくなってしまった。そこで、(想像では、もちろん財務省と政府が協議し)文書を公表することにし、その落としどころとして、佐川長官の首を差し出した。政府としても全ては官僚がやったこと、政治家・政府は関与していないという方向に無理矢理話を進めざるを得なくなってしまった、というのが本日までの流れだろうと私は推測している。

もともと、公務員の人事に必要以上に口出しし、自分の都合のいい人物を昇進させる安倍体制に少なからずとも、役人側にも反感を持っていた人々がいたという。例えば、財務局局長であった佐川氏が知らぬ存ぜずで答弁を押し通したのちに待っていたのは、国税庁長官というポストであった。
「よく難局を突破してくれた」ということに対する「ご褒美」なのだろう。

その立役者に全責任を押し付けて、辞職させ、自分たちの保身を図ろうという政府の姿勢に、不信感を持つ国民は数多いだろう。
さて、それでも佐川氏は証人喚問で、黙秘や「記憶にございません」と明確な答弁をすることを拒むのだろうか。退職金5000万円をもらえたお礼として。または、今後の自分の立場を「悪いようにしないから」という約束をもらった忠誠心からか(これは想像)。
それとも、自分だけに責任を押し付け、保身を図ろうとしている政府への報復として真実を話すのだろうか。

その結果は想像もできないが、ともかく、この問題が大きく動いたのは大阪地検の「文書を返してもいいですよ」というささやかな一言からだったのを私はしっかりと覚えている。ちなみに、朝日新聞に情報提供をしたのも大阪地検の一職員ではないかと推測されているが、まぁ、「驕れるもの久しからず」といいますか、事態を大きく動かすには強烈な発言は必要ないのです。タイミングを見て、ボソッと一言話すだけで充分なのです。

私も、ボソッと一言つぶやいていることが多いのですが・・・・・・(笑)




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仕事が休みだった本日、ちょっとした素朴な疑問を持ち、ネットでミシュランのホテルの格付けを調べてみた。今まで泊まったホテルにミシュランの星が付いているのだろうかどうかと。
すると面白い結果が出て来たのです。

普段私が札幌に行った時に泊まるホテルには三ツ星が付いていたのです。
少し驚きました。えっ、あのホテルが?別にそのホテルが酷いとサービスが悪いとかという訳では決してなく、もちろん私は快適に泊まらせてもらっているのですが、いわゆる「高級」という訳ではなく、気軽に泊まれるホテルの中ではハイクラスの部類に入るという程度のものです。(ちょっと誤解を招く表現かもしれませんが)

しかし、昨年泊まった東京のホテルは普段札幌で泊まっているホテルより室料が高いにもかかわらず、星は二つでした。でも、実際に泊まった個人的な感想としては東京の二ツ星のホテルの方が、洗練されていて、邪魔にならないほど良いサービスの質が高かったに思えます。例えば、フロントやロビーのデザインひとつにしても、客室に滞在した時に視界に入って来る風景・室内のデザインなども東京の二ツ星の方がはるかに洗練されていたのです。

では、なぜそんなことが起こるのかと私なりに考えてみたのですが、その地方の五ツ星のレベルが違うからなのではないかとの推測ができた次第であります。
例えば、北海道で五ツ星ホテルはご存知のウィンザーホテルであり、これは誰しも納得するでしょう。しかし、五ツ星ホテルはこれだけなのです。
このウィンザーホテルを基準に四ツ星、三ツ星と「順番に比較して」格付けしていくから恐らく東京では星の付かないホテルまで星が与えられてしまうのではないかと考えました。

参考までに4月10日、ツインで50㎡以上のお部屋で朝食付き、1人利用で、東京の五ツ星ホテル「ザ・リッツ・カールトン」と「ウィンザーホテルの室料を比較してみたが、リッツが約12万円だったのに対して、ウィンザーは約6万円だった。これだけでも、五ツ星の基準が違うことがよくわかると思ううし、それを基準として札幌の私がよく泊まるホテルが三ツ星であるということがお分かりになるでしょう。

ちなみにをミシュランの本場フランスでは三ツ星レストランがその位置を維持ではなくなるかもしれないという噂が流れたことによってシェフが自殺したいということがあった。また、三ツ星を返上したレストランもあった。それほど本国では厳格にに格付けがなされているのだ。それに比べると東京は審査が緩いと言われているし、札幌はより緩いと言わざるを得ないでしょう。

普段私がホテルを選ぶときは、もちろん室料の他にアクセス、客室やホテルのデザイン、想像されるサービスなどを総合して選んでいます。ですが、それは私なりの基準で選んであることで、ミシュランを参考にすることは全くありません。格付けよりも自分に心地良い・満足を与えてくれそうなホテルが一番なのですから(笑)





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2016年9月7日、私は被災地を巡った。しかし、後悔ばかりが残った。自分が立てたスケジュールはあまりにも安易であった。車でひと通り訪れるという旅程は、政治家の形式的な訪問よりも粗末な訪問であった。

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私は目に入ったものを、ただ写真におさめた。もちろん私にはそれくらいしかできなかった。それ以上の何が自分にできただろうか?
奇跡の一本松に観光バスで訪れる観光客と何一つ変わらない存在であった。いや、それ以上の存在になりえるわけがないのは最初からわかっていたはずだ。

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被災地を巡った後、誰かに何かを話そうとしても何も話せなかった。何を話したらいいのだ?何もわかっていない人間が話すべきことなどない。
だから、このブログでもしばらくは写真すら出すことができなかった。

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陸前高田には何もなかった。何もないものを撮影することがこれほど困惑するとは思ってもいなかった。元々何もなかったのか、何かが無くなってしまったのか、それすらわからなかった。

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しばらく自分にも重たい気持ちが支配した。なんて馬鹿なことを考えて行ったのだろうか?
自分の愚かさを恨んだ。

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だからこそもう一度行きたかった。そして昨年年末に再び訪れてみた。
仙台に着いた日の夜、地元の人たち何人かと話した。その中には、震災被害の後片付けが終わってから両親が離婚したという人がいた。「どうして?」と訊きたかったが言葉が出なかった。岩手県で被災し、仕事を求めて仙台に移住した人もいた。その人は言った。「仙台は真っ先に復興したけれど、地方はかなり後回しにされている」

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その次の日、私は海岸沿いを北上した。だが、今度は写真を撮る気すらなくなっていた。
深く傷ついているのは津波に流された街や人だけではなかった。生き残った人たちにも推し量れないだけのキズを負っていたのだった。
それは決して写真におさめることはできるものではない。

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たぶんまたいつか被災地にはまた行くだろう。
でもその度に人々の心の底を摑めない自分に疑問を抱き、写真を撮ることができるかどうか、今はまだわからない。
ただ、私は日本人の責務として行くべきだという自分の考えに基づいて、3度目の訪問をすることになるだろう。



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「記録」を全てモノクロにしました。

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阪神淡路大震災から23年経った。当時の報道により、とてつもない自然災害、そしてそれが都市という人工的な環境の中で及ぼす被害という恐怖と教訓を我々に与えた。
しかし、7年前に起きた東日本大震災では人口物どころかもともと祖日にあったはずの自然も全て津波によって呑み込まれて行った。

上の写真は、高台に位置する陸前高田市の消防署前の駐車場から撮影した何枚かの1枚だが(別の1枚は以前掲載しました)、この高台に逃げた人は、下の平地に見えた、粉々に破壊した家々や人々や自動車や鉄橋や木々や泥やあらゆるものが津波に呑み込まれて遡上し、引いて行くのを肉眼でただ見るしかなかったのかと想像すると恐ろしくなってくる。

「何もできない」その高台にいた人々はそう思っただろう。

東日本大震災が起きる前に、たまたまネット上で神戸のデザイン会社真社長さんと知り合いになった。
その後東日本大震災が起き、少ししてから、私は彼に「今、私は東北の方々に何かをしてあげたいと考えているのですが、いったい何が被災者の最も望むことなのでしょうか?」というメールを送ったことがあった。彼から帰って来た返事は、「被害の規模が桁違いすぎて、何かをお話しすることなどできない」というものだった。
あの、ズタズタに都市構築物が破壊され、死者も多数出た震災を経験した方が、「わからない」という言葉を口にするということは、もう私たちの想像の域をはるかに超えた出来事が起きたのだ、ということだけは理解できた。

それから6年以上経ってから私は現地に2度も行ってみたが、1度目よりも、2度目の方が写真を撮ろうという気になれなかった。

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私は報道カメラマンではない。無理に「その後」を見つけて写真におさめる理由がない。だから、被災地訪問の2日目は1枚も写真を撮らなかった。
「わからない」それが心の大半を占めたからだ。きっとここには民家があって、とても小さいなりにも集落があったのだろうな、と思われる浜でも、そこには今も何もなく、整地が進まれている。それを見ると、言葉にできるのは、「わからない」以外にはない。
何かから逃げるための「わからない」ではない。そこに何があって、津波によって建物が飲みこまれ何人被害者が出たのがこの現場ですよ。という写真輪をとってもいったい何の意味があるのだろうか。1個人が2.3日見ただけで何かも言葉に出せるものではない。それと同じように写真に写すことなどもできない。

でも、たぶんそこには「生」がきっとあったのだろう。そのくらいの想像は私にもできる。
これは三陸海岸に沿って走る道路を北上した時に見た、小さなとても小さな複数の(過去には)集落だった風景の印象だった。しかし、そこは既に「平地」に整備され、元々民家があったのかどうかすらわからない。

そう、私にはわからないのだ。


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仙台で止まったホテルの向かい側にあったワインショップにあった「テ・マニア・リースリング・アイス 375ml」というワインを買ってホテルで飲んだ。ニュージーランド産で氷結した舞踏から作るという何年に1度しかできないワインらしく、とても葡萄の甘味が凝縮された甘味のある美味しいものだった。
仙台はもう、見た目は普通の大都市のひとつのよう見える。
だが、酒場で話した女性の両親は、震災後父が石巻に住み、母は福島に住み、本人は仙台に住んでいるという。また別の女性は、岩手県の中部海岸地域から震災後仙台に来たという。なぜそうなったのか、などという質問は、初対面の私には深く訊けなかった。

ただただ仙台は人でごった返していた。喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか、そんな判断は私にはできない。




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昨日の報道番組で、陸前高田市の造成された「新市街地」に津波によって店舗とその経営者である父親を失った方が新しい店舗で営業を始めたという内容のものを見た。その映像を見て、いても立ってもいられなくなった。

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そうだ、私は約1年1か月前にそこに行ったのだ。正確に言うと、その新市街地には行っていない。そもそも新市街地が私が見た風景のどこに位置していたのかもその時はわからなった。

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だから私には「新市街地」について語る資格などまったくないのだが、なぜかその時自分が撮った写真を改めて見たくなってしまった。そしてその写真は公開すべきではないと思っていた写真だった。<br>

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写真を撮るには何らかの理由がある。その風景がきれいだったから、とか、その一瞬を記録しておきたかったから、被写体をこう撮ったら編集・加工して自分が想定している写真に仕上がるからとか。ただ何となくでも立派な理由だ。

だが、私が撮った陸前高田の風景は、せっかくここまで来たのだから何かを撮っておきたいという不純な理由からだった。それは、見事に写真に反映されてしまった。この写真をご覧になった方は、きっと何も感じないでしょう。ただの土木工事風景だと思うかもしれません。それは当然だと思います。撮った人間の心が不純だったからだ。

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陸前高田に着いた時、私は愕然とした。何もないからだ。それは津波によってそのあたりの全てのものを奪い去られたから、というのは頭では理解できた。だが、感覚としては全く理解できいなかった。私は混乱した。こまで来ていったい何を自分の頭に記憶し、写真に記録したらいいのだろうか。まったくわからなかった。またその必要はあるのだろうか。被災地という名を持った街を訪れることだけに意義を持っていたのではないだろうか。色々考えた。その混乱がそのまま写真に出ていた。

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それはもちろん陸前高田という街のせいではなかった。撮る側の問題だった。何もないもの撮るという心のレベルに達していない人間の問題だった。だから被災地から帰って来てから陸前高田で撮った写真を公開したのは「奇跡の一本松」だけだった。それしか出せなかった。

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だからこれらの写真はずっと封印していた。今回やっと公開しようとしたのは、津波の恐ろしさを知らせるためでもなく、被災地の惨状を伝えるためでもなく、ニュースを見た時に感じた、自分はもとよりたぶん多くの人々が「何もない」ということを心から実感できていないだろうと思ったからだ。

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そもそも複数の被災地を1日で駆け巡ることが大きな間違いだった。そのことで自分を責めた。今度被災地に行く時は、車をどこかに停め、自分の足で街を回りそこの底流にある事実を把握しなければならないと痛切に反省した。

あっ、そう言えば南三陸町のさんさん商店街のお土産さんのご主人に約束していた。また来ます、と。今度は時間をかけ、自分が理解までとはいかなくても、心に何かをおさめることができるまでその場に時間の許す限りいつづけようと思った。

1年以上経ってやっとそのことが言えた。



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しばらく体調を整えることを優先してブログの更新は鈍くなりますと言って間もなくですが、どうしても述べさせていただきたいことができ、今日はちょっとだけ無理して投稿したいと思います。

みなさんニュース等で既にご存知であると思いますが、衆議院が解散する前後から政界に大きな動きがありました。
その内容については、私よりもみなさんの方が詳しいかもしれませんので説明は省きます。でも、実は3か月くらい前から解散総選挙が近いことはわかっていました。その理由を具体的に述べることはできませんが、ひとつだけお話ししますと、実にわかりやすい行動をした方がいらっしゃったからです。しかし、具体的にいつ、どのような大義名分で解散をするのかまではわかりませんでした。

ともかく自民党の中では着々とその時に向かっていたのだろうと思うのですが(もちろん推測しかできない)、まさか国会の休会中に今回の臨時国会で何の審議もせずに、首相の権限を利用して解散するとは夢にも思いませんでした。しかし、よく考えてみると、私ごときがそれを察していたのですから、その前から当然小池東京都知事も解散はあるとの前提で自らの政治塾を作り国会への進出(知事自らかどうかは別として)を画策していたと思います。
恐らく水面下での駆け引きを私ごときで想像できないほど緊迫していたのではないかと思います。安倍首相としては、森友・加計問題や度重なる自民党議員のスキャンダルから国民の関心を逸らそうと画策していたのかもしれません。でも、それが目的であるならば、昨今の北朝鮮問題は格好のエスケープのための題材となり、より戦略的にそれを強調すれば済んだはずです。実際に私たち国民はかつてないほどの危機を感じているのですから。まだまだ寝ていたい早朝のエリアメールは、効果としてはそれはもう絶大なものでしから(笑)ところがそれを思っていたほどせずに、「よくわからない解散」をしてしまいました。ひょっとしたら安倍首相は北朝鮮よりも小池知事の方に危機感を感じていたのでしょうか。つまり小池体制が整う前に選挙をやってしまえ、という単なる戦略だけのための解散だったのでしょうか?もしそれが本当だったとしたら、私たちの税金の600億円を超える額を、「都合」だけで使われてしまうことになります。

もう、これは政治ではありません。税金を使って演じる茶番劇です。そして、その茶番劇のドタバタに、より効果的に加わったのが小池知事であり民進党でした。解散対策として(あるいは既に計画していたものを急遽前倒しして)小池知事は新党を立ち上げました。自らの都知事当選に加えて都議会選での圧勝を受けて恐らく小池知事は「私は人や政界を動かせることができる」という「おごり」を持ってしまったかもしれません。ですから、国会にも自分の影響力を知事という立場でも充分効果的に発揮できるのとでも思ったのでしょう。ですが、実際小池「人気」はそのドラマの脚本の作り方によって、より国民の話題となり(あるいは話題となるように発言をして)想定に近い進行でことを進めているのだろうと思います。その「おごり」の段階に入りつつある小池氏に民進党は身を任せることを決断しました。
政策で合意できるかどうかもじっくり話し合わず、小池氏に立候補者の選択を事実上一任してしまったわけであります。これで茶番劇の登場者が全て揃ったわけであります。(これからも増えるかもしれませんが)

この茶番劇を見ることになってしまった私たちは、この劇の流れのままでは、多額の税金を使う選挙に投票という観覧料を支払ってしまうことになります。私たち国民を愚弄した策略家同士の戦いに結果的に料金まで払ってお付き合いしてしまうことになるのです。正直言ってくだらない映画を強制的に見せられて入場料を取られるようなものです。

ではなぜこうなってしまったのでしょうか?もちろん一つの要因だけではなく、私たちが知らないような永田町の事情もあるのでしょうが、根底には日本国が採用している政党政治というものの欠陥部分が具象化された結果ではないかと考えています。政党が支持を多く集めると、どんな無能な議員でも当選してしまう可能性があるからです。それは、どこの党にも共通する欠陥です。私たちが一生懸命考え、国の議会での代弁者として「代議士」を選ぶという民主的行為は、その政治家が所属する政党の方策によって歪められることも多数あるでしょうし、そもそもその政党に所属していたから政治的主張がほとんどなくても「国会議員」に就職できてしまうという、おかしなことが起きてしまうのが政党政治であります。

大きな党を作ってしまえばいいんだ、そして、大きな党に所属していればいいんだ、そういう動機が生じてしまうのが、この国の大きな欠陥であります。また、国民の直接投票による最高責任者(日本では首相・他国では大統領)を選ぶことができないということも大きな欠陥であります。今の法律では多数勢力を作ることが大切で、健全な国会議論は場合によっては「たわごと」にしかならないのです。
しばらく野党に勢いがないとみた自民党は「独裁的」に物事を推し進めました。しかし、突然「希望の党」という小池氏の独裁政党が誕生すると、自民党という独裁政党はあわててしまいました。しかし、冷静に見ると、独裁同士が争うという構図はとても非健全的なのではないかと考えてしまいます。
最も理想的な政治形態は、保守とリベラルの力が均衡し、それぞれのいいところが国策に反映されるというものがとても健全であるはずなのです。しかし、現実ではそうではありません。保守と保守改革というよく理解できない構図に政界はなろうとしていますし、話題もそんなことはお構いなしに、安倍が勝つか小池が勝つかに集中しています。まるで安っぽい2時間ドラマを見ているようです。健全な政治とはかけ離れてしまっています。

では私たちはどうしたらいいのでしょうか。もう、政党がどうこうではなく、立候補した者の能力を優先して投票するしかないのではないかと思います。
明治維新はなぜ見事に出たのか。これも一言では決して言えませんが、少なくとも優秀な政治家・思想家が多数存在していたから成し遂げられたのだと思います。黒船来日という当時では考えられないような出来事が起こり、国家の危機感を強く感じた者たちが必死に考え話し合い、その中から優秀な政治家を輩出できたから明治維新は、クーデターではなく、日本の歴史の分岐点として位置づけられているのです。その優秀な政治家たちは今でも大きく改正しない民法を作りました。民主主義というものを真剣に考えたから今でも通用するものがたくさんあるのです。

さて、今の日本にそれほどの政治家はどれほどいるでしょうか。風見鶏的な行動や、長いものにはまかれろ的な発想からは健全な議論ができるわけはありません。もちろんこれは今に始まったことではありませんが、特に北朝鮮と米国間の間に入ってしまっている日本の危機という状況ではそんなのんきなことなど言ってもいられません。特に今、私たちには「有能な国会議員」が必要なのです。もう政党などどうでもいいのです。しっかりした政策を立てて提案し議論し実現できる能力あるそんな議員が必要なのです。地方に仕事に持って来るという飴を提供すると見せかける傍ら、戦闘国家としての流れを続ける以外に手段を見つけることができない政府と、知事選に公認されなかった意地で対抗し、それが好感を得て「有頂天」なりつつある独裁者(あるいは策略家)によって弄ばれているのは私たち国民です。

国際情勢が不穏であるからこそ、私たちは国会に行ってこの国をより良くしようとする議員を、政党とは関係なく選ばなくてはならないのでしょうか。
それでこそ、日本は民主国家であると世界に対して言えるのだと思うのですが。



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アメリカがシリアに対してトマホークを59発撃ち放った。
選挙前、世界の警察をアメリカがやねなんてまっぴらだ、と語っていたトランプ大統領が、事前にシリアを非難してはいたが、「正義を大義名分」にして自ら高家無゛木を始めたのだった。なぜこのタイミングにアメリカがシリアを攻撃しなければならなかったのは、今日段階でも諸説あり、その真意はまだ理解できないが、少なくともひとつだけ言えることがある。それは、

「トランプは公約を守った」ということだ。

戦争は公共事業だ。戦争をすると爆弾・武器の補充のために兵器産業が潤う。つまり、国内産業向けに、その生産を促す「正当に理由」ができたということだ。

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海の向こうで戦争が始まる。

私たちは明日のランチをどうしようかと考えている。



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前回に続いてトランプ大統領の発言に関して少し述べてみたいと思う。

今回は自動車の輸出入に関してだが、この件に関してトランプ氏はまた訳の分からないことを発言している。
日本車のアメリカ市場での販売数において、国内自動車産業を圧迫していてるという趣旨の発言。そのために日本自動車産業、とりわけトヨタが恰好の標的になっているのだが、根本的な問題をトランプ氏は見過ごしている。あるいは知っていても発言しないようにしているという意図を充分感じ取ることができる。

トランプ氏の発言趣旨はやおおざっばに言ってこうだ。日本車が大量に米国に輸出されて、「安く高性能で耐久性も燃費もいい」となれば必然的に日本産の自動種が評価を得ることができたら消費者の自然な選択基準となってしまい日本車を買ってしまう。そのために減収になった国内の自動車メーカーを維持させるためには日本車を売れづらくすればいい(実質的にはそんことはないが)という安易な発想を発言してしまったのだ。

もちろんどなたでもトランが閉鎖経済社会の方向に向いていることはわかると思うが、言い方を変えれば、国内でアメリカの「目先の売り上げ」が上がれば雇用も創出できていいだろうという、かなり狭い発想のもとでの発言にしか見えないのです。
国内の車をたくさん売りたければ、トヨタよりもホンダよりも優れた車を作ればいいだけなのただ。その商品創造力の支援を積極的に行う方がてっとりばやい「自国を強くする」方法なのだと思うのは私だけだろうか?
昔もそうだが、今゛手も私はアメリカ車には関心を持たない。それはデザイン、大きさ、技術力という点で全く魅力がないからだ。わざわざ高いお金を払ってあのような車を毎日乗りたいとは全く思わない。
「今度機会があったら」「予算が合えば」「もう少しデザインや性能が向上したら」という条件付きでもリストには上がってこない。これはたぶんアメリカ人もそう思っているから日本車が売れているのだろうと思うのだが、トランプの言うことは全く本末転倒で、アメリカ人なのだからアメリカ産を買おう、アメリカ工場で造ったものを買おうという理由だけでは永遠にこれからもいい商品はできないかもしれないと思う。

今アメリカで私たちに影響を与えているのはIT系だけではないだろうか。iphoneやGoogle、Microsoftなどの企業が代表的であるが、それでも昨年の「強制Windoes10アップデート」やiphoneやandroidoや一部のWindowsでなければアプリダウンロードできない「instagram」など、「囲い込み」の戦略が優先で、広く世界のためにという意識が希少であるのは、内側に向いているためなのだろう。

そういう意味では函館も似ている。函館に於いて商売の決定的な取引理由のけっこうな部分を「あそことお付き合いがあるから」「色々なしがらみの関係でそこにしなければならないから」ということは頻繁に耳にする。もし、それだけで商品が売れるのであれば、商品の品質の向上やコストダウンなどの大企業がしのぎを削って行っている努力など必要としない。ただ、人間関係やしがらみを堅持すると商品は売れ商売が成立ってしまうのだ。
それに慣れてしまった函館の企業は、日本全国や世界に通用するような商品の開発などとうていする気にはならないだろう。だから、「おっ、この函館の企業ちょっと面白いのでは」というものが現れて来ないのだ。

今のトランプの政策をずっと続けていると、アメリカの魅力はどんどん地の底に落ちるだろう。ハリウッド映画も以前よりも注目しなくなった(自分は)。アメリカの食品も特にこれと言った特別な魅力のあるものは少ない。

最近気になっているBOTANISTのシャンプー・リンス、最初はアメリカ製だと勝手に思っていたのですが、よくよく調べると日本製のようですね。そういう商品を作ればどこの国の製品でも売れるんですがね。アメリカも函館もそれをやろうとしないんですよね。政治力だけではいずれ綻びと人の反発で崩壊するのは目に見えているのですが・・・・。



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